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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 17日

日蓮大聖人の発迹顕本を説き明かす 【当流行事抄】寿量品篇六


問う、本果の成道正しく本門を説く証文如何(いかん)

答う、今文分明なり。況や復(せん)の第七に云わく「又()(こん)とは即ち是れ昔日()(とく)の已今を本と為し、中間(ちゅうげん)今日(こんにち)所対の已今を迹と為し、四味及び迹門を已と為し、長遠(ちょうおん)の寿を開するを今と為す」等云云。昔日と言うは正しく本果を指す、「已得已今」とは本果所説の四味及び迹門を已と為し、(しか)して寿量を説くを今と為すなり云云。明文(ここ)に在り、()えて之を疑うこと(なか)れ。

次に「中間(ちゅうげん)示現(じげん)等と言うは、中間の文は前に之を示すが如し、第二番後、今日(こんにち)已前なり。故に知んぬ、本証より下の二十四字は正しく本果を明かすなり。台家の学者異義多端(たたん)なり、故に亦之を示すなり。「発迹顕本(また)最初を指して本と為す」等は准説(じゅんせつ)して知んぬべし。

三に今日(こんにち)の発迹顕本亦最初を指して本と為すとは、故に知んぬ、今日の発迹顕本の文に「()(じつ)成仏」と云うとは、正しく久遠元初の自行の成道を指す。故に亦最初を指して本と為すと云う。文底の顕本(むし)炳焉(へいえん)に非ずや。

 四に「未来の発迹顕本(また)最初を指して本と為す」とは、未来と言うとは即ち末法を指すなり、末法の発迹顕本とは蓮祖即ち久遠元初自受(じじゅ)(ゆう)(しん)と顕わる。是れを末法の発迹顕本と名づくるなり。


              日は大聖人、月は釈尊  種脱相対の手本なり につづく


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by johsei1129 | 2015-01-17 15:45 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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