【右衛門太夫殿御返事(斯人行世間事)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)十二月三日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は鎌倉武士で強信徒の池上宗仲に宛てた書である。宗仲は幕府作事奉行で極楽寺良観の熱心な信徒であった父康光に、大聖人への帰依を捨てないことで二度にわたり勘当されている。しかし弟宗長を励ましながら、法華経信仰を終生貫き、弘安元年には勘当が解かれ、父も大聖人に帰依することになる。
本書は非常に短い御書だが、大聖人は上行菩薩の再誕であるとの内証を明かすとともに「貴辺も上行菩薩の化儀(けぎ)をたすくる人なるべし」と、最大限の賞賛をされている。
■ご真筆: 現存していない。
[右衛門太夫殿御返事(斯人行世間事) 本文]
抑(そもそも)久しく申し承らず候の処に・御文(ふみ)到来候い畢んぬ。殊に・あを(青)き・うら(裏)の小袖一(ひとつ)・ぼうし一・をび一すぢ・鵞目一貫文・くり一篭、たしかにうけとり・まいらせ候。
当今は末法の始めの五百年に当りて候。かかる時刻に上行菩薩・御出現あつて南無妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生にさづけ給うべきよし・経文分明(ふんみょう)なり。又流罪・死罪に行わるべきよし明らかなり。日蓮は上行菩薩の御使ひにも似たり、此の法門を弘むる故に。
神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云。此の経文に斯人行世間(しにんぎょうせけん)の五(いつつ)の文字の中の・人の文字をば誰とか思(おぼ)し食(め)す。上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり。
経に云く「我が滅度の後に於て・応(まさ)に斯の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」云云。貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。
弘安二年己卯(つちのとう)十二月三日 日 蓮 花 押
右衛門太夫殿御返事