第五に教法流布の前後を知るとは、太田抄に云わく「迦葉・阿難は小乗教を弘通し、竜樹・無著は権大乗を申ぶ、南岳・天台は観音・薬王の化身として小大・権実・迹本二門、化導の始終・師弟の遠近等悉く之を宣ぶ、其の上已今当の三説を立てて一代超過の由を判ず。然りと雖も広略を以て本と為し肝要なる能わず、自身之を存ずと雖も敢えて他伝に及ばず」云云。
既に像法の中に於て広略二門を弘通す。故に知んぬ、今末法に於て応に但要法を弘通すべきなり。此くの如く知るを則ち之教法流布の前後を知ると謂うなり。
問う、宗教の五義最も皎然なり、正しく其の証文如何。
答えて云わく、文(寿量品)に云わく「是の良薬を今留めて此に在く、汝取りて服す可し、差えじと憂うる勿れ」文。
応に知るべし「是好良薬」は即ち是れ教を明かす、他の毒薬に対して是好良薬と云う故に勝劣分明なり。
「今留」の二字は即ち時を明かすなり、滅後の中にも別して末法を指すなり。
「在此」の両字は是れ国を明かすなり、閻浮提の中に別して日本を指すなり、「汝」の一字は即ち機を明かすなり、三時の中に別して末法の衆生なり。
御義口伝に云わく「是好良薬は或は経教、末法に於て南無妙法蓮華経なり、今留とは末法なり、在此とは日本国なり、汝とは末法の衆生なり」略抄。若し四義を了せば則ち前後は其の中に在り。神力品に云わく「如来の滅後に於て仏の所説の経の因縁及び次第を知りて義に随って如実に説く」云云。応に知るべし「於如来滅後」は即ち時を知るなり「知仏所説経」は即ち是れ教を知るなり「因縁」亦感応と名づく、即ち機を知るなり「及」は即ち国を知るなり「次第」は即ち教法流布の前後を知るなり。
依義判文抄畢りぬ
六十一歳 日 寛(花押)
享保十-乙巳年四月中旬、大石の大坊に於て之を書す
【末法相応抄】日寛上人、われら末弟に正邪をしめす につづく
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