2017年 09月 19日
弟の突然の死があっても、時光の信心はゆるぎなかった。 彼は懸命に日蓮を援助した。熱原の法難もかげで支えた。このことは鎌倉で知らぬ者はない。 このため幕府はいよいよ時光を快く思わない。人々も悪人のように憎む。時光は地頭でありながら、幕府を公然と批判する日蓮の信徒であると。幕府は多くの公事をおしつけてせめた。 時光は乗る馬もなく、妻は衣もなくなったという。それでも彼は銭一貫文を日蓮のもとにおくった。なんという健気な信仰の若者であろう。 日蓮は貧窮する時光をはげます。 仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃にかわけるものに水をあたへ、寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし。又二つなき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせにあふがごとし。<中略>月氏国にす達長者と申せし者は七度貧になり、七度長者となりて候いしが最後の貧の時は万民皆にげうせ死にをはりて、ただ、めおとこ二人にて候いし時、五升の米あり五日のかつてとあて候いし時、迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦仏の五人、次第に入らせ給いて五升の米をこひとらせ給いき、其の日より五天竺第一の長者となりて、祇園精舎をばつくりて候ぞ、これをもつて・よろづを心へさせ給へ。『上野殿御返事(須達長者御書)』
(訳)仏にたやすく成る道があるので教えて差し上げよう。人がものを教えるというのは、車が重い時でも油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて往来し易くなる様に教えるのである。仏に成り易い道というのは特別なことではない。旱魃で喉の渇いた人に水を与え、寒さで凍えた人に火を与える様な事である。又二つとない物を人に与え、命が絶えようとしている時に、人に施す事である。<中略> インドの須達長者という人は七度貧乏になり、七度長者となったが、最後は万民が皆逃げ去り死に絶えて、夫婦二人だけになった。その時五升の米があり五日分の糧に充てようとしていた時、迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦の五人が次々に入って来て、五升の米を乞われたので全て差し上げた。その日から全インド第一の長者になって祇園精舎を造ったのである。この例に倣って万事を心がけていきなさい。
時光本人が重病となったのである。 病のしらせは前年の九月に日蓮のもとにとどいていた。 御使ひの申し候を承り候。是の所労難儀のよし聞こえ候。いそぎ療治をいたされ候ひて御参詣有るべく候。 『南条殿御返事:弘安四年九月十一日 六十歳御作』
病名は不明である。しかし確実に死にいたる病だった。薬もきかない。父兵衛七郎、弟五郎につづいて時光の番となったのである。時光はまだ二十三歳の若者なのだ。南条家はあきらかに短命の宿業をもっていた。 翌年の二月にはいり、ついに時光は危篤となった。 日蓮は事の重大さを知り、病床から身をおこして日朗に口述筆記させ、伯耆房日興に指図して時光に符を飲ませるよう指示した。 符とは経文を灰にして水にまぜた薬である。 日蓮はこのたびの時光の病がたとえ定業(寿命)であったとしても、なんとしても命を伸ばそうと必死だった。 兼ねて又此の経文は廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひとゝせ御所労御大事にならせ給ひ候て、やがて死なせ給ひて候ひし時、此の経文をあそばし候て、浄水をもってまいらせさせ給ひて候ひしかば、時をかへずいきかえらせ給ひて候経文なり。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわうたすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻にしやうじがはの水とりよせさせ給ひ候て、このきやうもんをはいにやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。 二月廿五日 日朗花押 謹上 はわき公御房 『伯耆公御房御消息』 日蓮はこの書で「たとえ寿命だとしても、今度ばかりは閻魔大王助け給え、と御誓願候」とまで言い切っている。 日蓮が符をつかうのははじめてではない。 十年前、四条金吾の妻日眼女が懐胎した時、安産のための符をおくっている。 懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候、能く能く信心あるべく候。たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども、わるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり、法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり、争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり 『四条金吾女房御書』
日蓮は自らしたためた法華経薬王品の経文を焼き、その灰を寅卯辰の刻すなわち午前三時から午前九時までの間に、精進河の水一合で調合し、時光にあたえるよう指示した。精進河は今も「静岡県富士宮市精進川」として地名がのこる。 薬王品の二十八字の経文とはおそらくつぎの文であろう。 (此の経は則ち閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、此の経を聞くこと得ば、病即ち消滅して不老不死ならん) 符の効用とは一体なにか。日蓮は晩年、自分の「やせやまい」に関して、医師でもあった四条金吾が調合した薬を服用して良くなったと消息に書いている。また病気の起こる原因について次のように記している。 病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順(環境不順)ならざる故に病む、二には飲食節ならざる故に病む、三には坐禅調わざる故に病む、四には鬼(伝染病)便りを得る、五には魔の所為(精神病)、六には業(宿業)の起るが故に病む 『大田入道殿御返事』 このうち一から五までは医療で治すことができる。六番目の業(宿業)が原因の病だけは法華経の信仰で罪障消滅しなければ治らない。 では符の効用はとは何か。 日蓮はどのような効用があると考えていたのか。 日蓮は思う。 自分の死後、弟子たちにさまざまな苦難があるだろう。だが日蓮の弟子と名のる者はあらゆる困難をこえねばならない。こえなければ未来はない。 またその弟子たちをささえるのは信徒檀那である。日蓮はその法華講衆の要となるのが南条時光であるとみた。それゆえになんとしてでも時光を蘇生させねばならぬ。 日朗に口述筆記させた三日後の二月二十八日、日蓮は寝たきりだったが時光のためにおきた。そして最後の力をふりしぼり、消息を書く。 宛先はだれでもなく、時光に巣くう病魔鬼神にむけたものである。 文字どおり生きるか死ぬか、生かすか殺すかの書である。 いかなる過去の宿習にて、かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候、上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が、法華経計りをば用いまいらせず候いけれども、仏くやうの功徳莫大なりければ・謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば天台の御釈に云はく「人の地に倒れて還って地より起つが如し」等云云。地にたうれたる人は、かへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかゝりて仏になるとことわられて候。 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたき上、ちゝ・故上野は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あるいはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。 命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ、此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこあなかしこ。此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行なはれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとゞめよ永くとゞめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし。後悔あるべし。 二月二十八日 伯耆房に下す 『法華証明抄』 南条時光は快方にむかった。見事に時光は蘇生した。彼はこの日からちょうど五十年の寿命をうけ、一生を法華経の信心で貫き通した。日蓮亡き後、自分の領地を提供して伯耆房日興をまねき、今の大石寺の基礎を築いた。そして時光は七十四歳で波乱に満ちた、しかし日蓮に生涯殉じた潔い生涯を終える。彼の所領だった富士の麓の上野郷はいま、日蓮大聖人、日興上人を慕う世界各国の信徒であふれている。 法華経如来寿量品に「更賜寿命」とある。さらに寿命を賜うの意味である。 釈迦は阿闍世王に四十年の命をあたえ、天台大師は兄に十五年の命をあたえたと伝えられている。そして日蓮は母の寿命を四年のばし、南条時光に五十年の命をあたえたのである。
by johsei1129
| 2017-09-19 21:56
| 小説 日蓮の生涯 下
|
Trackback
|
Comments(0)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 御書 INDEX・略歴 WRITING OF NICHIREN 観心本尊抄(御書五大部) 開目抄(御書五大部) 撰時抄(御書五大部) 報恩抄(御書五大部) 立正安国論(御書五大部) 御書十大部(五大部除く) 日蓮正宗総本山大石寺 重要法門(十大部除く) 血脈・相伝・講義 短文御書修正版 御義口伝 日興上人 日寛上人 六巻抄 日寛上人 御書文段 小説 日蓮の生涯 上 小説 日蓮の生涯 中 小説 日蓮の生涯 下 LIFE OF NICHIREN 日蓮正宗関連リンク 南条時光(上野殿) 阿仏房・千日尼 曾谷入道 妙法比丘尼 大田乗明・尼御前 四条金吾・日眼女 富木常忍・尼御前 池上兄弟 弟子・信徒その他への消息 釈尊・鳩摩羅什・日蓮大聖人 日蓮正宗 宗門史 創価破析 草稿 富士宗学要集 法華経28品 並開結 重要御書修正版 検索
以前の記事
2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 01月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||