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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 03月 19日

立正安国論愚記 六

一、正法の流を失い。 

問う、若し第三の()(せつ)の意に()らば「甚深の妙法」及び「甘露」「正法」の文に三大秘法を含むべきや。

答う、云云。

問う、如何。

答う、これを含むべきなり。

初めに「甚深の妙法」とは、若し迹門の意に約せば、即ちこれ諸法実相の妙法なり。経に云く「甚深微妙の法を我今(すで)(そな)え得たり」と云云。天台の玄の一に云く「実相は甚深と名づく」等云云。
 若し本門の意に約せば、本因本果の妙法なり。経に云く「如来の一切の甚深の事」等云云。天台云く「因果は是れ(じん)()」文。宗祖云く「妙法蓮華経の五字は迹門にすら(なお)之を許さず。況や爾前に分()えたる事なり。寿量品に至って本因本果の蓮華の二字を説き顕し、上行菩薩に付嘱したまう」(取意)云云。

若し文底の意に()らば、即ち三箇の秘法を含むなり。天台の玄の一本序に云く「()の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵(おうぞう)なり」と云云。
 「本地」の二字は戒壇を顕すなり。謂く、本尊所住の地なり、故に本地という。(あに)戒壇に非ずや。
 「甚深」の二字は本尊を顕すなり。天台云く「実相は甚深と名づく」と云云。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界」等云云。豈一念三千の本尊に非ずや。
 「奥蔵」の二字は題目を顕すなり。天台云く「包蘊(ほううん)(ぞう)と為す」と云云。謂く、題目の一行に万行を包蘊す、故に一行一切行というなり。(あに)題目に非ずや。今「甚深の妙法」とは、即ちこれ「本地甚深の奥蔵」なり。故に三箇の秘法を含むべきなり。文略して意(あまね)し。これを思い見るべし。

次に「甘露(かんろ)」とは、妙楽の籖の一の本七に云く「甘露門とは実相常住、天の甘露の如し、是れ不死の薬なり」と文。一連にこれを釈すと(いえど)も、(しか)も二門の意を含む。
 初めに「甘露門とは実相常住」とは、これ迹門の諸法実相を名づけて甘露と為す。故に実相常住というなり。「天の甘露の如し、是れ不死の薬」とは、これ本門の「()好良薬(こうろうやく)」を名づけて甘露と為す、故に「不死の薬」というなり。既に寿量品に「是好良薬」と説き、薬王品の中に至り「若し人(やまい)有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」と()ぶる故なり。

若し文底の意に約せば、即ち三箇の秘法を含む。涅槃経の北本の第八初に云く「(あるい)は甘露を服し、寿命長存を得る有り」と文。「甘露」の両字は本尊を顕すなり。妙楽云く「実相常住、天の甘露の如し」と云云。また云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界」等云云。故に知んぬ、事の一念三千の本門の本尊なることを。

「服」の一字は題目を顕すなり。天台大師の文の九に釈して云く「修行を服と名づく」等云云。第三の題目は正にこれ唱題の修行なり。報恩抄に第三の題目を釈して云く「日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」等云云。
 「寿命長存を得」とは、戒壇の()(のう)を顕すなり。義例随釈(ぎれいずいしゃく)の第一・十紙に破戒の罪を明かして云く「(ほっし)()を亡ぼし()(みょう)を失う」等云云。故に知んぬ、持戒の福は寿命長存を得ることを。(あに)戒壇に非ずや。

当に知るべし、仏道を行ぜんと(もと)むれば応にこの戒壇の地に住すべきなり。自然と本門の本尊を信じ、自然と本門の題目を唱う。故に自然と「()(みょう)持戒(じかい)」の行者なり。例せば、家語(けご)に「善人と居れば()(らん)の室に入るが如し、久しく其の香を()がざれども即ち之と化す」等というが如し。恵信(心)の歌に云く「山里に住めばおのずと持戒なり (まこと)なりけり()(しん)より依処(えしょ)」と云云。

三に「正法」とは三種の邪正、題号の下の如し云云。(ただ)正の字に於てのみ三箇の秘法を含むなり。(いわ)く、正とは妙なり。妙は即ち妙法蓮華経、妙法蓮華経は即ち本門の本尊なり。本尊妙なる故に信もまた妙なり。信妙なるが故に行もまた妙なり。妙は即ち正なり。故に正の字は即ち題目なり。玄二・四十一に云く「(きょう)妙なるを以ての故に智も亦随って妙なり。智は行を導く、故に行妙と云う」と云云。(およ)そ正とは一の止まる所、故に一止に(したが)う。一は即ち本門の本尊、止は即ち()(じゅう)なり。本尊止住の処(あに)戒壇に非ずや。(つぶさ)に題号の下の如し。

今、第三の()(せつ)の意に()って以てこの文を(しょう)せば()の国土に於て」とは日本国なり。「此の経有りと雖も」とは本門の本尊、妙法蓮華経の五字なり。「未だ(かつ)て流布せしめず」とは未だ一閻浮提(いちえんぶだい)に広宣流布せしめざるなり。顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」と云云。これを思い合すべし。(ただ)受持せざるのみに非ず、(あまつさ)え捨離の心を生じて聴聞(ちょうもん)せんことを(ねが)わず。また身に供養せず、意に尊重せず、口に讃歎(さんたん)せず。文底受持の行者を見て()く尊重讃歎(さんたん)供養せず。故に諸天をして三箇の秘法の妙法を聞くことを得ざらしむ。故に三箇の秘法の食味に()え、三箇の秘法の水流に(かわ)く。故に威光(いこう)勢力(せいりき)あることなし云云。

学者(まさ)に知るべし、日本国中(みな)(すで)に毒薬邪法の飲食(おんじき)なり。諸天何ぞこれを受けんや。唯我が文底甚秘(じんぴ)の大法のみ無上の甘露(かんろ)の正法なり。若しこれを供養せざれば、諸天の威光如何。(すべから)くこの意を(りょう)すべし。(あえ)(おこた)ること(なか)れ。

                 つぎの項
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by johsei1129 | 2015-03-19 19:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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