2020年 01月 25日
さて日本の国情は悪化の一途をたどっていた。 不幸には不幸がかさなる。 国中が蒙古の憂いをかかえ、飢餓に見舞われているときに、新たな災難がふりかかった。 疫病である。 発達した医術などなかった時代である。この悲報は諸国に聞こえ、日蓮の山中にもとどいていた。 建治四年、日蓮五十七歳の時に書かれた手紙に、この時の悲惨な状況が記されている。 又去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家・百家に五十家、皆やみ死し、或はやまねども心は大苦に値へり。やむ者よりも怖し。たまたま生き残りたれども、或は影の如くそゐし子もなく、眼の如く面をならべし夫妻もなく、天地の如く憑みし父母もおはせず、生きても何かせん。心あらん人々争でか世を厭はざらん。三界無安とは仏説き給ひて候へども法に過ぎて見え候。『松野殿御返事』 この疫病は建治三年春から大流行し、死者が続出した。翌年も衰えなかった。くわえてこの年、天候不順で大凶作となった。 朝廷はあわてて改元し、建治あらため弘安の世とした。弘安元年五月十八日には興福寺が観音像をつくり疫病の祈願を修した。さらに朝廷は五月二十六日、二十二社を召して祈願させた。 疫病は豊作ならば蔓延しづらい。日蓮は病のうえに飢饉がおそってくる様子をしるす。おなじく五十七歳の時に書かれた手紙である。 去今年は大えき此の国にをこりて、人の死ぬる事大風に木のたうれ、大雪に草のをるゝがごとし。一人ものこるべしともみへず候ひき。しかれども又今年の寒温時にしたがひて、五穀は田畠にみち草木はやさんにおひふさがりて尭舜(注)の代のごとく、成劫のはじめかとみへて候ひしほどに、八月・九月の大雨大風に日本一同に熟らず、ゆきてのこれる万民冬をすごしがたし。去ぬる寛喜・正嘉にもこえ、来たらん三災にもおとらざるか。自界叛逆して盗賊国に充満し、他界きそいて合戦に心をつひやす。民の心不孝にして父母を見ること他人のごとく、僧尼は邪見にして狗犬と猿猴とのあへるがごとし。慈悲なければ天も此の国をまぼらず、邪見なれば三宝にもすてられたり。又疫病もしばらくはやみてみえしかども、鬼神かへり入るかのゆえに、北国も東国も西国も南国も、一同にやみなげくよしきこへ候。 『上野殿御返事』 誹謗正法がつもれば国に小の三災がおこるという。穀貴・兵革・疫病である。 穀貴とは飢饉からはじまる穀物価格の上昇、すなわち猛烈なインフレをいう。兵革とは戦争である。これらはすべて人間が生みだす地獄・餓鬼・畜生の三悪道からおこる。 日蓮はこの悪心が誹謗正法によってひきおこされるという。 壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり。又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渴・疫病・合戦なり。飢渴は大貪よりをこり、やくびゃうはぐちよりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、人々ことなれども同じく一つの三毒なり。所謂南無妙法蓮華経を境としてをこる三毒なれば、人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのり、せめ、流し、うしなうなり。是即ち小の三災の序なり。 『曾谷殿御返事』 三大悪である飢餓・疫病・戦争は、人間の内からおきる。外からくるものではない。日蓮は天台の法華文句記をひいてくわしく説く。 されば文句の四に云はく「相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり。瞋恚増劇にして刀兵起こり、貪欲増劇にして飢餓起こり、愚癡増劇にして疾疫起こり、三災起こるが故に煩悩倍隆んにして諸見転熾なり」と。経に「如来現在、猶多怨嫉、況滅度後」と云ふは是なり。法華不信の者を以て五濁障重の者とす。経に云はく「五濁の悪世には、但諸欲に楽著せるを以て、是くの如き等の衆生、終に仏道を求めず」云云。仏道とは法華経の別名なり。天台云はく「仏道とは別して今経を指す」と。『御義口伝上 方便品八箇の大事』
四濁とは生命のにごりの諸相をいう。煩悩濁・見濁・衆生濁・命濁である。一切衆生が煩悩と誤った思想にとりつかれると、個々の生命や社会全体、衆生の生命自体がにごる。この四濁がつづくと時代のにごりである劫濁を生み五濁が完成する。 聚在とはあつまること。増劇とはいちじるしく増すことである。怒りが増劇して戦争となり、貪欲が増劇して飢饉となり、愚かさが増劇して疫病となる。 飢饉は連続しておきた。また日本国は二月騒動につづく蒙古来襲の恐怖のため疲弊した。さらにまた病害がまきおこった。釈迦の未来記は恐ろしいほど正確である。 日本国の人々はいまだ妙法に帰依しない。日蓮は正法に背をむける人々を不孝の人という。主師親である教主釈尊にそむくからである。この疫病は日本国の不信が元凶という。 これをもって案ずるに日本国の人は皆不幸の仁ぞかし。涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説き給へり。されば天の日月、八万四千の星各いかりをなし、眼をいからかして日本国をにらめ給ふ。今の陰陽師の天変頻りなりと奏し申す是なり。地夭日々に起こりて大海の上に小船をうかべたるが如し、今の日本国の小児は魂をうしなひ、女人は血をはく是なり。 『上野殿御返事』
「小児は魂をうしなひ」とはどういう病であろう。「女人は血をはく」とは結核のことであろうか。
堯舜 唐尭と虞舜のこと。ともに中国上古の理想的帝王とされる伝説上の人物。史記などでは五帝に含まれる。尭は暦を作り、治水のため舜を起用し、ついで位を舜に譲った。舜は信賞必罰を明らかにし、天下を統一して地方を分治せしめ、禹に治水を任せた。のち位を禹に譲った。尭舜の時代は孟子によって理想社会とされ、以後長く中国の政治の手本とされた。
by johsei1129
| 2020-01-25 08:04
| 小説 日蓮の生涯 下
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