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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 19日

九十八 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興へ相承

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                  (日蓮大聖人御一代記より)

 宗仲邸に入ってから程なくして日蓮は危篤となった。
 知らせを聞いた弟子・信徒が池上邸に続々とあつまった。
 四条金吾は鎌倉から、富木常忍は下総、南条時光は駿河からかけつけた。日蓮の故郷安房からも多数の弟子・信徒が参集した。

日蓮はこれを聞き、身をおこした。衰弱していたが立ちあがり、池上家の持仏堂で立正安国論を講じた。九月二十五日のことである。

日蓮の弘教は立正安国論にはじまり、立正安国論におわるという。その終わりをまっとうする時がきた。
 日蓮がのこした法門は、法本尊を説いた「観心本尊抄」、人本尊を説いた「開目抄」はじめ、のちに五大部・十大部と称される重要御書が数多くある。その中で最後に「立正安国論」を説いたのは、『(いま)だ広宣流布流布せざる間、つまり国の主権者が法華経に帰依するまでは、(かん)(ぎょう)を続けなさい』という、すべての弟子・信徒に与えた日蓮の遺言であった。

客の曰く、今生後生誰か慎まざらん、誰か(したが)はざらん。此の経文を(ひら)きて(つぶさ)に仏語を承るに、誹謗の(とが)至って重く毀法(きぼう)の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を(なげう)ち、三部経を仰ぎて諸経を(さしお)きしは(これ)私曲(しきょく)の思ひに非ず、則ち(せん)(だつ)(ことば)に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には(しょう)(しん)(ろう)来生(らいしょう)には阿鼻(あび)()せんこと文明らかに()(つまび)らかなり疑ふべからず。(いよいよ)貴公の慈誨(じかい)を仰ぎ(ますます)愚客の()(しん)を開き、速やかに対治を(めぐ)らして早く泰平を致し、先ず生前を安んじ更に没後(もつご)(たす)けん。(ただ)我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも(いまし)めんのみ。

若い弟子たちの中に泣いている者がいる。

日蓮は座を見まわし、いつくしむように諭した。

「どうした。泣いてばかりいては、私の説法が聞けぬではないか」

しかし師を失おうとしている弟子たちの悲しみはとまらない。

池上邸は静寂につつまれた。


 十月八日となった。

日蓮は別室に横たわっていた。

そこに伯耆房日興をふくめた六人の僧が神妙にならんだ。

日蓮が死に向かう床で語る。

「わが滅度にあたり、弟子の中で六人をえらび、後継と定める。

日昭 弁阿闍(あじゃ)(り )(六十二歳)

日朗 大国阿闍梨(三十八歳)

日興 白蓮(びゃくれん)阿闍梨(三十七歳)

日向 佐渡阿闍梨(三十九歳)

日頂 伊予阿闍梨(三十一歳)

日持 蓮華阿闍梨 (三十三歳)

以上六名。人はみな、おまえたちを六老僧と呼ぶであろう」

日蓮は入門順に六人の弟子の名を挙げた。読み上げた順番に序列はない、つまり不次第(ふしだい)であるとも宣言した。この中で最長老は六十二歳の日昭で、他の五人は全て三十代だった。

「さりながらその中で上首を定めねばならぬ。在世・滅後ことなりといえども、付属の儀式はこれ同じ。たとえば四大六万の(じき)(てい)の本眷属ありといえども、上行菩薩をもって(けっ)(ちょう)付属の大導師と定めたように」
 結要とは
「要を結ぶ」と読む。法の要点をまとめ、その肝要を選ぶことである。釈迦は南無妙法蓮華経の大法をただ一人上行菩薩にさずけた。日蓮もまた自らの法を一人にさずけようとしている。

弟子がかたずをのんだ。日蓮の教団を引きつぐのはだれなのか。

「今もってかくのごとし。六人以下数輩の弟子ありといえども、伯耆房日興をもって(けっ)(ちょう)付属の大将とさだむるものなり」

伯耆房が日蓮の後継者になることは予想されていたことだったが、日蓮と同郷で最長老の日昭は、三十歳も年下の日興が六人の上首になることは決して満足いくものではなかった。しかし日蓮が遷化(せんげ)されれば重しが取れる。あとは自分の思うままに行動するだけだと自分を納得させた。

日蓮はすでに後顧の憂いの無きように伯耆房日興を後継者とする遺言を書きのこしていた。

日蓮一期(いちご )弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通(ぐつう)大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と()ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。

  弘安五年壬午九月 日       日蓮花押

      血脈の次第 日蓮日興

しかし安堵したわけではない。日蓮は死にのぞみ、日興をのぞく五人の未来を予見したように再び記した。

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承(そうじょう)す。身延山久遠(くおん)寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年壬牛十月十三日 武州池上

                日蓮花押

この二通の遺言は二箇相承と呼ばれ、それぞれ『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』の名がついている。

日蓮正宗二十六世の日寛が解説する。

今得意して云く、二箇の相承は(まさ)しくこれ弘宣(こうせん)伝持の付嘱なり。

謂く「日蓮一期の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍(あじゃ)()日興(にっこう)(これ)を付嘱す。本門弘通(ぐつう)の大導師たるべきなり」とは、これ弘宣付嘱なり。故に「本門弘通」等というなり。
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり」とは、これ伝持付嘱なり。故に「別当たるべきなり」等というなり。秘すべし、秘すべし。 『撰時抄愚記


この二箇相承の行く末には紆余曲折がある。

この文書は日蓮の死後、日興が建てた重須(おもす)本門寺に保管されていたが、ちょうど三百年後の天正九年(一五八一年)三月、教義について争っていた西山本門寺の宗徒ならびに戦国大名武田勝頼の家臣増山権右衛門に奪われたのである。

当時、重須本門寺の貫首は日殿という僧であった。彼は三月二十八日、すぐさま重宝返還の訴状を武田勝頼に呈した。

しかし勝頼は日殿をまったく相手にしなかった。なにより重須本門寺と西山本門寺の教義上の争いを自ら裁定しようとはやっていた。勝頼は西山本門寺をあと押ししていた。そのために日蓮の相承書を奪い取り、裁定を西山本門寺側に有利にもちこもうとしたのである。

時は戦国時代、勝頼は相当焦っていたようである。武田一族はこの七年前、長篠の戦いで織田信長に大敗してから凋落の一途をたどっていた。軍神とうたわれた信玄はすでにいない。勝頼はあらゆる方法で勢力を挽回しなければならなかった。日蓮の宝物を搾取したのもそのひとつだった。

翌天正十年二月六日、日殿は訴えが入れられないのを不服として、断食して世を去った。五十七歳だったという。日蓮の遺言を守れなかったくやしさ、自身のふがいなさがつのっていたであろう。彼は戸を締め切り、いっさいの人を入れずに帰らぬ人となった。(富要第九巻)

翌月の三月十一日、織田・徳川連合軍の総攻撃を受け、武田勝頼は耐えきれず、天目山麓において一族とともに滅んだ。勝頼は自分はもとより一族の女子供までをも、なで斬りにして自害している。

『信長公記』はその悲惨な最期をえがく。

三月三十日、武田四郎親子、簾中(れんちゅう)、一門、こがつこの山中へ引き(こも)らるゝの(よし)滝川左近(うけたまわ)り険難節所の山中へ分け入り、相(たず)ねられ候ところに、田子と云ふ所、平屋敷に、暫時柵を付け、居陣候。則ち先陣、滝川義太夫、篠岡平右衛門に下知を申しつけ、取り巻き候ところ、(のが)れがたく存知せられ、誠に花を折りたる如く、さもうつくしき歴貼(れきちょう)上臈(じょうろう)、子供、一貼に、引き寄せ引き寄せ、四十余人さし殺し、其の外、ちりぢりに(まか)りなり、切りて出で、討死(うちじに)候。

武田四郎とは勝頼のことである。長篠の戦いでは一万五千の軍を指揮していた男が、最後は四十人となって無残な死をとげた。名門武田家の滅亡だった。このあたり、北条や平頼綱の最後とよく似たところがある。

二箇相承はこの戦乱のおり、行方不明となり、今にいたるまで発見されていない。余談だがこの年の六月二日、織田信長が本能寺で自害している。

日蓮が日興を後継者として指名したことは、当時、弟子信徒のだれしもが疑っていなかった。

日蓮自身がその理由をしるす。

又弘長配流(はいる)の日も、文永流罪の時も、其の外諸所の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随ふが如くせしなり。誰か之を疑はんや。

延山(えんざん)地頭発心の根元は日興が教化の力用なり。遁世(とんせ)の事、甲斐国三牧は日興(こん)()の故なり。  『百六箇抄

伯耆房日興は伊豆流罪の時も、佐渡の時もつねに日蓮のそばにいた。ほかの弟子もついてはいたが、日蓮の大願を具現する者ではなかった。弟子たちは日蓮に従っていたが、伯耆房日興以外、日蓮の真意を知ろうとし、またその大願を自分が実現しようとは思ってもいなかった。

地頭の波木井が信心に目覚めたのは伯耆房の折伏による。日蓮が身延に居を移したのは、伯耆房の采配によることはすでに述べた。この事実については五老僧といえど異を唱えることはできない。

 しかし、五老僧が素直に日興上人が身延山久遠寺の別当たるべきなり」という遺言を受け止めたわけではないことは、後々の事実が雄弁に物語っている。

        九十九 通塞の案内者 につづく


下巻目次



by johsei1129 | 2017-09-19 22:18 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)
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