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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 21日

上(幕府)のせめさせ給うにこそ法華経を信じたる色(姿)もあらわれ候へ、と説いた【土木殿御返事】

【土木殿御返事】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)九月十四日 五十歳御作
■出筆場所:相模依智の本間重連の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書述作の二日前、九月十二日に日蓮は竜の口で処刑されるという生涯最大の難に遭われている。光り物の出現で処刑できなかった結果、大聖人は一ヶ月ほど相模依智の本間重連(佐渡守護代)の屋敷に預かりのみとなる。
 本書は古くから大聖人に帰依していた日蓮信徒の重鎮、土木(富木)常忍に宛てた手紙である。大聖人は本書で始めて、法華経勧持品第十三に説かれている「数数見擯出(法華経の行者が権力の弾圧で度々所を追われる)」の文言を引用されている。このことで大聖人は、伊豆流罪と佐渡流罪により、法華経で説く数数(度々)を身読したとの確信を示している。
■ご真筆: 京都・本満寺 所蔵。
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[土木殿御返事 本文]

此の十二日酉(とり)の時(午後6時~8時)、御勘気。武蔵守殿御あづかりにて十三日丑の時に、かまくらをいでて佐土の国へながされ候が、たうじはほんま(本間)のえち(依智)と申すところに、えちの六郎左衛門尉殿の代官、右馬太郎と申す者あづかりて候が、いま四五日はあるべげに候。

 御歎きはさる事に候へども、これには一定と、本よりご(期)して候へば、なげかず候。
 いままで頚の切れぬこそ本意(ほい)なく候へ。
 法華経の御ゆへに過去に頚をうしないたらば、かかる少身のみにて候べきか。
 
 又数数見擯出(さくさくけんひんずい)ととかれて、度度失にあたりて重罪をけ(消)してこそ、仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆへなり。


九月十四日   日 蓮 花押
土木殿御返事

上(幕府)のせめさせ給うにこそ法華経を信じたる色もあらわれ候へ。
月はかけてみち、しを(潮)はひ(干)てみつる事疑なし。
此れも罰あり必ず徳あるべし、なにしにかなげ(嘆)かん。






by johsei1129 | 2019-09-21 23:01 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
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