人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 03月 18日

立正安国論愚記 五

一、国主・(こく)(さい)
 「主・宰」は高下に通ずるなり。今は国王・宰相は国々の(つかさ)の義とする義(しか)るべし云云。「国主」は天下の(あるじ)なり、「国宰」は一国の主なり。原抄(しょくげんしょう)二 二十八。
一、(ただ)肝胆(かんたん)(くだ)くのみにして等文
 只これ臓腑(ぞうふ)()(くだ)く義なり。而してその始めを挙げ自余を(せっ)するなり。「肝胆」は(もく)に当る故なり。木はこれ五行の初めなる故なり。「肝は木の胆腑、眼・筋・爪も」と云云。これはこれ誠情を尽すことを顕すなり。
一、()せる(かばね)(ものみ)と為し。
 (ゆう)(えん)(かん)諸台楼(しょだいろう)(かん)等の如し云云。
一、二離璧(じりたま)を合せ。
 「二離」は日月なり。離に二意を含む。一には()くなり。日月は天に麗くが故なり。二には明なり。二明(あに)日月に非ずや。
一、客来って共に嘆く(しばしば)談話を致さん。
 科註の点思わざるなり。「談話」を客に属する故なり。
一、愚かにして後生(こうせい)(うたがい)(おこ)す。
 「後生」とは漢音を用うべし。性抄(しょうしょう)の如し云云。而して当世の人を指して後輩というなり。これ先輩に対する故なり。先生・後生、先進・後進等の如し。
一、世(みな)(しょう)(そむ)き人(ことごと)()に帰す
 今この八字肝要なり。別しては「背正帰邪」の四字肝心なり。邪正の相対は題号の下の如し。正とは三箇(さんか)の秘法の事なり。これ元意なり。
一、聖人は所を辞して
 三略の下に云く「賢()れば則ち国(おとろ)え、聖去れば則ち国(そむ)く」と已上。世間の聖人(なお)(しか)なり。況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人(しょうにん)なり。
一、(さい)起り難起る
 当に知るべし、災難の来由(らいゆ)(つぶさ)に三意を含む。一には背正帰邪の故に、二には神去辞(こじ)の故に、三には魔鬼来り乱るるが故に云云。

第二 災難の証拠の下 七月五日

一、其の証()(ばく)なり
 文証広大にして通じて諸経に(あまね)し、故に「弘博」というなり。
一、未だ(かつ)て流布せしめず。
 此くの如く点ずべし。国王この経を流布せしめざるなり。
一、捨離(しゃり)の心を生じて
 啓蒙の意に云く、この文は国王に約するなり。故に本経に「若し人王有って其の国土に於て」等というなり。然るに承の註に、この文を以て諸天に約するは(はなは)だ非なりと云云。 今謂く、註の意は経の前後を取り、略してその意を示す。然るに、「梵帝四王、心に捨離を生じ、及び持者に於ても又保護せず」とは、これ恐らくは「其の国土を捨てて擁護(おうご)の心無けん」の文を(しょう)するか。未だ必ずしも「捨離の心を生じて」等の文を釈すと謂うべからず。これ則ち「甘露(かんろ)上味(じょうみ)に背き正法の流通を失う、故に梵帝四王、心に捨離を生ず」等という故なり。これを思え。所詮、今文は国王に約してこれを釈すべきなり。
一、(つい)に我れ等(乃至)(しむ
 「遂令」の両字は「及以(およ)勢力(せいりき)」に冠するなり。
一、甚深の妙法
 問う、この経はこれ方等の摂なり。何ぞ妙法と名づくるを得んや。

答う、(およ)そ諸の法相は所対(しょたい)不同なり。若し外道に望むれば、阿含小乗も(なお)これ妙法なり。故に云く「(しゃ)利子(りし)の所説は妙中の妙なり。況や復方等大乗をや」と。当に知るべし、今はこれ大小相対なるのみ。
一、甘露の(あじ)はひに背き
 即ちこれ諸天甘露の食味に向わず、正法の水流を得ず、既に飲食(おんじき)()(かつ)す、故に威光(いこう)勢力(せいりき)あることなきなり。向背(こうはい)得失(とくしつ)これを思い見るべし。

一義に云く、悪王悪比丘の甘露に背き、正法を失い、威光あることなしと云云。また一義に云く、上の文は「悪王」等に約し、下の「威光」等は諸天に約す等云云。二義俱に不可なり。並びに諸天に約す。具に啓蒙の如し。所引の次上の文に云く「甘露味を以て我に(じゅう)(そく)す。是の故に我等是の王を擁護す」文と。また下の文に云く「無上の甘露の法味を()ること()、大威徳勢力光明を()」等云云。況や所引の文相(もんそう)は諸天に約してこれを釈するに、最もこれ穏便(おんびん)り。


つづく


立正安国論愚記 目次  




by johsei1129 | 2015-03-18 22:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


<< 立正安国論愚記 六      立正安国論愚記 四 >>