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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 10月 02日

釈尊ほどの仏を<略>供養し奉るよりも<略>法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりと説いた国府尼御前御書

【国府尼御前御書】
■出筆時期:文永十一年(西暦1274年)六月十六日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中 草案にて。
■出筆の経緯:本書は文永十一年三月、佐渡赦免となつた大聖人が身延山中で草庵を構えられた頃、佐渡で大聖人を外護された国府入道が見参し、妻と阿仏房の尼御前との供養の品を届けられたことへの返書となっている。
大聖人は法華経法師品第十を引いて「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我(釈尊)が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復た彼(釈尊を讃える)に過ぎん」と説き、法華経の行者に供養する功徳は釈尊を一劫という、はてしなく長いあいだ称える功徳に優ると、国府入道夫妻が佐渡の地で、人目を忍んで夜中に大聖人のもとに食を届けてくれた志を称えれておられる。

[妙法蓮華経法師品第十の該当する偈]
有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃
由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼

■ご真筆: 佐渡・妙宣寺 所蔵。
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[国府尼御前御書 本文]

 阿仏御房の尼ごぜん(御前)よりぜに(銭)三百文。同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ。

 単衣(ひとえぎぬ)一領・佐渡の国より甲斐の国・波木井(はきり)の郷の内の深山まで送り給(たび)候い了んぬ。
 法華経・第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈(げ)を以て讃めん。是の讃仏(さんぶつ)に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(ま)た彼に過ぎん」等云云。
 文の心は釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間・ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳は・すぐれたりと・とかれて候。まこと(実)しからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑うべきにあらず。
 其の上・妙楽大師と申す人、此の経文を重ねて・やわ(解)らげて云く「若(も)し毀謗(きぼう)せん者は頭(こうべ)七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云。釈の心は末代の法華経の行者を供養するは、十号を具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世(じょくせ)に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべしと云云。

 夫れ日蓮は日本第一のゑせ(僻)ものなり。其の故は天神七代は・さておきぬ、地神五代も又はかりがたし。人王始まりて神武より今に至るまで九十代、欽明天王(皇)より七百余年が間、世間につけ仏法によりても、日蓮ほど・あまねく人にあだ(怨)まれたるものは候はじ。守屋が寺塔をやき、清盛入道が東大寺・興福寺を失(う)せし、彼等が一類は彼がにくまず。将門(まさかど)・貞たう(任)が朝敵と成りし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州の比丘(びく)・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四衆には・にくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法(朋)・上一人・下万民・一人ももれず、父母のかたき(敵)のごとく、謀反強盗(むほん・ごうとう)にも・すぐれて・人ごとに・あだをなすなり。されば或時は数百人にの(詈)られ、或時は数千人に取りこめられて刀杖(とうじょう)の大難にあう。所を・をはれ国を出ださる。結句は国主より御勘気二度、一度は伊豆の国・今度は佐渡の嶋なり。

 されば身命をつ(続)ぐべき・かつて(資糧)もなし、形体を隠(かく)すべき藤(ふじ)の衣(ころも)ももたず、北海の嶋に・はなたれしかば彼の国の道俗は相州の男女よりも・あだをなしき。野中(のなか)に捨てられて・雪にはだ(肌)へをまじえ、くさ(草)をつ(摘)みて命をささ(支)えたりき。彼の蘇夫(そぶ)が胡国に十九年・雪を食うて世をわたりし、李呂(陵)が北海に六ケ年・がんくつ(岩窟)にせめられし、我は身にて・しられぬ。これは・ひとえに我が身には失(とが)なし。日本国を・たすけんと・をもひしゆへなり。

 しかるに尼ごぜん並(なら)びに入道殿は彼の国に有る時は人め(目)を・をそれて夜中に食ををくり、或る時は国のせめ(責)をも・はばか(憚)らず身にも・か(代)わらんと・せし人人なり。さればつら(痛)かりし国なれども・そ(剃)りたるかみ(髪)をうしろ(後)へひかれ・すすむあし(足)もかへりしぞかし。いかなる過去のえん(縁)にてや・ありけんと・おぼつかなかりしに、又いつしか・これまで・さしも大事なるわが夫(おとこ)を御つかい(使)にて・つかはされて候。ゆめ(夢)か・まぼろし(幻)か、尼ごぜんの御すがたをば・みまいらせ候はねども、心をば・これに・とどめをぼへ候へ。

 日蓮をこい(恋)しく・をはしせば、常に出ずる日・ゆうべに・いづる月を・をが(拝)ませ給え。いつ(何時)となく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり。又後生には霊山(りょうぜん)浄土に・まいりあひ・まひらせん。南無妙法蓮華経。

六月十六日             日 蓮  花押

さどの国のこう(国府)の尼御前




by johsei1129 | 2024-10-02 10:04 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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