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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 17日

願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん、と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事(竜門御書)】
■出筆時期:弘安二年十一月六日(西暦1279年) 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は富士上野郷の地頭で強信徒上野殿(南条時光)に与えられた書である。
 大聖人が本書を出筆された11月6日は駿河国富士郡・熱原法難の直後にあたり、10月15日には農民信徒の神四郎・弥五郎・弥六郎が刑死している。この他鎌倉幕府による大聖人門下への弾圧は熾烈を極め、その中で若干20歳の青年信徒・南条時光は日興上人ともども大聖人門下の外護に励み、大聖人への信仰を貫き通した。本書で大聖人は「死は一定なり・・・中略・・・かりにも法華経のゆへに命をすてよ」と諭すとともに、法華経化城喩品第七「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と説き、仏道を成ぜん事は間違いないなと励まされている。 さらに本抄の最後に上野賢人殿と称し、熱原法難時の働きを讃えられている。

■ご真筆: 富士・大石寺所蔵。
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[上野殿御返事(竜門御書) 本文]

 唐土(もろこし)に竜門と申すたきあり、たかき事十丈・水の下ることがつひやう(強兵)がや(矢)をいをとすよりもはやし。このたきにををくのふな(鮒)あつまりて、のぼらむと申す。ふなと申すいを(魚)ののぼりぬれば、りうとなり候。百に一(ひとつ)・千に一・万に一・十年・二十年に一も・のぼる事なし。或ははや(早)きせ(瀬)にかへり、或ははし(鷲)・たか・とび(鴟)・ふくろうにくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人ども・つらなりゐて、或はあみ(網)をかけ、或はくみとり、或はい(射)てとるものもあり。いをの・りうとなる事かくのごとし。

  日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守(もんまもり)の犬二疋(ひき)候。二家ともに王を守りたてまつる事やまかつ(山人)が八月十五夜のみねより、いづるを・あいするがごとし。でんじやうの・なんによの・あそぶをみては月と星との・ひかりをあわせたるを、木の上にて・さるのあいするがごとし。かかる身にてはあれども・いかんがして我等でんじやうの・まじわりをなさんと・ねがいし程に、平氏の中に貞盛と申せし者、将門を打ちてありしかども昇でんをゆるされず。其の子正盛又かなわず、其の子忠盛が時・始めて昇でんをゆるさる。其の後清盛、重盛等でんじやうにあそぶのみならず、月をうみ日をいだくみとなりにき。

 仏になるみち・これにをとるべからず。いをの竜門をのぼり、地下の者の・でんじやうへ・まいるがごとし。 身子(しんじ)と申せし人は仏にならむとて、六十劫が間・菩薩の行をみ(充)てしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき。大通結縁の者は三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫生死にしづみし、此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王、国主等の身に入りて、とかうわづらわせしかば、たい(退)してすてしゆへに、そこばく(若干)の劫に六道にはめぐりしぞかし。

 かれは人の上とこそ・みしかども今は我等がみ(身)にかかれり。願くは我が弟子等、大願ををこせ。去年(こぞ)去去年(おととし)のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定(いちじょう)なり。其の時のなげきは・たうじ(当時)のごとし。をなじくは、かりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ。法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云、恐恐謹言。

十一月六日 日 蓮 花押
上野賢人殿御返事
此れはあつわらの事のありがたさに申す御返事なり。




by johsei1129 | 2019-11-17 09:51 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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