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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 19日

鎌倉幕府の最大の実力者平左衛門頼綱にあてた第二回国家諫暁の書【一昨日御書】

【一昨日御書】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)九月十二日 五十歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は執権北条時宗の執事で、当時鎌倉幕府の最大の実力者であった平頼綱に宛てた書である。大聖人は「立正安国論」に本書に添えて平頼綱に献じている。謂わば本書は大聖人にとって第二回目の国家諫暁を実行した書であると言える。尚、平頼綱は、時宗が前々日の九月十日に行われた大聖人への問注の結果、佐渡流罪と決めていたにも関わらず、本書を献じた直後、秘密裏に兵を動かし大聖人を捕まえ竜の口で処刑しようと策謀し失敗することになる。
■ご真筆: 現存していない。

[一昨日御書 本文] 

 一昨日見参に罷入(まかりいり)候の条・悦び入り候。
 抑(そもそも)人の世に在る、誰か後世を思わざらん。仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり。爰(ここ)に日蓮比丘と成りしより・旁(かたがた)法門を開き、已に諸仏の本意を覚り・早く出離の大要を得たり。其の要は妙法蓮華経是なり。
 一乗の崇重・三国の繁昌の儀・眼前に流る。誰か疑網を貽(のこ)さんや。而るに専ら正路に背いて偏(ひとえ)に邪途を行ず。然る間・聖人国を捨て・善神瞋(いかり)を成し、七難並びに起つて四海閑(しず)かならず。
 方今世は悉く関東に帰し・人は皆士風を貴ぶ。就中(なかんずく)日蓮生を此の土に得て豈(あに)吾が国を思わざらんや。仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時、宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ。而るに近年の間・多日の程、犬戎(けんじゅう)浪を乱し夷敵国を伺う。先年勘え申す所、近日符合せしむる者なり。
 彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り、張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり。是れ皆時に当つて賞を得。謀(はかりごと)を帷帳(いちょう)の中に回(めぐ)らし、勝つことを千里の外に決せし者なり。
 夫れ未萠(みぼう)を知る者は六正の聖臣なり、法華を弘むる者は諸仏の使者なり。而るに日蓮忝(かたじけな)くも鷲嶺・鶴林(じゅれい・かくりん)の文を開いて鵝王・烏瑟(がおう・うしつ)の志を覚り、剰(あまつさ)え将来を勘えたるに粗符合することを得たり。先哲に及ばずと雖も・定んで後人には希なる可き者なり。
 法を知り国を思うの志・尤も賞せらる可きの処、邪法邪教の輩・讒奏讒言(ざんそう・ざんげん)するの間、久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず。剰(あまつさ)え不快の見参に罷り入ること、偏に難治の次第を愁(うれ)うる者なり。
 伏して惟(おもん)みれば・泰山に昇らずんば天の高きを知らず、深谷に入らずんば地の厚きを知らず。仍(よっ)て御存知の為に立正安国論一巻之を進覧す。勘え載する所の文は九牛の一毛なり、未だ微志を尽さざるのみ。
 抑(そもそも)貴辺は当時天下の棟梁(とうりょう)なり、何ぞ国中の良材を損せんや。早く賢慮を回(めぐ)らして須(すべから)く異敵を退くべし。世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す。
 是れ偏に身の為に之を述べず、君の為、仏の為、神の為、一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。

文永八年九月十二日            日  蓮  花 押

謹上 平左衛門殿




by johsei1129 | 2019-09-19 22:14 | 立正安国論(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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