人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2017年 09月 18日

九十、大尼御前への思い

信徒の中でも退転した者は数えきれない。

その中に女性も数多くいた。

彼女たちは世間の恐ろしさといい、日蓮への不信といい、自身の不明もあって信仰を捨てた。

大尼御前もその一人である。

日蓮の両親は大尼から経済的な援助をうけ、日蓮も大尼の恩をうけて世に出ることができた。彼女もはじめは日蓮を崇拝していた。

しかし大尼は竜の口、佐渡流罪とつづく大難の中で信心を捨ててしまった。信心強盛に見えたが、いったん日蓮が苦境におちいるとぐらついた。

日蓮は五十四歳の時、大尼の嫁にあたる新尼という女性に消息をおくっている。佐渡から甲州にはいった翌年である。

新尼は大尼のように佐渡流罪の時も退転せず、かろうじて法華経信仰を貫いた。

日蓮はその新尼には本尊を下付したが、大尼には与えなかった。新尼にその心中を語る。

  日蓮が重恩の人なれば(たす)けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば(じゅう)羅刹(らせつ)(さだ)んで偏頗(へんぱ)法師(ほつし)とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我が身のとが()をばしらせ給はずしてうら()みさせ給はんずらん。此の(よし)をば委細(いさい)助阿闍(すけのあじゃ)()の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参(げんざん)に入れさせ給ふべく候。

  御事にをいては御一味なるやうなれども御信心は色あらわれて候。()()の国と申し、此の国と申し、度々の御志ありてたゆ()むけしきはみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも(つい)にはいかんがとをそれ思ふこと、薄氷(うすらい)をふみ太刀(たち)(むか)ふがごとし。くは()しくは又々申すべく候。それのみならず、かまくら(鎌倉)にも御勘気の時、千が九百九十九人は()ちて候人々も、いまは世間やわ()らぎ候かのゆへに、()ゆる人々も候と申すに候へども、此はそれには似るべくもなく、いかにもふび(不便)んには思ひまひらせ候へども、骨に肉をば()へぬ事にて候へば、法華経に相違せさせ給ひ候はん事を叶ふまじき(よし)、いつまでも申し候べく候。恐々謹言。

二月十六日         日蓮花押

新尼御前御返事

 日蓮は新尼に本尊を与えたが、その心中は薄氷を踏み、太刀にむかうように不安をおぼえるといっている。新尼は佐渡の日蓮を支援し、甲斐の山中にも供養の品々を送りとどけている。それでも心もとないという。強信をつづけるのはそれほど困難である。

 義理ある大尼でも本尊はあたえない。

骨とは信心であり、肉とは過去の恩である。骨は肉には代えられない。過去の恩にかえて、おのれの信念を曲げるわけにはいかない。

 大尼はこの道理がわからない。彼女は日蓮が幼いころから手塩にかけて育てたのにと、うらぎられた思いしかなかった。

この仏法はすでに日蓮だけのものではなくなっている。ここでたわむれにも大尼の願いを聞けば、法華経の守護神である十羅刹から非難されるとまでいっている。

また日蓮は大尼に本尊をあたえたとしても、彼女はいずれまた退転するであろうことを見ぬいていた。大尼はそれほど縁に紛動されやすかった。

しかし日蓮は大恩ある彼女をわすれない。

故郷清澄寺への手紙には、大尼への熱い思いをしるす。翌年五十五歳の時だった。


領家の尼ごぜんは女人なり、愚癡なれば人々のいひを()せば、さこそとましまし候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へども、又一つには日蓮が父母等に恩をか()らせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ。

 だがこの努力もむなしく、大尼は正信にめざめなかったようである。

日蓮は彼女にひときわ厳しい消息をおくる。晩年五十九歳の時だった。

  ごく()そつ()えん()()王の(たけ)は十()ばかり、面は()をさし、眼は日月のごとく、()まん()ぐわ()の子のやうに、く()しは大石のごとく、大地は船を海にうかべたるやうにうごき、声はらい()のごとくはたはたと()りわたらむには、よも南無妙法蓮華経とはをほ()せ候はじ。日蓮が弟子にてはをはせず。よくよく内をしたゝめて、を()せをか()り候はん。なづき(頭脳)をわり、()()めていのりてみ候はん。たゞ()()きのいのりとをぼ()しめせ()。これより後はのちの事をよくよく御かため候へ。恐々謹言。

九月九日           日蓮花押

  大尼御前御返事

 大尼の臨終の時に閻魔王の怪物が登場するという。

 まんぐわとはまぐわのことで、牛や馬に引かせて土をかきならす農具である。横の()に刃を(くし)状にとりつける。今の日本ではめったにみられないが、つい最近まで使われていた。閻魔王の歯はこのとがった刃のようだという。

日蓮は頭蓋骨をわるように身を痛めて祈れという。

神仏の信仰は今よりもはるかに厚かった時代である。大尼はこれを読んでふるえあがったろう。大恩ある大尼だけに、彼女を成仏させようという厳しさはひととおりでなかった。


           九十一、千日尼と阿仏房 につづく


下巻目次



by johsei1129 | 2017-09-18 21:28 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)


<< 九十二、南条時光の信仰      八十九、女性信徒への手紙 二 ... >>