次に「後に化他の為」の下は垂迹化他、亦分かちて二と為す、初めに本果已後、次に「王宮」の下は今日、亦分かちて二と為す。初めに能説の教主、次に「四十余年」の下は所説の法、亦分かちて二と為す。初めに爾前、次に「其の後」の下は法華経なり、法華の文略なり、然りと雖も既に「種子の理を説き顕わす」と云う故に文底の顕本皎在目前なり、若し上来の旨を得る則は此の文意を知らん云云。
当体義抄に云わく「釈尊五百塵点の当初、此の妙法当体の蓮華を証得し、世々番々に成道を唱え能証所証の本理を顕わす」云云。此の文略なりと雖も其の意前に同じ、初めに本地の自行を明かし、次に垂迹化他を明かすなり。已に「能証所証の本理を顕わす」豈文底の顕本に非ずや。此の文底の顕本を亦「我が内証の寿量品」と名づくるなり。
「我が内証の寿量品」とは本因妙の事なり につづく
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