第七に神力品の「爾時仏告上行」等の文
神力品に云わく「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり、若し我是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て嘱累の為の故に此の経の功徳を説く、猶尽くすこと能わず、要を以て之を言わば如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す、是の故に汝等如来の滅後に於て応に一心に受持・読・誦・解説・書写し説の如く修行すべし、所在の国土に若しは受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行する有らん、若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎、若しは殿堂に在りても、若しは山谷曠野にても是の中に皆応に塔を起て供養すべし、所以は何、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう」已上。
今謹んで案じて曰く「爾時仏告上行」より下は是れ結要付嘱の文、四と為す。
一に称歎付嘱、二に「以要言之」の下は本尊付嘱、三に「是故汝等」の下は題目勧奨、四に「所在国土」の下は戒壇勧奨、亦三と為す。一に義の戒壇を示す、二に「是中皆応」の下は正しく事の戒壇を勧む、三に「所以者何」の下は釈。
初めに称歎付嘱とは将に之を付嘱せんとするに、先ず所属の法体、本門の本尊の功徳を歎ず、故に称歎付嘱と云うなり。文中に「説此経功徳」と言うは即ち是れ本門の本尊、妙法蓮華経の功徳なり。
二に「以要言之」の下は本尊付嘱とは即ち是れ如来の一切の名体宗用は皆本門の本尊、妙法蓮華経の五字に於て宣示顕説する故に「皆於此経」等と云うなり。此の本尊を以て地涌千界に付嘱する故に「其の枢柄を撮りて而して之を授与す」と言う、豈本尊に非ずや。
本門の本尊の相貌を説く につづく
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