2017年 09月 18日
女性は夫という伴侶があって輝く。日妙のように信心を先として離縁した女性はまれである。日蓮も「女人は男の為に命をすつ」という。 その愛する夫に先立たれた嘆きは、いかばかりか。たがいの愛情が深ければなおさらである。それは女性の身になってみなければわからない。墨染の衣に身をやつし、まどろめば夢に見、さめれば面影に立つ。 日蓮は手紙の中で、女性の心中にわけいり悲愁の思いを同じくしている。大難はものともしない日蓮だが、人々の悲しみは自分のこととして情をよせた。あらゆる悲嘆に無関心ではいられなかった。 尾張の次郎兵衛という人が亡くなった。死因は定かではない。ただ幼い子をのこして亡くなったというから、若死だったようである。 妻のなげきはひとかたでない。 日蓮は妻の心情をくみとり、一書を送った。 是はさておきぬ。彼の女房の御歎きいかゞとをしはかるにあはれなり。たとへばふぢのはなのさかんなるが、松にかゝりて思ふ事もなきに、松のにはかにたふれ、つたのかきにかゝれるが、かきの破れたるが如くにをぼすらん。内へ入れば主なし。やぶれたる家の柱なきが如し。客人来れども外に出でてあひしらうべき人もなし。夜のくらきには、ねやすさまじく、はかをみれば、しるしはあれども声もきこへず。又思ひやる死出の山、三途の河をば誰とか越え給ふらん、只独り歎き給ふらん。とゞめをきし御前たちいかに我をばひとりやるらん。さはちぎらざりとや歎かせ給ふらん。かたがた秋のふけゆくまゝに、冬の嵐のをとづるゝ声につけても、弥々御嘆き重り候らん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 『妙法比丘尼御返事』
閨とは寝室。すさまじくとは殺風景で冷ややかという意味である。ひとりのこされた婦人の苦しい心情を、自分のことのようにしるしている。 また持妙尼という未亡人にあてた手紙がある。 彼女は伯耆房日興の叔母で、高橋六郎兵衛の妻であったといわれる。 持妙尼は亡き夫の命日に、供養の金銭を師日蓮に送った。 内容は心にしみわたるものがある。日蓮、五十五歳の時の手紙という。 御そうぜんれう送り給び候ひ了んぬ。すでに故入道殿のかくるゝ日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけるほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。 蘇武ともうせしつわものは、漢王の御使ひに胡国と申す国に入りて十九年、めもをとこをはなれ、をとこもわするゝ事なし。あまりのこひしさに、おとこの衣を秋ごとにきぬたのうへにてうちけるが、おもひやとをりてゆきにけん、おとこのみゝにきこへけり。ちんし(注)といゝしものは、めをとこはなれけるに、かゞみをわりてひとつづつとりにけり。わするゝ時はとりとびさりけり。さうしといゐしものは、おとこをこひてはかにいたりて木となりぬ。相思樹(注)と申すはこの木なり。大唐へわたるにしがの明神(注)と申す神をはす。おとこのもろこしへゆきしをこひて神となれり。しまのすがたをうなににたり。まつらさよひめ(注)といふ是なり。いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されどもをとこをんなのわかれほどたとげなかりけるはなし。過去遠々より女の身となりしが、このをとこ娑婆最後のぜんちしき(注)なりけり。 ちりしはなをちしこのみはさきむすぶ いかにこ人のかへらざるらむ こぞもうくことしもつらき月日かな おもひはいつもはれぬものゆえ 法華経の題目となへまいらせて、まいらせ候へ。 十一月二日 日蓮花押 男女の別れほど尊いものはないという。恋愛を経験しなければ、いえない一言ではないだろうか。日蓮は恋愛の経験があったのだろうか。そう思わせるほどこの手紙は男女の情感に迫るものがある。 内房の尼御前は現在の静岡県庵原郡内房に住んでいた。 日蓮は神社に参拝するという謗法を尼御前が犯したことを聞き、謗法を犯したばかりの信徒と直ちに会うことにためらい、会おうとせずに尼御前をかえした。尼御前は理由がわからず、途方にくれた。だが日蓮は会うわけにはいかない。いっぽうでこのことを不審に思う彼女を退転させてもいけなかった。 日蓮は三沢小次郎という信徒に、内房の尼に会わなかった理由を説明して尼御前の気持ちをはらし、信心に疑いをもたないよう説得を依頼している。 日蓮は内房の尼のほかにも、物見遊山で身延の草庵にくる信徒を追いかえしている。 又うつぶさの御事は御としよらせ給ひて御わたりありし、いたわしくをもひまいらせ候ひしかども、うぢがみへまいりてあるついでと候ひしかば、げざんに入るならば定めてつみふかゝるべし。其の故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのげざんは世間にもをそれ候。其の上尼の御身になり給ひてはまづ仏を先とすべし。かたがたの御とがありしかば、げざんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人々も、しもべのゆのついでと申す者を、あまたをひかへして候。尼ごぜんはをやのごとくの御としなり。御なげきいたわしく候ひしかども、この義をしらせまいらせんためなり。 『三沢抄』
ちんし 陳子。中国六朝時代の故事に出てくる人物。陳の国の太子に仕えていた除徳言が妻との離別に際して、鏡を破りその半分を妻に渡した。のち半鏡を探し出した夫は妻の居所を知ったが、その時、妻はすでに他人の妻となっていたという。大平広記にある。また一説には同じく夫婦離別の際、鏡を破って半片を分けあった。後、その妻が人と通じてしまったとき、鏡はカササギと化して飛び夫の前に至ったという。 相思樹 中国・戦国時代、夫が従軍して久しく帰らないので、その妻が思慕して死んでしまった。その墓の上に木が生じ、枝葉がすべて夫のいる方を向いていたという。相思樹はこの墓上の木をいう。 しがの明神 福岡県糠屋郡の志賀島にある志賀海神社の祭神。この明神は志賀の荒雄安曇氏の祭る綿津見の三神で、古くから海の守護神として祭られ万葉集にも歌がのこる。 まつらさよひめ 松浦佐与姫。肥前国(佐賀県)松浦に住んでいたという伝説的な美女。作用姫とも書く。宣化天皇の頃、任那に行く大友狭手彦と契りを結んだが、夫との別れを惜しんで山に登り、船にむかって領布(肩かけ)を振り続けたという。その山は領布麾の嶺と名づけられた。古来、夫婦の別れの悲しさの譬えとして万葉集巻五などをはじめ多くの文学・演劇などにうたわれた。 ぜんちしき 善知識。正直・有徳の友人のこと。悪知識に対する語。仏・菩薩・人・天等を問わず、人を仏道に導き入れる者をいう。
by johsei1129
| 2017-09-18 21:17
| 小説 日蓮の生涯 下
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