次に薄墨を用いる道理とは、
問う、法衣の色に但薄墨を用いる其の謂われ如何。
答う、亦多意有り。
一には是れ名字即を表するが故なり。謂わく、末法は是れ本未有善の衆生にして最初下種の時なり、然るに名字即は是れ下種の位なり、故に荊渓云わく「聞法を種と為す等」云云。聞法豈名字に非ずや、種と為す豈下種の位に非ずや。故に名字即を表して但薄墨を用うるなり。
二には是れ他宗に簡異せんが為なり。謂わく、当世の他宗名利の輩は内徳を修せず専ら外相を荘り綾羅錦繍以て其の身に纏い、青黄の五綵衆生を耀動す。真紫の上色・金襴の大衣は夫人・孺子をして愛敬の想いを生ぜしめ、以て衆人の供養を俟つなり。今此くの如きの輩に簡異せんが為に、但薄墨を用いるなり、薩婆多論に「外道と異にする為に三衣を着す」と言うは是れなり。
三には是れ順逆二縁を結ばんが為なり、謂わく、僧祇律に云わく「三衣は是れ賢聖沙門の標幟なり」、済縁記に云わく「軍中の標幟は別かつ所有るが故に」云云。標幟は即ち是れ旗幟なり。凡そ諸宗諸門の標幟と当門の標幟と其の相雲泥にして源平の紅白よりも明らかなり、故に信ずる者は馳せ集まりて順縁を結び、謗る者は敵と成って逆縁を結ぶ、故に但薄墨を用いうるなり。
四には是れ自門の非法を制せんが為なり、悲しい哉、澆季の沙門行跡多くは宜からず、是れ併しながら自宗・他宗、自門・他門皆是れ黒衣等にして更に分かつ可き所無きが故に悪侶心を恣にして多く非法を行じ、猶罪を他宗他門に推さんとす。然るに当門流の法衣は顕著にして更に紛るる所無し、故に名乗らずと雖も而も万人之を知る、故に若侶たりと雖も尚強いて之を恥じ忍んで多くは非法を行ぜず、故に但薄墨を用いるなり。
註解
〇澆季 世の道徳・人情が腐敗していること。世の末。末の世。末世。澆は薄の意。
日蓮大聖人の薄墨を説く につづく
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