2019年 12月 14日
チョモランマ(エベレスト) Wikipedia より 身延の草庵はひっそりとしていた。 伯耆房が日蓮の部屋にはいった。 「朝餉の支度ができました。南条殿が供養されました米をたいて・・」 伯耆房は日蓮が本尊の前で倒れているのを見た。 「お師匠」 伯耆房があわてて日蓮をだきおこす。 「だれか」 人間だれしもかならず一度は臨終をむかえる。死は不吉だとか、死は思いたくもないとしても、のがれた者はだれもいない。生の行く末が死だと思えば、人生ははかないということになるが、死をむかえる覚悟をしたうえで、ひるがえって生を考えれば、有意義な人生をおくることができる。 しかし人はそれに気づかない。 日蓮は信徒の松野六郎左衛門入道に手紙をおくった。松野殿は駿河国庵原郡松野の人である。娘が南条時光の父兵衛に嫁いだ縁によって日蓮に帰依した。 子供が多くいる。蓮華寺を建立した長男の六郎左衛門尉、日蓮の高弟でのちの六老僧の一人となる日持そして南条家に嫁いだ娘が知られている。 消息から推測すると、松野はかなり教養の深い人だったと思われる。また彼は日蓮と同年輩だった。それだけに日蓮は松野に親しみをこめ、妙法をたもつ者の生き方を訴える。おなじ老いをむかえる者への手紙である。
われわれは屠殺場へおもむく羊であるという。またこの世界は火炎が充満する苦しみの世界であると。 現代の文明は死から逃避している。人々は死を忌み嫌い、遠ざける。終焉がないかのように。 日蓮は雪山童子の故事をひいて死の尊厳を説いている。くわえて仏法をもとめず、いたずらに生を終える人のはかなさをしるす。おなじ松野への手紙である。
倩世間を観ずるに、生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す。されば憂き世のあだにはかなき事、譬へば電光の如く、朝露に向かひて消ゆる似たり。風の前の灯の消えやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れず。終に一度は黄泉の旅に趣くべし。然れば冥土の旅を思ふに、闇々としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし。かゝる闇き道に又ともなふ人もなし。娑婆にある時は、親類・兄弟・妻子・眷属集まりて父は慈れみの志高く、母は悲しみの情深く、夫妻は偕老同穴の契りとて、大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細やかに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如し。鴛鴦の衾の下に枕を並べて遊び戯る仲なれども、彼の冥途の旅には伴ふ事なし。冥々として独り行く。誰か来たりて是非を訪はんや。或は老少不定の境なれば、老いたるは先立ち若きは留まる。是は順次の道理なり。歎きの中にもせめて思ひなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり、若きは先立つ。されば恨みの至って恨めしきは幼くして親に先立つ子、歎きの至って歎かしきは老いて子を先立つる親なり。是くの如く生死無常、老少不定の境、あだにはかなき世の中に、但昼夜に今生の貯へをのみ思ひ、朝夕に現世の業のみなして、仏をも敬はず、法をも信ぜず、無行無智にして徒に明かし暮らして、閻魔の庁庭に引き迎えられん時は、何を以てか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて、実報・寂光の仏土に至らんや 海にいるエビは雄雌そろっておなじ穴にいる。これを偕老同穴という。転じて夫婦仲のむつまじいことをあらわす。夫婦が一生を共にし、おなじ墓穴にはいる意味である。それでも世を去るときは一人なのだ。 鴛鴦の衾とは男女共寝の夜具をいう。鴛鴦とはオシドリのこと。これまた良い夫婦仲の形容詞だが、死にのぞめばはなれてしまう。 日蓮は仏法の根本命題である死について、若い時から思索をかさねていた。現代人が忘れているテーマである。 例えば日蝕がある。古代の人々は突然太陽が欠け始め、ついには昼なのに真っ暗になると、この世の終わりが来たと恐れをなしたただろう。 釈尊は妙法蓮華経方便品第二で「仏所成就。第一希有。難解之法唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相」と説く。 (訳) 仏が成就した所業とは、最高の稀有で難解な法で、唯、仏と仏のみが、能く諸法の実相を極め尽くしたことである。 日蓮はこの法報応の三身を月に見立てて説いている。
言い換えると、法身とは生命の本質そのもの、報身は生命の智慧、境涯と言え、応身とは生命の色心(実際に生きている当体)をいう。 死をむかえるためによりよい人生をおくる。これはだれしも願うことである。よりよい人生とは、妙法をたもつことで初めて叶えられる。
日蓮はここで妙法をたもつ者の臨終を説いている。妙法を唱えきった者には苦渋に満ちたこの娑婆世界が、実は寂光土であったことがわかるという。 然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか。世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし。況してや来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして瑠璃を以て地とし金の縄を以て八つの道を界へり。天より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽し給ふぞや。我等も其の数に列なりて遊戯し楽しむべき事、はや近づけり。信心弱くしてはかゝる目出たき所に行くべからず、行くべからず。不審の事をば尚々承るべく候。穴賢穴賢。
by johsei1129
| 2019-12-14 10:36
| 小説 日蓮の生涯 下
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