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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 30日

教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てりと説いた【南条殿御返事】

【南条殿御返事】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281年)九月十一日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は大聖人が御遷化なされるほぼ一年前、強信徒南条時光(上野賢人)に与えられた書である。本書で大聖人は、ご供養の品々を届けた時光の使いのものより時光が病状であることを聞き、いそぎ療治をして大聖人の下を参詣されるよう促している。また強信徒の時光だからこそ、「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり・・・中略・・・かかる不思議なる法華経の行者の住処なればいかでか霊山浄土に劣るべき」と自らが末法の本仏であると言う内証を明らかにしている、極めて重要なご消息文となっている。
■ご真筆: 現存しておりません。

[南条殿御返事]

 塩一駄・大豆一俵、とつさか(鶏冠菜)一袋、酒一筒・給び候。上野の国より御帰宅候後は未だ見参に入らず候。牀敷(ゆかしく)存じ候いし処に・品品の物ども取り副(そ)え候いて御音信に預かり候事、申し尽し難き御志にて候。

 今申せば事新しきに相似て候へども、徳勝童子は仏に土の餅を奉りて阿育大王と生まれて南閻浮提を大体知行すと承り候。土の餅は物ならねども仏のいみじく渡らせ給へば・かくいみじき報いを得たり。然るに釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間・供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍・過ぐべしとこそ説かせ給いて候に、法華経の行者を心に入れて数年供養し給う事・有り難き御志かな。金言の如くんば定めて後生は霊山浄土に生れ給うべし、いみじき果報なるかな。

 其の上此の処は人倫を離れたる山中なり。東西南北を去りて里もなし。かかるいと心細き幽窟(ゆうくつ)なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり。舌の上は転法輪の所、喉(のんど)は誕生の処、口中は正覚の砌(みぎり)なるべし。かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。

 神力品に云く「若しは林の中に於ても、若しは樹の下に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至而般涅槃(ないし・はつねはん)したもう」と云云。此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪・転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池(むねっち)に臨みし悩者(のうしゃ)が心中の熱気を除愈(じょゆ)して「其の願を充満する事・清涼池の如し」とうそぶきしも、彼れ此れ異なりといへども・其の意(こころ)は争でか替(かわ)るべき。

  彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺(みね)なり。参詣遥かに中絶せり、急ぎ急ぎに来臨を企つべし。是にて待ち入つて候べし。哀哀(あわれ・あわれ)申しつくしがたき御志かな、御志かな。

 弘安四年九月十一日      日 蓮 花 押

 南条殿御返事

 御使ひの申し候を承り候。是の所労・難儀のよし聞こえ候。いそぎ療治をいたされ候いて御参詣有るべく候。




by johsei1129 | 2019-11-30 21:21 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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