問う、有る人云わく「名体宗用教は序品より起こる故に迹門の五重玄なり、今本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず。故に本迹一致なり」云云。此の義如何。
答う、彼の義の如くんば則ち迹門には永く約説の次第なく、本門にも亦約行の次第無きなり云云。
難じて云わく、若し爾らば天台何ぞ玄文の中に於て但約行の次第を以て並びに迹本二門の五重玄を明かすや是一。
妙楽云わく「迹を以て本に例す」云云。又云わく「迹を借らずんば何ぞ能く本を識らん」云云。今迹を以て本に例し、迹を借りて本を識る、豈本門の約行の次第無かるべけんや是二。
況や復序品は並びに迹本を表わす。故に記の三上二十一に曰く「近は則ち迹を表わし遠は本を表わす」云云。能表既に是れ約行の次第なり、所表の本門豈約行無ならんや是三。
況や復迹門の開示悟入は正しく是れ約行なり。故に玄の一に曰わく「開示悟入亦行の次第に約す」云云。然るに顕本して後は即ち本門の開示悟入と成る、故に記の八に云わく「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も若し顕本し已れば即ち本の要と成る」云云。本門の約行豈分明なるに非ずや是四。
記の第一に云く「本地の総別は諸説に超過す、迹中の三一は功一期に高し」云云。道暹曰く「一は則ち前の十四品に超え、二は則ち一代の教門に超ゆ」云云、迹本二門五重玄の勝劣文に在りて分明なり、何ぞ本迹一致と云わんや是五。
三大秘法は宝山と説く につづく
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