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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 03月 13日

立正安国論愚記一


正徳五乙未(きのとひつじ)六月二十四日 大貳(だいに)日寛之を記す

一、御書結集の事。

目録に云く「御一周忌に之を集む」と云云。(しょう)(しょう)に云く「三年の()を限り()けて録す」と云云。蒙に云く「録内(ろくない)百四十八通、録外(ろくげ)三百余通、一周忌・三回忌の(みぎり)、六老僧等の結集なり」と云云。
 この事(おのおの)いあり。愚案記の第三、五十四、家中抄(けちゅうしょう)上巻に云云。

一、述作年代の事

蒙に云く「(にん)(のう)八十八代()(ふか)(くさ)院の御宇(ぎょう)、文応元年」文。
今謂わく、この義(しか)らず。実に人王八十九代亀山院の御宇、文応元(かのえ)(さる)年なり。後深草は一年已前の正元元年(つちのと)(ひつじ)十一月二十六日に譲位、同じき十二月二十八日に亀山院即位するなり。即位の翌年正元二庚申年に改元あって文応元年と号するなり。故に文応元年は(ただ)亀山の年号なり。何ぞ後深草といわんや。

鎌倉将軍譜十八に云く「亀山院の文応元年七月十六日、沙門(しゃもん)日蓮安国論一巻を作り、以て時頼に(けん)ず」と已上。

王代一覧の五、三十六に云く「八十九代亀山院の文応元年七月、僧日蓮鎌倉に(いた)る。時頼対面す」と文。家中抄並びに日我抄(にちがしょう)も皆この意なり。愚案記一 終。

将軍は鎌倉九代の中に第六(むね)(たか)親王。執権時宗幼稚なる故に、時頼入道最明寺、(なお)世務を沙汰する故に、宿屋入道に(たく)し以て時頼に献ずるなり。時頼は文応元年より五年已前の(こう)(げん)元年十一月二十三日に落髪す。時に三十歳、法名は道宗、また覚了房と号す。康元元年は即ち(けん)(ちょう)八年なり。この年、改元あって康元と号するなり。宿屋入道も(たつの)(くち)()(ずい)に驚き、(つい)に御弟子となり、(のち)に私宅を捨てて以て一寺を立つ。即ち今の(ぎょう)時山(じざん)光則寺(こうそくじ)これなり。行時は父の実名、光則は入道の名乗りなり。即ちこれ()の妙本寺の末寺なり。

妙本寺は比企(ひき)の大学三郎の建立なり。この人に安国論の草案を見せしむ。これ(すなわ)ち時の大儒(たいじゅ)文者(ぶんしゃ)なる故なり。

  1. この論縁起(えんぎ)の事

(およ)そ後の五百歳中広宣流布の時(すで)に来る。故に本化(ほんげ)上行菩薩は(ひとえ)に付嘱を重んじ、大悲に住す。身は皆金色(こんじき)の光を和らげ、名字(みょうじ)童形(どうぎょう)(ちり)(まじ)わり、(つい)に人王八十五代後堀川院の貞応(じょうおう)元年壬午二月十六日午の(こく)を以て房州(ぼうしゅう)小湊(こみなと)の浦に生まる。御父は貫名(ぬきな)五郎平重実(しげざね)の息・重忠(しげただ)なり。十二歳に入室し、十六歳に落髪(らくはつ)す。学は八宗に(わた)(ぞう)は三般に入る。建長五(みずの)(とうし)四月二十八日、朝陽、(まゆ)()げて始めて経題を唱う。一宗の濫觴(らんしょう)この一涓(いっけん)に在り。()時に当り(しょう)()元の初め、大地(はなは)(ふる)彗星(すいせい)(じょう)(あま)る。風雨・飢饉年を(かさ)ね月を積む。師この変動の洪基(こうき)(かんが)えたまうに、これ偏に国中の謗法(ほうぼう)に由る。王臣これを(さと)らず。夫れ謗法を見て責めざるは仏子に非ず、不義を見てこれを(いさ)めずんば忠臣に非ざるが故にこの論を作り以て時頼に(けん)ずるなり。

一、この論所破(しょは)の事

一往附(いちおうふ)(もん)の辺は、但哀音(ただあいおん)の念仏に在り。これ亡国の洪基(こうき)の故なり。詩の伝に云く「亡国の音は悲しんで(いん)す」と云云。(まこと)(よし)あるかな。故に一部の始終、(もっぱ)ら法然の謗法を破す。仍って天台・真言を以て倚頼(いらい)と為すは、これ則ち立宗の草創なるが故に養利(ようり)(たん)(どん)の故なり。

若し再往元意の辺は、広く諸宗に通ずるなり。故に客の第一段に天台・真言・禅宗等の(いのり)(しるし)なきことを列し、主の第四段に至って結破(けっぱ)して云く「()かず彼の万祈(ばんき)を修せんよりは()一凶(いっきょう)を禁ぜんには」等云云。また云く(ただ)し法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」等云云。(いわん)撰時抄下に云く「文応(ぶんのう)元年(たい)(さい)庚申(かのえさる)七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷(やどや)の入道に向って云く禅宗と念仏宗とを失い給うべし」と云云。本尊問答抄に云く「真言宗と申すは一向に大妄語(だいもうご)にて候が深く其の根源をかくして候へば乃至立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人(ぐにん)は知り難し」等云云。故にこの論の所破は実に諸宗に通ずるなり。

              つづく

立正安国論愚記 目次



by johsei1129 | 2015-03-13 22:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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