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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 04月 02日

立正安国論愚記 十六

八月二十四日

一、又云く(じょう)(げん)入蔵(にゅうぞう)等。
 選択(せんちゃく)第十二段下巻十七。
一、皆(すべから)く読誦大乗の一句に(せっ)すべし
 (およ)そ観経十六観の中に、初め日想(にっそう)観より第十三雑想(ざっそう)観に終るを名づけて定善(じょうぜん)と為す。(のち)の三観、三福九品を名づけて(さん)(ぜん)と為す。「読誦大乗」はこれ第三福の文なり。故に法華等を(もっ)て散善に属するなり。

問う、観経に阿闍(あじゃ)()太子(たいし)といい、法華に阿闍世王という、前後分明(ふんみょう)なり。故に天台は観経を以て(ほう)等部(とうぶ)に属す。何ぞ方等の中に法華を(せっ)すべけんや。

答う、(ほう)(ねん)料簡(りょうけん)あり。選択下十七に云く「問う、爾前経の中に何ぞ法華を摂するや。答う、(いま)摂と言うは権実・(へん)(えん)等の義を論ずるに(あら)ず、読誦(どくじゅ)大乗の言は(あまね)く前後の諸大乗を通じて(ただ)大乗というのみ。権実を選ぶなし。(しか)れば則ち正に華厳・方等・般若(はんにゃ)・法華・涅槃(ねはん)等の諸大乗経に当るなり」と文。
 難じて云く、凡そ「文辞(もんじ)一なりと(いえど)も而も()(おのおの)(こと)なり」とは、無量義経の明説なり。
亦是の「義に()って語に依らざれ」とは、涅槃経の(げん)(かい)なり。法然、如何(いかん)ぞ世尊に違背(いはい)し、権実・偏円の義に依らずして(ただ)「読誦大乗」の言語のみに依るや。但言語のみに依りてその義に依らざれば、則ち一代雑乱(ぞうらん)し五時混合せん。阿含(あごん)の中に尚「妙中の妙」の文あり。婆沙(ばしゃ)の中にまた「法性」「実相」等の名あり。()し法然の如くんば、小乗の中に(なお)法華を摂すべきや。(いわん)や一代の権実を判ずること、但これ法華の所説のみなるをや。何ぞ観経に於て(まさ)にこれを選ぶべけんや。
一、(まさ)に知るべし(ずい)()の前等
 凡そ釈尊(しょ)(りゅう)(ずい)()・随他とは、経に云く「性欲(しょうよく)不同なれば種種に法を説きき」「四十余年には未だ真実を(あらわ)さず」と。これ随他意なり。「(ただ)仏と仏と、(いま)()究尽(くじん)したまえり」「世尊は法(ひさ)しくして後、(かなら)(まさ)に真実を説きたまうべし」。これ随自意なり。何ぞ仏説に(たが)いて「未顕(みけん)真実」を随自意と()し「久後(くご)真実」を随他意と為さんや。
一、(かえっ)定散(じょうさん)の門を()
 如来は甘露(かんろ)の門を開き無上(むじょう)(りん)を転ず。(ほう)(ねん)如何(いかん)ぞ法華修行の門を閉じ、行人をして入らしめざるや。

問う、若し爾らば直に念仏の行を説くべし、何ぞ(わずら)わしく定散の善を説くや。

答う、また料簡(りょうけん)あり。選択(せんちゃく)下二十一に云く「又定散を説くことは、念仏の余善に超過(ちょうか)することを顕さんが為なり。若し定散なくんば、何ぞ念仏の特秀を顕さん。故に定散は(はい)の為に(しか)も説き、念仏は(りゅう)の為に(しか)も説くのみ」と。

問う、法然の意は諸行往生(おうじょう)を許すや否や。若し許さずといわば、選択下十七に云く「西方(さいほう)を願うの行者(おのおの)其の()(ぎょう)に随って(あるい)は法華を読誦(どくじゅ)し、或は華厳等を読誦し、(もっ)往生(おうじょう)の業と為す。是れ則ち観無量寿経の意なり」と云云。

答う、所引の文の如くんば、所廃の為に(しばら)く成ずる所の義なり。この然公(ねんこう)の意は実義に(あら)ざるなり。故に諸行往生(おうじょう)を許さざるなり。中正九・十五。

一、又云く念仏の行者必ず(さん)(じん)を具足す可きの
 「三心」というは、一には至誠(しじょう)(しん)、二には(じん)(しん)、三には廻向(えこう)発願心なり。経に云く「三心を具する者は必ず彼の国に生ず」と云云。釈して云く「()し一心も少ければ、即ち生ずることを得ず」と云云。選択(せんちゃく)上五十八、往いて見よ。
一、問うて云く()()(ぎょう)の不同・(じゃ)(ぞう)(ひと)()有って
 彼の(しょ)の問難の一句なり。次に「()(じゃ)異見(いけん)の難を防がん」とは、答えの中の一句なり。次に「群賊(ぐんぞく)(よび)(かえ)す」とは、これ(がっ)()の中の一句なり。「解行の不同」とは、聖道門の解行は浄土門に同じからざる故なり。次の「(べつ)()・別行」もまたその意なり。浄土門の外を別解・別行というなり。



                 つづく
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by johsei1129 | 2015-04-02 21:24 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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