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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 01日

法華折伏の掟を論ず 【末法相応抄上】七


問う、日賙(にっしゅう)略要集に玄文第七の文を釈して云わく「迹権本実より非権非実に至る、是れ一往なり。(たん)(やく)()法性(ほっしょう)の下は是れ再往なり。例せば興師の御草案に、(ただ)四悉の廃立、二門の取捨宜しく時機を守り、敢えて偏執すること勿れと云うが如し、十章抄に、円の行(まちまち)なり、砂を数え大海を見る、(なお)円の行なり、何に況や爾前経を読み弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや、但し此等は時々(よりより)の行なるべし、真実の円の行に順じ口号(くちずさみ)にすべき事は南無妙法蓮華経なりと云うが如し」已上、此の義如何(いかん)

答う、十章抄を以て用いて玄文に例す、此れ則ち(しか)るべし、但し四悉を以て十章抄に(どう)ず、此れ則ち不可なり。若し強いて一例を言わば、難じて云わく、悲しい哉痛ましい哉、(たん)(しょう)五字の題目空しく弥陀の名号に同じく、不惜身命の立行も(さん)(じゅ)の修行に異ならず、勧持・不軽の明文(いたずら)に爾前権説の如く、上行弘通の現証(かえ)って虚戯(こけ)の行と成る、(いか)()ん、何に為ん、学者思量せよ。

本因妙抄に云わく「彼は安楽・()(げん)の説相に()り、此れは勧持・不軽の行相を用ゆ」云云。三位(さんみ)日順詮要抄に云わく「迹化(しゃっけ)は世界悉檀に准じて摂受の行を修し、高祖は法華折伏の(おきて)に任せて謗法の邪義を破す。彼は安楽・普賢の説相に依るとは摂受門の修行なり、読誦等の因に依って六根清浄の位に至る。此れは勧持・不軽の行相を用ゆとは折伏門を本と()し、不専読誦の上に不軽の強毒(ごうどく)(ぬき)んず」云云。然らば則ち末法の折伏は法華流通の明鏡、時機相応の綱格なり、何ぞ此れを以て一往の義と為すや。

問う、若し爾らば「(ただ)四悉」等の例文如何。

答う、譬喩品に云わく「(ただ)(ねが)って大乗経典を受持して乃至余経の一()云云。「但楽受持大乗経典」とは是れ勧門なり、即ち「但四悉廃立二門取捨宜守時機」に同じ。「乃至不受余経一偈」とは是れ誡門なり、即ち「敢勿偏執」に同じ云云。止観に云わく「(ただ)法性を信じて其の(もろもろ)云云。会疏(えしょ)に云わく「取捨得宜不可一向」云云。並びに勧誡の二門有り、学者説に准じて知るべし。

  ふたたび一部読誦の私情を破す につづく

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by johsei1129 | 2015-01-01 15:04 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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