日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 02月 21日

命限り有り惜む可からず、遂に願う可きは仏国也と説いた書【富木入道殿御返事】

【富木入道殿御返事】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)十一月二十三日 五十歳 御作。
■出筆場所:佐渡・塚原三昧堂にて。
■出筆の経緯:日蓮大聖人は佐渡に10月28日到着し、11月1日に地頭・本間重連の屋敷の後ろにあった塚原三昧堂に移られておられる。本書は塚原三昧堂に住まわれて最初に書かれた書で、古くからの信徒で信頼の厚かった富木常忍(入道)にあてられたご消息文である。本書では極寒の地佐渡の実情を伝えるとともに、「此の大法弘まり給ならば爾前迹門の経教は一分も益なかるべし」と断じ、自ら末法の大法を打ち立てることを示している。さらに、今後この地で末法の本仏して大法を書き記しているための資料として「一切経の要文智論の要文五帖一処に取り集め被る可く候」と、富木殿に依頼しておられる。最後に「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と大聖人の大願を示して文を結んでいる。    
■ご真筆: 現存していない。

[富木入道殿御返事 本文]

 此比は十一月の下旬なれば、相州鎌倉に候し時の思には、四節の転変は万国皆同じかるべしと存候し処に、此北国佐渡の国に下著候て後、二月は寒風頻に吹て霜雪更に降ざる時はあれども、日の光をば見ることなし。 八寒を現身に感ず、人の心は禽獣に同じく主師親を知らず何に況や仏法の邪正・師の善悪は思もよらざるをや、此等は且く之を置く。

 去ぬる十月十日に付られ候し入道、寺泊より還し候し時、法門を書き遣わし候き、推量候らむ。已に眼前なり、仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然たり、外は時の宜しきむに適う」云云。天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや。

 前相已に顕れぬ、去ぬる正嘉の大地震、前代未聞の大瑞なり。神世十二・人王九十代と仏滅後二千二百余年未曾有の大瑞なり。神力品に云く「仏滅度の後に於て能く是の経を持つが故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云。「如来の一切の所有之法」云云。但此の大法弘まり給ならば、爾前迹門の経教は一分も益なかるべし。伝教大師云く「日出て星隠る」云云。遵式の記に云く「末法の初西を照す」等云云。

 法已に顕れぬ、前相先代に超過せり。日蓮粗之を勘うるに、是時の然らしむる故なり。経に云く「四導師有り一を上行と名く」云云、又云く「悪世末法時能持是経者」、又云く「若接須弥擲置他方」云云。

 又貴辺に申付し一切経の要文、智論の要文、五帖一処に取り集め被る可く候。其外論釈の要文散在あるべからず候。又小僧達談義あるべしと仰らるべく候。流罪の事痛く歎せ給ふべからず、勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也云云。

文永八年十一月二十三日    日 蓮 花押
富木入道殿御返事
小僧達少少還えし候、此国の体為(ていたらく)、在所の有様御問い有る可く候、筆端に載せ難く候。

by johsei1129 | 2015-02-21 22:24 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
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