2017年 09月 19日
![]() 日蓮の病状は悪化していくばかりだった。 弘安五年九月、日蓮はついに下山を決意した。九年すごした身延山を去ることにしたのである。この約九か月前の弘安四年十一月二十四日には、十間四面の大坊が完成したばかりだった。下山の理由は常陸の国に湯治に行くためという。 日蓮が弟子に担がれ栗毛の馬にのった。伯耆房らの弟子たちがきびしい表情でついた。常陸まで何日かかるのか。病身の日蓮にとって決して楽な旅ではない。 地頭の波木井実長は突然の知らせにおどろいたが日蓮の意思はかたい。波木井はあきらめて自分の子を付添いとし同行させた。 出発の時、実長はなおもいった。 「上人。なにも急いで発たれることはないのではありませぬか。もう少しゆるりとされては」 日蓮が弱々しく首をふった。 「病気でありますからもしやのこともありましょう。さりながら日本国の多くが扱いかねるわが身を、九年まで外護していただいた志は申すばかりもございませぬ。いずこにて死ぬるとも、墓はこの身延の沢といたしまする」 日蓮は一時の家主であった実長に深々と頭をさげた。しかし実情は違っていた。日蓮はこの九年間、飢えと寒さに苦しんだ。地主の実長は日蓮の窮状に無頓着だった。後代の信徒は波木井の冷淡さを非難している。だが日蓮は実長にいっさいの不平をもらさなかった。 九月八日、一行が山をおりた。波木井実長が呆然と見送った。 一行は人気のない道をすすんだ。日蓮が下山するとあってはどんなさわぎがおきるか知れない。一行を指揮する伯耆房は身を隠すように山道を選んだ。 身延山の急な坂を下る。 日蓮が眠るように馬にのっている。伯耆房が手綱をはなさず見守った。 さらに一行は富士川をこえる。 日蓮は弟子に背負われて川をこえた。 彼らは武蔵野にでた。一行が壮大な夕日を背にすすむ。 富士山がしだいに小さくなっていった。 武蔵の池上宗仲邸は林にかこまれた武家屋敷だった。今の東京都大田区である。 身延出立から十日後の九月十八日、日蓮は敬愛する信徒、宗仲の屋敷にたどりついた。 宗仲は弟の宗長とそろって門に立っていた。二人は師を自らの屋敷に迎える喜びは大きかったが、師の病を考えると手放しでは喜べない。しかし二人は精いっぱいの笑顔で日蓮を出迎えた。 日蓮が兄弟の笑顔を見てわずかにほほえんだ。 「お世話になり申す」 かつてきびしく指導した兄弟に深々と頭をさげた。 日蓮はこの武蔵から甲斐の波木井に生涯最後の手紙をおくった。かつての家主にこまやかな配慮がよみとれる。 畏み申し候。みちのほどべち事候はで、池上までつきて候。みちの間、山と申し、かわと申し、そこばく大事にて候ひけるを、きうだちにす護せられまいらせ候ひて、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存じ候。さてはやがてかへりまいり候はんずる道にて候へども、所らうのみにて候へば、不ぢゃうなることも候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを、九年まで御きえ候ひぬる御心ざし申すばかりなく候へば、いづくにて死に候ともはかをばみのぶさわにせさせ候べく候。又くりかげの御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に、いつまでもうしなふまじく候。ひたちのゆへひかせ候はんと思ひ候が、もし人にもぞとられ候はん。又そのほかいたはしくをぼへば、ゆよりかへり候はんほど、かづさのもばら殿のもとにあづけをきたてまつるべく候に、しらぬとねりをつけて候ひては、をぼつかなくをぼへ候。まかりかへり候はんまで、此のとねりをつけをき候はんとぞんじ候。そのやうを御ぞんぢのために申し候。恐々謹言。 九月十九日 日蓮 進上 波木井殿御侍 所らうのあいだ、はんぎゃうをくはへず候事、恐れ入って候。 『波木井殿御報』 やっとのことで池上に到着した。九年のあいだ養われたことは感謝にたえない。ついては、いずこの地で死のうと墓は身延におくといっている。また栗毛の馬がひときわ気にいったので馬使いをつけた。存知のために前もってお知らせしたという。当時、馬泥棒が頻発していた。 さらに病気のために自分の印、すなわち花押をしるすことができないことをわびている。なんという腰の低さだろう。 日蓮が池上宗仲邸に入ってまもなく事件が起きた。 日蓮は弘安二年二月、日目に御本尊を下付している。他の弟子には授与名を「沙門○○授与之」と図現した年月を右脇に小さくしたためているが、それに対し、日目に下付した御本尊には「釈子日目授与之」と右側にほとんど中央の日蓮の文字と同じ大きさで明確にしたためている。弘安三年十一月に下付した日昭にも釈子日昭伝之と左下に記しているが極めて小さい。
九十八、日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興へ相承 につづく
by johsei1129
| 2017-09-19 22:07
| 小説 日蓮の生涯 下
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