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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 12月 31日

末法正業の題目を説く 【末法相応抄】四 


 問う、又云わく、
転重軽受鈔十七・二十九に云わく「(いま)日蓮法華経一部読んで候、一句一偈(なお)授記(じゅき)(こうむ)れり、何に(いわん)や一部をやと(いよいよ)(たの)もしく候云云、此の文如何。

答う、此れは是れ身業(しんごう)読誦にして口業(くごう)読誦に非ざるなり。此の抄は文永八年辛未九月十二日(たつの)(ぐち)の後、相州(そうしゅう)()()に二十余日御滞留(たいりゅう)の間、佐州(さしゅう)(うつ)されんとする五日()(ぜん)十月五日の御書なり。此の時法華経一部(みな)御身に当てて之を読む故なり。

是の故に次ぎ上の文に云わく「不軽菩薩・覚徳比丘は身に当てて読み(まい)らせ候、末法に入って日本国当時は日蓮一人と見えて候」云云。前後の文相(もんそう)分明なり、正に是れ身業読誦なり、(なん)ぞ此の文を引いて口業の読誦を証せんや。下山抄二十六三十七に「法華経一部読みまいらせ」等の文の意もまたしかなり云云。

問う、日辰が御書抄の意に謂わく「身業(すで)(しか)り、口業も亦然らん」云云、此の義如何。

答う、今反難(はんなん)して云わく、()し爾らば不軽菩薩は(ただ)身業に読誦して口業に読誦せざるは如何。

宗祖の云わく不軽(ふきょう)菩薩は身に当てて読み進らせ候」云云。(あに)身業の読誦に非ずや。(また)経(常不軽品)に云わく「不専読誦経典(たん)(ぎょう)礼拝」云云。(むし)ろ口業不読に非ずや、何ぞ必ずしも一例ならんや。

問う、彼の抄次ぎ上に観行即の例を引いて云わく「行ずる(ところ)言う所の如く、言う(ところ)行ずる所の如し」云云。(あに)身口一例に非ずや。

答う、此れは是れ(ずい)()転用(てんゆう)なり、今の所引(しょいん)の意は行者の所行(しょぎょう)は仏の所言の如く、仏の所言は行者の所行の如し云云。仏の所言は即ち是れ経文なり。故に次ぎの文に云わく「彼の経文の如く振舞う事(がた)く候」云云。

問う、真間(まま)の供養抄に云わく「法華経一部を仏の御六根に読み入れ進らせて生身(しょうしん)の教主釈尊に成し進らせ返って迎い進らせ給え」等云云、此の文如何。

答う、(しばら)く一縁の(ため)(なお)造仏を歎ず。故に知んぬ、開眼も亦()(よろ)しきに(したが)うか。宗祖云わく「仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経なり」云云。

問う、又日辰が記に云わく「法蓮慈父(じふ)十三年の為に法華経五部を転読す、()し読誦を以て(ぼう)(ざい)に属せば何ぞ之を責めずして(かえ)って(しょう)(たん)したもうや」云云、此の難如何。

答う、一経読誦を許さざる所以(ゆえん)は是れ正業を妨げ折伏を()ゆるが故なり、(なん)ぞ読誦を以て直ちに謗罪に属せんや、法蓮(いとま)の間に或は一品二品之を読み(つい)に五部と成る。本意に非ずと(いえど)も而も弘通(ぐつう)の初めなり、況や日本国中一同に称名(しょうみょう)念仏三部経等なり、而るに法蓮、妙経を読誦す、(あに)称歎せざらんや。

問う、又云わく「若し不雑(ふざつ)()(ぶん)の四字に依り一部読誦を禁制せば何ぞ(また)方便・寿量を読誦するや、是れ亦題目の外の故なり」云云、此の難如何。

答う、「不雑余文」の四字に()るに非ず、正しく「不許(ふこ)一経読誦」の六字に依るなり。

問う、又云わく「(なお)一経の読誦を許さずとは末法初心の正業に約す、若し助行に至っては之を許すべき旨分明(ふんみょう)なり」云云、此の義如何。

答う、若し(しか)らば其の分明の文如何。四信抄の意の謂わく「若し正業に於ては専ら題目を持ちて余文を雑えず、若し助業に於いてもなお一経の読誦を許さず、いかに況や五度をや」云云。


  不軽菩薩の不専読誦を説き明かす  につづく

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by johsei1129 | 2014-12-31 19:20 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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