第一 災難の来由
一、旅客来りて嘆いて曰く文。
音義の如く然るべきなり。下去っては「客」の字は漢音を用ゆべし。
一、近年より近日に至るまで文。
正嘉元巳年より文応元申歳に至る、已上四年なり。
一、遍く天下に満ち等文。
一国二国の飢饉に非ず、天下一同の飢饉なり。故に「遍く満ち」というなり。一邑一郡の疫癘に非ず、日本一同の疫癘なり。故に「広く迸る」というなり。
一、牛馬巷に斃れ文。
仏の死を涅槃といい、衆生の死を死という、而して天子に崩御といい、諸侯に薨といい、太夫に不禄といい、智人に遷化といい或は逝去といい、将軍に他界といい、平人に死といいまた遠行といい、牛馬の死を斃というなり。若し人、不義を行えば則ち牛馬に同じ。故に左伝に云く「多く不義を行えば必ず自ら斃る」と云云。
或は利剣即是の文を専にして文。
八万四千の煩悩の病を治せんが為、即ち八万四千の法門を説く。故に門々不同というなり。中に於て、煩悩・業・苦の三道の縛を断滅せんが為の利剣は、弥陀の名号に過ぎたるはなし。故に「利剣即是弥陀の号」というなり。若し宿業を滅せば、何ぞ飢疫に逼られん。故に禱爾の為にこれを称うるなり。
当に知るべし、内外禱爾に十段の文あり。中に於て、初めの八段はこれ出世の禱爾、分ちて四双と為す。第一第二は東西一双、第三第四は文句一双、第五第六は水月一双、第七第八は門戸一双なり。また分ちて通別と為す。初めの六段は別なり。謂く、第一は浄土宗、第二第三第四は天台宗。薬師は天台家の本尊なり。中堂の如きこれなり。法華は勿論依経なり。仁王は鎮護国家の三部の内なる故なり。健抄一 四十二に云云。第五は真言宗、第六は禅宗なり。故に別というなり。若し第七第八は実に諸宗に通ず。故に通というなり。
一、空観の月を澄し文。
己心の月を澄せば則ち有為の妄想あることなし。若し有為の妄想なくんば、何ぞ三災七難を起すべけんや。故に観念を以て祈りと為すなり。
一、万民百姓文。
日我云く「只是れ諸民なり。日本の姓を百に分ちて、二十を以て公家と為し、八十を以て武家となす。『武士の 八十氏川』と云うは是なり」と云云。
私に云く、承久の乱の時、清水寺の鏡月房が院中に参り宇治に向い、生け捕れてよめる、
勅なれば身をば捨ててき武士の
八十宇治川の瀬には立たねど 云云。
つづく
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