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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 21日

法華経第七に云く「此の経は則ちこれ閻浮提の人の病の良薬なり」と説いた【可延定業御書事】

【可延定業御書】
■出筆時期:文永十二年(西暦1275)二月七日 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は富木常忍の妻、富木尼御前に宛てたご消息文です。富木尼御前は、夫の常忍が出家し入道となると共に自身も剃髪し尼になり、妙常と号した程の強信徒であった。しかし晩年は病魔に悩まされることが多かったようである。大聖人は本書でその尼御前に対して、法華経巻第七をひいて「此の経は則ち為(これ)閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり」と、法華経は定業(寿命)さえ伸ばすことができると諭されるとともに、ご自身が祈って悲母の病を癒し四年間寿命を延ばされた事を記して、法華経の信心に一層励むよう激励されておられる。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。
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[可延定業御書 本文]

 夫れ病に二あり。一には軽病。二には重病。重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す。何に況んや軽病をや。
 業に二あり。一には定業。二には不定業。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや。
 法華経第七に云く「此の経は則ち為(これ)閻浮提の人の病の良薬なり」等云云。此の経文は法華経の文なり。一代の聖教(しょうきょう)は皆如来の金言、無量劫より已来(このかた)不妄語の言なり。就中(なかんずく)此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝・証明を加え、諸仏・舌相を添え給う、いかでか・むなしかるべき。其の上最第一の秘事はんべり。此の経文は後五百歳・二千五百余年の時、女人の病あらんと・とかれて候文なり。

 阿闍世王は御年五十の二月十五日に大悪瘡・身に出来せり。大医・耆婆(ぎば)が力も及ばず。三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき。五十余年が間の大楽一時に滅して一生の大苦・三七日にあつまれり。定業限りありしかども仏・法華経をかさねて演説して涅槃経となづけて大王にあたい給いしかば、身の病・忽ちに平愈し、心の重罪も一時に露と消えにき。

 仏滅後一千五百余年、陳臣と申す人ありき。命・知命(ちめい)にありと申して五十年に定まりて候いしが、天台大師に値いて十五年の命を宣(の)べて六十五までをはしき。其の上不軽菩薩は更増(きょうぞう)寿命ととかれて・法華経を行じて定業をのべ給いき。彼等は皆男子なり、女人にはあらざれども法華経を行じて寿をのぶ。又陳臣は後五百歳にもあたらず、冬の稲米(とうまい)・夏の菊花のごとし。当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花、誰か・をどろくべき。

 されば日蓮悲母(はは)をいのりて候しかば・現身に病をいや(治)すのみならず四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給う。心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務(なかつかさ)三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。
 命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりとも・これを延るならば千万両の金(こがね)にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども・夭死(わかじに)あれば生(いける)犬に劣る。早く心ざしの財(たから)をかさねて・いそぎいそぎ御対治あるべし。
 此れよりも申すべけれども、人は申すによて吉事(よきこと)もあり又我が志のうすきか・をもう者もあり。人の心しりがたき上・先先に少少かかる事候。此の人は人の申せば・すこ(少)そ・心へずげに思う人なり。なかなか申すは・あしかりぬべし。但なかうど(中人)もなく・ひらなさけに又心もなく・うちたのませ給え。去年(こぞ)の十月これに来りて候いしが、御所労の事をよくよくなげき申せしなり。当事大事のなければ・をどろかせ給わぬにや。明年正月二月のころをひは、必ずをこるべしと申せしかば・これにも・なげき入つて候。富木殿も此の尼ごぜんをこそ杖柱とも恃(たのみ)たるに・なんど申して候いしなり。随分にわび候いしぞ。きわめて・まけじ(不負)たまし(魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり。

 かへすがへす身の財をだに・をしませ給わば此の病・治(いえ)がたかるべし。一日の命は三千界の財にもすぎて候なり。先ず御志をみみへさせ給うべし。法華経の第七の巻に三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼きて仏・法華経に供養せよと・とかれて候はこれなり。

 命は三千にもすぎて候。而も齢(よわい)もいまだ・たけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらを(惜)しの命や・をしの命や。御姓名並びに御年を我とかかせ給いて・わざと・つかわせ。大日月天に申しあぐべし。いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば、日月天に自我偈をあて候はんずるなり。恐恐。
              日 蓮 花押
尼ごぜん御返事




by johsei1129 | 2019-10-21 18:33 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)


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