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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 03月 17日

立正安国論愚記 四


  第一 災難の来由

一、旅客来りて嘆いて曰く文。

音義の如く然るべきなり。(しも)っては「客」の字は漢音を用ゆべし。

一、近年より近日に至るまで文。

正嘉(しょうか)()年より文応元(さる)歳に至る、已上四年なり。

一、遍く天下に満ち等文。

一国二国の飢饉(ききん)に非ず、天下一同の飢饉なり。故に「遍く満ち」というなり。一(ゆう)一郡の疫癘(えきれい)に非ず、日本一同の疫癘なり。故に「広く(はびこ)る」というなり。
一、牛馬(ちまた)(たお)れ文。
 仏の死を涅槃(ねはん)といい、衆生の死を死という、而して天子に崩御(ほうぎょ)といい、諸侯に(こう)といい、太夫(たいふ)不禄(ふろく)といい、智人に遷化(せんげ)といい(あるい)逝去(せいきょ)といい、将軍に他界といい、平人に死といいまた遠行(えんこう)といい、牛馬の死を(へい)というなり。若し人、不義を行えば則ち牛馬に同じ。故に左伝(さでん)に云く「多く不義を行えば必ず(みずか)(たお)る」と云云。

  1. 或は利剣(りけん)(そく)()文を専にして文。

八万四千の煩悩の病を()せんが為、即ち八万四千の法門を説く。故に門々不同というなり。中に於て、煩悩・(ごう)・苦の三道の(ばく)を断滅せんが為の利剣は、弥陀(みだ)名号(みょうごう)に過ぎたるはなし。故に「利剣即是弥陀の号」というなり。若し宿業を滅せば、何ぞ()(えき)(せま)られん。故に(とう)()の為にこれを(とな)うるなり。

 当に知るべし、内外(ないげ)禱爾に十段の文あり。中に於て、初めの八段はこれ出世の禱爾、分ちて四(そう)と為す。第一第二は東西一双、第三第四は文句一双、第五第六は水月一双、第七第八は門戸一双なり。また分ちて通別と為す。初めの六段は別なり。謂く、第一は浄土宗、第二第三第四は天台宗。薬師は天台家の本尊なり。中堂の如きこれなり。法華は勿論(もちろん)依経なり。仁王は鎮護(ちんご)国家の三部の内なる故なり。健抄一 四十二に云云。第五は真言宗、第六は禅宗なり。故に別というなり。若し第七第八は実に諸宗に通ず。故に通というなり。
一、空観の月を(すま)し文。
 己心の月を澄せば則ち有為(うい)の妄想あることなし。若し有為の妄想なくんば、何ぞ三災七難を起すべけんや。故に観念を以て祈りと為すなり。
一、万民百姓(ひゃくせい)文。
 日我云く「(ただ)是れ諸民なり。日本の姓を百に分ちて、二十を以て公家(くげ)と為し、八十を以て武家となす。『武士(もののふ)の 八十(やそう)()(かわ)』と云うは是なり」と云云。

私に云く、承久の乱の時、清水寺の(きょう)月房(げつぼう)が院中に参り宇治に向い、生け捕れてよめる、

ちょくなれば身をば捨ててき武士もののふの 

  八十宇治川の瀬には立たねど 云云。



          つづく

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by johsei1129 | 2015-03-17 22:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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