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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 21日

日蓮は「日本国の一切衆生の慈悲の父母なり」と説いた【呵責謗法滅罪抄】

【呵責謗法滅罪抄】
■出筆時期:文永十年(西暦1273年) 五十二歳御作
■出筆場所:佐渡ヶ島一の谷、一谷入道邸にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾夫妻にあてられたご消息文である。冒頭「御文委(くわし)く承り候」とあるように、四条金吾の亡き母への孝養に関して、また本書を出筆する前年に述作された人本尊開眼の書「開目抄」を四条金吾に宛てられており、その開目抄で記されている法門に関する四条金吾の問いに、大聖人は本書で答えられていると思われる。本書で正嘉元年八月二十三日の大地震と文永元年七月四日の大彗星は「仏滅後二千二百余年の間・未だ出現せざる大瑞なり・・・中略・・・末法の始めに妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり」と断じている。また亡き母への孝養については、法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」・・・中略・・・日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり」と諭し、末法の本佛としての深い慈愛を、強信徒・四条金吾夫妻に示している。
■ご真筆: 現存していない。

[呵責謗法滅罪抄 本文]

 御文委しく承り候。法華経の御ゆへに已前に伊豆の国に流され候いしも、かう申せば謙(へら)ぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入つて候いき。無始より已来(このかた)、法華経の御ゆへに実(まこと)にても虚事(そらごと)にても科(とが)に当たるならば争(いかで)か・かかるつたなき凡夫とは生まれ候べき。一端はわびしき(不楽)様なれども、法華経の御為なればうれしと思い候いしに、少し先生の罪は消えぬらんと思しかども、無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種種の重罪、大山より高く・大海より深くこそ候らめ。五逆罪と申すは一逆を造る、猶一劫・無間の果を感ず。

 一劫と申すは人寿八万歳より百年に一を減し、是くの如く乃至十歳に成りぬ。又十歳より百年に一を加うれば次第に増して八万歳になるを一劫と申す。親を殺す者・此程(これほど)の無間地獄に堕ちて隙(ひま)もなく大苦を受くるなり。法華経誹謗の者は、心には思はざれども、色にも嫉み・戯(たわむ)れにも訾(そし)る程ならば、経にて無けれども・法華経に名を寄(よせ)たる人を軽しめぬれば、上(かみ)の一劫を重ねて無数劫・無間地獄に堕ち候と見えて候。不軽菩薩を罵打(のりうち)し人は始めこそ・さありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事・諸天の帝釈を敬ひ、我等が日月を畏るるが如くせしかども、始め謗(そし)りし大重罪消えかねて千劫・大阿鼻地獄に入つて二百億劫・三宝に捨てられ奉りたりき。

 五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如くして急に事を切る。謗法は白癩病(びゃくらいびょう)の如し。始めは緩(ゆるやか)に後・漸漸に大事なり。謗法の者は多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮(びんぐ)・下賤(げせん)等・白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡をもつて自身に引き向かへたるに、都て・くもりなし。過去の謗法の我が身にある事疑いなし。此の罪を今生に消さずば、未来・争でか地獄の苦をば免るべき。過去遠遠の重罪をば何(いか)にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘えしに、当世・時に当つて謗法の人人・国国に充満せり。其の上・国主既に第一の誹謗の人たり。此の時、此の重罪を消さずば何(いつ)の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打ち覆(おお)うてののしらば、無量無辺の邪法の四衆等・無量無辺の口を以て一時に謗(そし)るべし、爾の時に国主は謗法の僧等が方人(かたうど)として日蓮を怨み、或は頚を刎ね、或は流罪に行ふべし。度度かかる事・出来せば無量劫の重罪、一生の内に消えなんと謀(くわだ)てたる大術、少しも違ふ事なく・かかる身となれば所願も満足なるべし。

 然れども凡夫なれば動(ややも)すれば悔ゆる心有りぬべし。日蓮だにも是くの如く侍るに、前後も弁へざる女人なんどの・各(おのおの)仏法を見ほどかせ給わぬが、何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞(きこ)へ候は偏に只事にあらず。教主釈尊の各の御心に入り替はらせ給うかと思へば感涙押え難し。妙楽大師の釈に云く 記七「故に知んぬ。末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事・宿種なるべし」等云云。又云く、弘二「運像末に在つて此の真文を矚(み)る。宿(むかし)妙因を殖ゑたるに非ざれば、実に値い難しと為す」等云云。

 妙法蓮華経の五字をば四十余年・此れを秘し給ふのみにあらず、迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果・本因の蓮華の二字を説き顕し給ふ。此の五字をば仏、文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付属せさせ給はず。地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出だして此れを付属し給ふ儀式・ただ事ならず、宝浄世界の多宝如来、大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外(ほか)に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道(じんいっせんどう)に殖え並べて、宝樹一本の下(もと)に五由旬の師子の座を敷き並べ、十方分身の仏・尽く来たり坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣(くえ)を脱(ぬい)で宝塔を開き、多宝如来に並び給ふ、譬えば青天に日月の並べるが如し、帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し。此の界の文殊等・他方の観音等・十方の虚空に雲集せる事、星の虚空に充満するが如し。此の時、此の土には華厳経の七処八会・十方世界の台上の盧舎那仏の弟子、法慧・功徳林・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵等の十方刹土(せつど)・塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊・雲集の仏菩薩・般若経の千仏・須菩提(しゅぼだい)・帝釈等・大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩、金剛頂経の三十七尊等・涅槃経の倶尸那城(くしなじょう)へ集会(すえ)せさせ給いし十方法界の仏菩薩をば、文殊・弥勒等互ひに見知して御物語り是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎(な)れたりと見え候。
 今・此の四菩薩出でさせ給うて後、釈迦如来には九代の本師・三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も、一生補処(ふしょ)と・ののしらせ給ふ弥勒等も、此の菩薩に値いぬれば物とも見えさせ給はず。譬えば山かつが月卿に交り、猿猴(えんこう)が師子の座に列るが如し。此の人人を召して妙法蓮華経の五字を付属せさせ給いき。付属も只ならず・十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば、諸仏も亦復是くの如く・四百万億那由佗の国土の虚空に諸仏の御舌・赤虹を百千万億・並べたるが如く充満せしかば・おびただしかりし事なり。是くの如く不思議の十神力を現じて結要(けっちょう)付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃(おんごん)に付属して、其の後又一つの神力を現じて文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり。本より影の身に随つて候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此の五字を譲り給はず。
 此れは・さてをきぬ。文殊・弥勒等には争(いかで)か惜み給うべき。器量なくとも嫌い給うべからず。方方(かたがた)不審なるを、或は他方の菩薩は此の土に縁少なしと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年・並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来(このかた)・教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候。天台の云く「但下方の発誓を見る」等云云。又云く「是れ我が弟子なり。応に我が法を弘むべし」等云云。妙楽の云く「子・父の法を弘む」等云云。道暹(どうせん)云く「法是れ久成(くじょう)の法なるに由るが故に・久成の人に付す」等云云。此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。

 而るに仏の滅後、正法一千年・像法一千年・末法に入つて二百二十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に未だ一度も出でさせ給はざるは、何なる事にて有るらん。正しくも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏の滅後四百五十年まで此の土におはして大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山・清涼山より度度来たつて大僧等と成つて法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士(ふだいし)となれり。迦葉・阿難等は仏の滅後二十年・四十年・法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。二千二百余年が間、教主釈尊の絵像・木像を賢王・聖主は本尊とす。然れども但小乗・大乗・華厳・涅槃・観経・法華経の迹門・普賢経等の仏・真言・大日経等の仏、宝塔品の釈迦・多宝等をば書けども、いまだ寿量品の釈尊は山寺精舎(しょうじゃ)にましまさず。何なる事とも量りがたし。釈迦如来は後五百歳と記し給ひ、正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず。天台大師は「後の五百歳・遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍(やや)過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等と書き給いて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。されば・をしはかるに、地涌千界の大菩薩は釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲り・御約束を空しく黙止(もだし)て・はてさせ給うべきか。

 外典の賢人すら時を待つ。郭公(ほととぎす)と申す畜鳥は卯月・五月(うづき・さづき)に限る。此の大菩薩も末法に出ずべしと見えて候。いかんと候べきぞ。瑞相と申す事は内典・外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり。蜘蛛(くも)かかつて喜事(よろこびごと)来り、かん鵲(じゃく)鳴いて客人(まろうど)来ると申して、小事すら験(しるし)先に現ず、何に況んや大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり。涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり。故に天台の云く「雨の猛きを見ては竜の大きなる事を知り、華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候。妙楽云く「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」と云云。
 今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去る正嘉元年 太歳丁巳(きのとみ) 八月二十三日・戌亥(いぬい)の刻の大地震と、文永元年 太歳甲子(きのえね) 七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間、未だ出現せざる大瑞なり。此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか。尺の池には丈の浪たたず、驢(ろ)・吟ずるに風・鳴らず。日本国の政事乱れ、万民歎くに依つては此の大瑞現じがたし。誰か知らん、法華経の滅・不滅の大瑞なりと。

 二千余年の間・悪王の万人に謗らるる・謀叛の者の諸人に・あだまるる等、日蓮が失もなきに、高きにも下きにも罵詈(めり)・毀辱(きにく)・刀杖(とうじょう)・瓦礫(がりゃく)等ひまなき事二十余年なり。唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間、罵詈せられしに相似たり。而も仏・彼の例を引いて云く、我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に、近くは日本・遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず。人は悪(にく)んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過(とが)あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す。日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも民が考妣(ちちはは)を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば、彼の不軽菩薩・成仏し給はば、日蓮が仏果疑うべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず。知らず・無数劫をや経んずらん、不便なり不便なり。

 疑つて云く、正嘉の大地震等の事は去る文応元年 太歳庚申(かのえさる) 七月十六日宿屋の入道に付けて故最明寺入道殿へ奉る所の勘文・立正安国論には法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に、天地・瞋(いかり)をなし自界叛逆難と他国侵遍難起るべしと勘へたり。此には法華経の流布すべき瑞(ずい)なりと申す。先後の相違之有るか如何。
 答えて云く、汝・能く之を問えり。法華経の第四に云く「而も此の経は如来現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」等云云。同第七に況滅度後を重ねて説いて云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云。仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次ぎ下に又云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼(くはんだ)」等云云。行満座主・伝教大師を見て云く「聖語朽ちず、今此の人に遇えり。我れ披閲(ひえつ)する所の法門・日本国の阿闍梨に授与す」等云云。
 今も又是くの如し、末法の始めに妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり。例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋(いか)りをなすが如し。下賤の者に王頂の珠を授与せんに大難来たらざるべしや。一切世間・多怨難信の経文是なり。涅槃経に云く「聖人に難を致せば他国より其の国を襲う」と云云。仁王経も亦復是くの如し取意。日蓮をせめて弥(いよい)よ天地・四方より大災・雨の如くふり、泉の如くわき、浪の如く寄せ来るべし。国の大蝗虫(おおいなむし)たる諸僧等・近臣等が日蓮を讒訴する弥よ盛んならば大難倍(ますます)来るべし。帝釈を射る修羅は箭(や)・還(かえ)つて己が眼にたち、阿那婆達多竜(あなばだったりゅう)を犯さんとする金翅鳥(こんじちょう)は自ら火を出して自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈・阿那婆達多竜に劣るべきや。

 章安大師の云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐(いつ)わり親むは即ち是れ彼が怨なり」等云云。又云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云。日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と禅宗が教外別伝(きょうげべつでん)との誑言(おうげん)に誑(たぶら)かされて・一人もなく無間大城に堕つべしと勘へて国主万民を憚(はば)からず大音声を出して二十余年が間よばはりつるは、竜逢(りゅうほう)と比干との直臣にも劣るべきや。大悲・千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たるか。火の中の数子を父母が一時に取り出さんと思ふに、手少なければ慈悲前後有るに似たり。故に千手・万手・億手ある父母にて在(いま)すなり。爾前の経経は一手・二手等に似たり。法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と無数手の菩提是なり。日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり。天高けれども耳と(疾)ければ聞かせ給うらん、地厚けれども眼早ければ御覧あるらん。天地既に知し食(め)しぬ。又一切衆生の父母を罵詈(めり)するなり、父母を流罪するなり。此の国・此の両三年が間の乱政は先代にもきかず・法に過ぎてこそ候へ。

 抑(そもそも)悲母の孝養の事・仰せ遣(つかわ)され候、感涙押へ難し。昔・元重等の五童は五郡の異性の他人なり。兄弟の契(ちぎ)りをなして互ひに相背かざりしかば財三千を重ねたり。我等・親と云う者なしと歎きて途中に老女を儲けて母と崇めて一分も心に違はずして二十四年なり。母忽(たちまち)に病に沈んで物いはず。五子・天に仰いで云く、我等孝養の感無くして母もの云わざる病あり。願くは天・孝の心を受け給はば此の母に物いはせ給へと申す。其の時に母・五子に語つて云く、我は本・是れ大原(たいげん)の陽猛と云うものの女(むすめ)なり。同郡の張文堅に嫁す。文堅死にき、我に一人の児あり名をば烏遺(うい)と云いき。彼が七歳の時、乱に値(あ)うて行く処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年、此の事を語らず。我が子は胸に七星の文あり、右の足の下に黒子(ほくろ)ありと語り畢つて死す。
 五子・葬(ほうむり)をなす途中にして国令の行くにあひぬ。彼の人・物記(ものき)する嚢(ふくろ)を落せり。此の五童が取れるになして禁(いまし)め置かれたり。令(れい)来たつて問うて云く、汝等は何くの者ぞ。五童答えて云く、上に言えるが如し。爾の時に令、上よりまろび下(おり)て天に仰ぎ・地に泣く。五人の縄をゆるして我が座に引き上(のぼ)せて物語りして云く、我は是れ烏遺なり。汝等は我が親を養いけるなり。此の二十四年の間・多くの楽しみに値へども、非母の事をのみ思い出でて楽しみも楽しみならず・乃至大王の見参に入れて五県の主と成せりき。他人集つて他の親を養ふに是くの如し、何に況んや同父同母の舎弟妹女(おと・いもうと)等が・いういうたるを顧みば、天も争(いかで)か御納受なからんや。

 浄蔵・浄眼は法華経をもつて邪見の慈父を導びき。提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ、臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども、法華経にて召し還して天王如来と記せらる。阿闍世王は父を殺せども仏・涅槃の時、法華経を聞いて阿鼻の大苦を免れき。例せば此の佐渡の国は畜生の如くなり。又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。一日も寿(いのち)あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を支へたり。是を以て計るに法華経をば釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩・供養恭敬せさせ給へば、此の仏・菩薩は各各の慈父慈母(ちちはは)に日日・夜夜・十二時にこそ告げさせ給はめ。当時主(しゅ)の御おぼえの・いみじく・おはするも、慈父・悲母の加護にや有るらん。兄弟も兄弟とおぼすべからず、只子とおぼせ。子なりとも梟鳥(きょうちょう)と申す鳥は母を食ふ、破鏡と申す獣の父を食わんと・うかがふ。わが子・四郎は父母を養ふ子なれども・悪(あし)くばなにかせん。他人なれども・かたらひぬれば命にも替るぞかし。舎弟等を子とせられたらば今生の方人(かたうど)、人目申す計りなし。妹等を女(むすめ)と念(おも)はば・などか孝養せられざるべき。
 是へ流されしには一人も訪(と)う人もあらじとこそ・おぼせしかども、同行七・八人よりは少からず。上下のくわて(資糧)も各の御計ひなくばいかがせん。是れ偏に法華経の文字の・各(おのおの)の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ。
 何なる世の乱れにも各各をば・法華経・十羅刹・助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く・強盛に申すなり。事繁ければ・とどめ候。

四条金吾殿御返事           日   蓮   花押




by johsei1129 | 2019-10-21 17:15 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)


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