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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 11日

教の浅深を知らざれば理の浅深を知る者なし 【当流行事抄】方便品篇四


問う、迹本の実相(まさ)に何の(こと)有って「迹の文証を借り本の実相を顕わす」と言うや。

答う、二門の実相(あに)浅深無からん、所詮(しょせん)の実相若し浅深無くんば(のう)(せん)の教も勝劣無かるべし。能詮の勝劣(あたか)も天地の如し、所詮の浅深何ぞ水火に異ならんや。

妙楽大師の()一末に云わく「一期(いちご)の仏教並びに所詮を()って体と為す、体(また)教に随い権実一ならず」等云云。

伝教大師の守護章の(ちゅう)に云わく「(およ)そ能詮の教(ごん)なれば所詮の理も亦権なり、能詮の教(じつ)なれば所詮の理も亦実なり」等云云。

宗祖云わく「教の浅深を知らざれば理の浅深を知る者無し」等云云、故に理の浅深を知れば全く教の浅深を知る。何ぞ(わずら)しく異解(いげ)を生ず可けんや。(いわん)(また)(しゃく)()は是れ所開にして本理は是れ能開なり。

故に(げん)の九に云わく「開迹顕本此れ(また)理に()く」云云。

荊渓(けいけい)(せん)第七に云わく「今此の本門は身に約し事に約す、身事を開すと雖も(なお)(すべから)く理を開すべし」等云云。

宗祖云わく「能開・所開を(わきま)物知り顔に申し候なり」云云。
 況や復妙楽大師の記の九に云わく「此の釈を()さざれば(なお)(しゃっ)(きょう)の中の実を見ること(あた)わず、況や開顕の実をや、況や久遠の実をや」云云。()し浅深無くんば(なん)ぞ「何況(がきょう)と云わんや。

又妙楽(ほん)()称歎(しょうたん)して云わく「(ひそ)寿量を開す、是第一義とは即ち此れ一部最極の理、(あに)第一に非ずや」云云。若し浅深無くば何ぞ「最極」と云わんや。

天台大師の(しょ)第十に云わく「仏の本地の深遠(じんのん)を聞き、深遠に信順して(さから)わず」等云云。

妙楽釈して云わく「但()すこと久本(くほん)に在り、功は実証に帰す、理は深く、事は遠き故に深遠と云う」云云。若し浅深無くんば何ぞ()(じん)と云わんや。

宗祖云わく「経に唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)乃能(ないのう)究尽(くじん)とは迹門の仏当分(とうぶん)に究尽する辺を説くなり、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮(しりょ)に及ばず」等云云。

  故に知んぬ、開山の(こころ)は迹仏究尽の実相の文を借りて本地難思(なんし)の境智の妙法を顕わす故に、迹の文証を借りて本の実相を顕わすと云うなり。若し諸文の中に実相(どう)を明かすは是れ()を明かさんが為に(しばら)く同を示すのみ。
 (けい)(けい)の云わく「()(つう)()ること無くんば(いずく)んぞ()く別を知らん」等云云。



           文は迹門にあり、義は本門にあり につづく



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by johsei1129 | 2015-01-11 14:11 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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