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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

日蓮は日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかしと説いた【一谷入道女房 御書】

【一谷入道女房御書】
■出筆時期:建治元年(西暦1275年) 五月八日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて
■出筆の経緯:本書は佐渡国(いちのさわ)村の名主であったと思われる一谷入道の女房に宛てられた書である。一谷入道は佐渡流罪中、大聖人に帰依はしなかっが日々の振る舞いを見て次第に敬意を寄せ、何かと大聖人を擁護するようになったものと思われる。本書では、鎌倉から佐渡の大聖人を訪ねてこられた日妙尼の帰りの資金を大聖人が一谷入道に口添えし用立てもらった際、「法華経十巻」を渡す約束をされていたが、いざ渡す段になり未だ念仏を信仰している入道が「地獄に堕つるならば還つて日蓮が失になるべし」と思いとどまり、「入道よりもうばにてありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ」と、法華経に関心を寄せていた一谷入道の姥に宛てて渡すことにしたことが記されている。さらに本書文末では、一谷入道女房に対し「閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき、おこがましき事とはおぼすとも其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ」と諭し、又佐渡流罪ご赦免以降佐渡の広布を担っていた学乗房に「此の法華経をば常に開かさせ給うべし、人如何に云うとも念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給うべからず」と結んで、念仏を捨て法華経に帰依するよう強く促がされている。
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■ご真筆: 千葉県茂原市・鷲山寺(じゅせんじ)ほか六箇所に断簡所蔵。

 去る弘長元年太歳辛酉五月十二日に御勘気を蒙つて・伊豆の国・伊東の郷と云う処に罪せられたりき、兵衛の介頼朝のながされてありし処なり、さありしかども程無く同三年太歳癸亥二月二十二日に召し返されぬ、又文永八年太歳辛未九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが・忽に頚を刎(はね)らるべきにて・ありけるが・子細ありけるかの故に・しばらくのびて北国佐渡の嶋を知行する武蔵の前司預りて・其の内の者どもの沙汰として彼の嶋に行き付いてありしが・彼の島の者ども因果の理をも弁へぬ・あらゑびす(荒夷)なれば・あらくあたりし事は申す計りなし、然れども一分も恨むる心なし、其の故は日本国の主として少しも道理を知りぬべき相模殿だにも国をたすけんと云う者を子細も聞(きき)ほどかず理不尽に死罪にあてがう事なれば・況(まして)や其の末の者どもの事はよきも・たのまれず・あしきも・にくからず。

 此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思い儲けしなり、弘演と云いし者は主(きみ)衛の懿公の肝を取りて我が腹を割(さ)いて納めて死にき、予譲と云いし者は主の知伯が恥をすすがんが・ために劒を呑んで死せしぞかし、是は但わづかの世間の恩を報ぜんが・ためぞかし。

 況や無量劫より已来六道に流転して仏にならざりし事は法華経の御ために身を惜み命を捨てざる故ぞかし、されば喜見菩薩と申せし菩薩は千二百歳の間・身を焼いて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳の間・臂を焼いて法華経を供養し奉る其の人は薬王菩薩ぞかし、不軽菩薩は法華経の御ために多劫の間・罵詈毀辱・杖木瓦石にせめられき、今の釈迦仏にあらずや、されば仏になる道は時により品品に替つて行ずべきにや、今の世には法華経は・さる事にて・おはすれども時によりて事ことなるなれば・山林に交わりて読誦すとも将又・里に住して演説すとも・持戒にして行ずとも臂を焼いて供養すとも仏には・なるべからず、日本国は仏法盛なるやうなれども仏法について不思議あり・人是を知らず、譬えば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人人は我も法を得たり我も生死を離れたる人とは思へども・立始(たてはじ)めし本師等・依経の心をも弁えず、但我が心の思い付いて有りしままに其の経を取り立てんと思へる墓無き心計りにて・法華経に背けば又仏意にも叶わざる事をば知らずして弘め行く程に・国主・万民是を信じぬ又他国へ渡り又年久しく成りぬ、末学の者共・本師の誤をば知らずして弘め習ひし人人をも智者とは思へり、源濁りぬれば流浄からず身曲りぬれば影直(なお)からず、真言の元祖・善無畏等は既に地獄に堕ちぬべかりしが・或は改悔して地獄を免れたる者もあり、或は唯依経を弘めて法華経の讃歎をも・せざれば・生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり、而るを末末の者・此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ、譬えば破(やぶれ)たる船に乗つて大海に浮び酒に酔(よえ)る者の火の中に臥せるが如し。

 日蓮是を見し故に忽に菩提心を発して此の事を申し始めしなり、世間の人人何に申すとも信ずる事はあるべからず、還つて流罪・死罪せらるべしとは兼て知つてありしかども・今の日本国は法華経に背き釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん事はさてをきぬ・今生にも必ず大難に値うべし、所謂他国より責め来つて上一人より下万民に至るまで一同の歎きあるべし、譬えば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに此の罪を千に分(わけ)ては受くべからず、一一に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経(ふ)べし、此の国も又又是くの如し、娑婆世界は五百塵点劫より已来・教主釈尊の御所領なり、大地・虚空・山海・草木・一分も他仏の有(もの)ならず、又一切衆生は釈尊の御子(みこ)なり、譬えば成劫の始め一人の梵王下つて六道の衆生をば生て候ぞかし、梵王の一切衆生の親たるが如く・釈迦仏も又一切衆生の親なり、又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にて・おはするぞかし、父母を知るも師の恩なり黒白を弁うも釈尊の恩なり、而るを天魔の身に入つて候・善導・法然なんどが申すに付いて・国土に阿弥陀堂を造り・或は一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り・或は百姓万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り・或は宅宅(いえいえ)・人人ごとに阿弥陀仏を書(かき)造り・或は人ごとに口口に或は高声に唱へ・或は一万遍・或は六万遍なんど唱うるに・少しも智慧ある者は・いよいよ・これをすすむ、譬へば火に・かれたる草をくわへ・水に風を合せたるに似たり、此の国の人人は一人もなく教主釈尊の御弟子(みでし)・御民(みたみ)ぞかし、而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつくらず・かかず・念仏も申さず・ある者は悪人なれども釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕れず、一向に阿弥陀仏を念ずる人人は既に釈迦仏を捨て奉る色顕然なり、彼の人人の墓無き念仏を申す者は悪人にてあるぞかし、父母にもあらず主君・師匠にてもおはせぬ仏をば・いとをしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨て・乳母(めのと)の如くなる法華経をば口にも誦(じゅ)し奉らず是れ豈不孝の者にあらずや、此の不孝の人人・一人・二人・百人・千人ならず一国・二国ならず上一人より下万民に至るまで日本国皆こぞりて一人もなく三逆罪の者なり、されば日月は色を変じて此れをにらめ・大地も瞋りてをどりあがり・大彗星天(そら)にはびこり・大火・国に充満すれども僻事ありとも・おもはず、我等は念仏にひまなし其の上念仏堂を造り阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃するなり、是は賢き様にて墓無し、譬えば若き夫妻等が夫は女を愛し女は夫をいとおしむ程に・父母のゆくへをしらず、父母は衣(ころも)薄けれども我はねや(閨)熱し、父母は食せざれども我は腹に飽きぬ、是は第一の不孝なれども彼等は失ともしらず、況や母に背く妻・父にさか(逆)へる夫・逆重罪にあらずや、阿弥陀仏は十万億のあなたに有つて此の娑婆世界には一分も縁なし、なにと云うとも故もなきなり、馬に牛を合せ犬に猨をかたらひたるが如し。
 但日蓮一人計り此の事を知りぬ、命を惜みて云はずば国恩を報ぜぬ上・教主釈尊の御敵となるべし、是を恐れずして有(あり)のままに申すならば死罪となるべし、設ひ死罪は免るとも流罪は疑なかるべしとは兼て知つて・ありしかども・仏の恩重きが故に人を・はばからず申しぬ、案にたがはず両度まで流されて候いし中に・文永九年の夏の比(ころ)・佐渡の国・石田の郷一谷(いちのさわ)と云いし処に有りしに・預りたる名主等は公(おおやけ)と云ひ私(わたくし)と云ひ・父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに・宿(やど)の入道と云ひ・妻と云ひ・つかう者と云ひ・始はおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内内・不便と思ふ心付きぬ、預りより・あづかる食は少し付ける弟子は多くありしに・僅の飯の二口三口ありしを或はおしき(折敷)に分け或は手に入て食(くい)しに・宅主(あるじ)・内内・心あつて外には・をそるる様なれども・内には不便げにありし事・何(いつ)の世にかわすれん、我を生みておはせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか、何なる恩をも・はげむべし・まして約束せし事たがうべしや。

 然れども入道の心は後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ、其の上阿弥陀堂を造り田畠も其の仏の物なり、地頭も又をそろしなんど思いて直ちに法華経にはならず、是は彼の身には第一の道理ぞかし、然れども又無間大城は疑無し、設ひ是より法華経を遣したりとも世間も・をそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合せたるが如し、謗法の大水・法華経を信ずる小火を・けさん事疑なかるべし、入道・地獄に堕つるならば還つて日蓮が失になるべし、如何(いか)んがせん如何んがせんと思いわづらひて今まで法華経を渡し奉らず、渡し進せんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば・鎌倉の焼亡に取り失ひ参せて候由申す、旁(かたがた)入道の法華経の縁はなかりけり、約束申しける我が心も不思議なり、又我とは・すすまざりしを鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に口入(くにゅう)有りし事なげかし、本銭(もとせん)に利分を添えて返さんとすれば・又弟子が云く御約束違ひなんど申す、旁進退極りて候へども人の思わん様(よう)は狂惑の様なるべし、力及ばずして法華経を一部十巻・渡し奉る、入道よりもうば(祖母)にて・ありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ。

 日蓮が申す事は愚(おろか)なる者の申す事なれば用ひず、されども去る文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫(つくし)によせて有りしに対馬の者かためて有りしに・宗総馬尉(そうそうまのじょう)逃ければ百姓等は男をば或は殺し或は生取(いけどり)にし・女をば或は取り集めて手をとを(通)して船に結い付け・或は生け取にす・一人も助かる者なし、壹岐によせても又是くの如し、船おしよせて有りけるには奉行入道・豊前前司(ぶぜんのぜんじ)は逃げて落ちぬ、松浦党(まつうらがとう)は数百人打たれ或は生け取にせられしかば・寄せたりける浦浦の百姓ども壹岐対馬の如し、又今度は如何が有るらん彼の国の百千万億の兵(つわもの)・日本国を引回(ひきめぐ)らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ、北の手は先ず佐渡の島に付いて地頭・守護をば須臾に打ち殺し百姓等は北山へにげん程に或は殺され或は生け取られ或は山にして死ぬべし、抑是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし、前(さき)に申しつるが如く此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり、是は梵王・帝釈・日月・四天の彼の蒙古国の大王の身に入らせ給いて責め給うなり。

 日蓮は愚なれども釈迦仏の御使・法華経の行者なりとなのり候を・用いざらんだにも不思議なるべし、其の失に依つて国破れなんとす、況や或は国国を追ひ・或は引はり・或は打擲し・或は流罪し・或は弟子を殺し・或は所領を取る、現の父母の使を・かくせん人人よかるべしや、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし・是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし、たのもし・たのもし。

 抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給うべき、此の法華経をいただき頚にかけさせ給いて北山へ登らせ給うとも・年比(としごろ)念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給いて有りし事は久しし、又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給うなよ、又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき、おこがましき事とはおぼすとも其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ、又是はさてをきぬ、此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給うべし、人如何に云うとも念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給うべからず、又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持(もた)ざらん者をば御用いあるべからず、恐恐謹言。

五月八日              日 蓮  花押
一谷入道女房

by johsei1129 | 2019-10-22 10:09 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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