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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 04日

御本仏に迷う者は御本尊に迷う 【末法相応抄下】六


問う、義意()し難し、(つぶさ)に之を聞くことを得んや。

答う、此の一文を釈するに且く三門に約す。初めに異解(いげ)(ちょう)し、次に邪難を破し、三に正義を示す。初めに異解を牒すとは既に「本門の教主釈尊を本尊と為す可し」と云う、然るに「所謂(いわゆる)(また)釈迦()ぐ、(いわ)解有り

有るが()わく「今人の本尊を明かす。而に本仏・迹仏相対する(なお)天月・水月の如し。故に本門の教主釈尊に望めば則ち迹門塔中(たっちゅう)の釈迦は便ち(きょう)()と成るなり、例せば本尊抄(さん)(ぺん)土田(どでん)を無常土に属するが如し」云云。

有るが謂わく「(いま)法の本尊を明かす故に所謂の下に妙法中尊の義を顕わして釈迦・多宝等を脇士と為すなり。然るに標の文に本門の教主釈尊を本尊と為すべしと云うは、(すで)に人法一体なる故に能証の釈尊に寄せて所証の妙法を顕わすなり。然も(ただち)に妙法を本尊と為すべしと云わざる所以(ゆえん)は、第三の本門の題目に簡異(かんい)する故なり。
 本尊抄に「
塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」等と云う。之を思い合わすべし。云云。

有るが謂わく「今の文は標釈是れ(いっ)(てつ)なり。故に文の意は謂わく、本門の教主釈尊を本尊と為すべし、所謂宝塔の中の釈迦なり、多宝以外(そのほか)の諸仏等は脇士と為るべし云云。例せば取要抄に多宝所従とするが如きなり」。

有るが謂わく「今の文は標釈是れ一轍なるに非ざるなり。故に文の意の()わく本門の教主釈尊を本尊と為すべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝なり以外の諸仏等は脇士(きょうじ)と成るべし云云、是れ標の文は単に釈尊を挙ぐと雖も而も所謂の下は境智不二の義に約して二仏(とも)に本尊と為すなり。(しか)る所以は二仏の境智冥合に寄せて兼ねて妙法本尊の義を顕わすなり」。

啓蒙(けいもう)十五に此等の義を挙げ(おわ)って云わく「祖意(はか)り難し、衆義並び存す」と云云。多難有りと雖も(しばら)く置いて未だ論ぜず。


                  末法の御本仏に十四の明文  につづく


by johsei1129 | 2015-01-04 13:20 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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