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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 14日

六十五、桑ケ谷(くわがやつ)の法論


時は建治三年(一二七七)六月九日のことだった。
 竜象房が大仏の門の西、桑ヶ谷で満座の聴衆に説法をはじめた。念仏の尊さについてだった。

鎌倉で竜象房の人気が沸騰していた。良観の招きで京都から来たというだけで評判はあがった。鎌倉はいま竜象のありがたい法話と人食い鬼の話でもちきりだった。

この聴衆の中に四条金吾と日蓮門下の三位房日行がいた。

竜象は法話の途中、にこやかに語った。

「この見聞満座の御中でご不審なことがあれば、おおせをうかがいましょう」

ここでさっそく金吾が身をのりだそうとしたが、三位房がおさえて立ちあがった。

三位房は、にこやかに語りだした。

「生きとし生けるもの、すべからく生をうけしより死はまぬかれることができぬことは自明の理で、はじめて驚くべき事ではございませぬが、ことさら今日本国の災難に死ぬ者があとを絶たず、目の前の無常は人ごとに思い知らされております。しかるところ、京より上人がおくだりあって人々の不審を晴らすとうけたまわりました。ご説法の最中(もなか)にぶしつけな問答などあってはならぬかと思いましたが、疑いがあれば(はばか)らず聞いてくださるということ、喜んでおりまする」

竜象房がにこやかにうなずいた。かたや金吾は厳しい目で竜象をみる。

三位房はつづけた。

「まず不審に思えることは、某は末法に生をうけて片田舎に育った卑しい身ではありますが、漢土の仏法が幸いにしてこの国にわたり、これらをぜひ信ずべきところ、経典は五千七千と数多いものであります。

しかるに仏ひとりの説でありますから、所詮は一つの経におさまるはずなのに、弘法大師はわが日本国の真言宗の元祖でありますが、法華経は大日経に対すればいつわりの法、迷いの源であると説いております。浄土宗の法然上人いわく、法華経を念仏にたいして捨てよ、閉じよ、さしおき、投げうて、あるいは法華経の行者を群賊の群れなどといっております。また禅宗は仏法の真実は経典とは別に伝わっているのであり、文字を立てるものではないといっている。

教主釈尊は法華経の中で、世尊の法は久しくして後に(かなら)(まさ)に真実を説きたもうべしといい、多宝仏は法華経を(かい)()真実(しんじつ)とされているのに、弘法大師は法華経を戯論(けろん)の法と書いている。しかるに釈尊、多宝仏、十方の諸仏は法華経をほめ、皆これ真実と説いております。いずれを信じてよいのでしょうか。法然上人は法華経を捨てよ、投げうてという。釈迦、多宝、十方分身の諸仏は法華経を(たも)てば一人として成仏しない者はなく、みな仏道を成就するという。仏の言葉と法然上人とは、水と火よりもへだたりがございます。いずれを信ずべきでしょうか。またいずれを捨てればよいのでしょうか。

法華経には『()し人信ぜずして此の経を()(ぼう)せば、一切世間の仏種を断ぜん』とあります。この経文がまことならば、法然上人は無間地獄をまぬかれないのではないでしょうか。かの上人が地獄に()ちるならば末の学者、弟子檀那は自然に悪道に堕ちてしまうことは疑いがありませぬ。これらの違いこそ、まことに不審に思われます。竜象上人はこのことについて、いかがお考えでしょうか」

竜象がこまった顔をした。

「いにしえの賢人たちをどうして疑うことができましょう。わたしのような凡僧は、仰いで信じ奉るだけでございます」

三位房が突く。

「そのおおせこそ、賢人の言葉とは思われませぬな。最後の御遺言として説かれた涅槃経に『法に()って人に()らざれ』とあります。人師の言によらず仏典に依れ、と仏は説かれました。あなたはよもやあやまりはないであろうと申されました。竜象上人の言葉が仏の金言と違うならば、わたくし三位房は当然、如来の金言に随順いたします」

竜象がたじろいだ。

「人にあやまり多いというのは、いずれの人をいうのですかな」

「さきほど申しあげた弘法大師、法然上人こそ、その人にほかなりません」

竜象が大げさになげいた。

「ああ、それはならぬ。わが朝の人師のことは、かたじけなくも問答してはならないのです。なぜならこの満座の聴衆はみなみなその流れにておわす。鬱憤(うっぷん)出来(しゅったい)すれば、定めて(みだ)がわしき(注)ことになりましょう。おそれあり、おそれあり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

竜象が念仏を唱えだした。唱えることによって三位房の論難からのがれるつもりである。

しかし三位房は追及の手をゆるめない。

「竜象上人が人のあやまりとは、いずれの人を言うのかと問われたので、経文にそむく人を申しあげました。はばかりあってそれはできないとおっしゃるようでは進退は極まっております。人をはばかり世を恐れて、仏が説かれたように経文の実義を申さざらんは愚者のきわみであり、智者上人とは思われませぬ。悪法が世にひろまり人が悪道に堕ち、国土滅せんとみえるのに、法師の身としてどうして諫めないでおられましょう。まことの聖人ならばどうして身命を惜しんで世を、人を恐れることがあるでしょう。正法を弘めてこそ聖人の名を得ることができるのではないのですか」

竜象はまったくの受け身となって首をふった。

「そのような人など、この世にいるわけがない。わたくしは世をはばかり、人を恐れる者でございます」

三位房が高らかに宣言した。

竜象上人、私の論難に答えることができないのならもはや説法することはお止め頂きたい。某こそはいま日本国に聞こえたもう日蓮上人の弟子でございます」

驚きの声があがった。

竜象房の顔が恐怖にかわった。良観上人から聞いていた大悪僧ではないか。

四条金吾が胸をはった。
 三位房はよどみない。

「某の師匠、日蓮上人は末代の僧でおわすが、いまどきの高僧のように幕府に媚びることなく人をもへつらわず、いささかなる悪名もたてず、ただこの国に真言・禅・浄土などの悪法ならびに謗法の諸僧が満ち満ちて、上一人をはじめ下万民にいたるまで御帰依あるゆえに、法華経教主釈尊の大怨敵となりて現世には天神地祇(ちぎ)に捨てられ他国のせめにあい、後生には阿鼻大城に堕ちるべき由、経文にまかせて立てたまいしほどに、このこと申さば大いなる(あだ)あるべし、申さずんば仏の責めのがれがたし。世を恐れて申さずんば、我が身悪道に墮つべきとご覧じて、身を捨てて()ぬる建長年中より今年建治三年にいたるまで、二十余年の間あえて怠ることなし。しかれば私の難は数を知らず、国主の勘気は二度におよぶ。この三位も(いぬ)る文永八年九月十二日の勘気の時は供の一行でありしかば、同罪に行なわれて首をはねられるべきにてありしは、身命を惜しむ事なかりけり」

竜象があっけにとられ口をつぐむ。

三位房がさらに竜象を追いつめる。

かように申したくはなかったが、悪法をもって人を地獄におとす邪師を見ながら責め顕さずば、かえって仏法の(あだ)となるという仏のいましめ逃れがたいうえ、聴聞の上下みな悪道に堕ちること不憫(ふびん)に思うため申しあげました。智者と申すのは国の危うきをいさめ、人の邪見をとどめることこそ智者ではないでしょうか。これはいかに(ひが)(ごと)ありとも、世が恐ろしいから諫めないと申されるうえは力およばず。文殊の智慧も()()()(注)の弁舌も及びませぬぞ」

聴衆が歓喜し、三位房日行に手をあわせた。

「日行上人様、今しばらく説法してくださらぬか」

しかし三位房は「今日のところはこれまで」とばかり、金吾をうながし、意気揚々と席を立った。

竜象房は満座の中で、なんの返答もできず面目を失った。彼は妬みの目で二人を見送るだけだった。

かたや金吾は爽快だった。久々に気分のはれた思いである。こんなに万事がうまくいくのもめずらしい。こわいくらいだった。

それもそのはず、数日後に思わぬ大事件がまちうけていたのである。

この日の鎌倉は月夜に照らされていた。

とある廃寺で人影がうごめいていた。

人食いが肉を食べている。そのわきに死体が横たわっていた。鬼は闇の中で口を真っ赤にしながらむしゃぶりついた。

このとき、松明の光がいっせいに男にむけられた。

夜廻りの武士が物とり棒をもって、いっせいに男をかこんだ。

「いたぞ。ここだ」

人食いがおどろいて覆面をかぶり、寺の軒下に逃げこんだ。

夜警の一人が追いつき、棒でおさえこんだが人食いは、しゃにむにふりはらった。この時、覆面がはずれ、顔が月光に照らされた。

鬼は草むらへ転がるように逃げていく。暗いうえに草の丈は腰まである。追っ手はあきらめた。

夜警団がぞくぞくとあつまった。

「おのれ。また逃がしたか」

「手がかりはないのか。なにかのこしていないか、さがせ」

夜警の一人がふるえていた。

「・・顔を見ました」

夜警の(かしら)がよろこんだ。

「なに、でかした。どんな人相だった。見た顔か。特徴は」

「頭を剃っておりました」

「そうか、では乞食坊主にちがいない。人食いは坊主にばけている。そうだ、それにちがいない」

 男が腕を組んだ。

「まってくだされ。あの顔、どこかで見たような気がいたします」

「よし、なんとしても思いだすのだ」

男はゆっくりと頭を下げ、記憶の糸をたどった。

「桑ケ谷問答」から半月ほどたった六月二十五日、金吾の屋敷に来客があった。金吾の兄妹である。

重苦しい空気がただよった。

金吾には四、五人の兄妹がいたという。親類も大勢いたようである。このなかで金吾の兄は法華経の信心に反対だった。金吾の激しい気性にもあきあきしている。さらに金吾は主人と所領のことでいさかいをおこしているというではないか。彼らはいても立ってもいられない。金吾の田畑からくる年貢は兄妹をうるおしていた。金吾がもめごとをおこしてはこまる。今日という今日は我慢ならず、問いつめにきたのである。

金吾は腕を組んで苦虫をかみつぶしたように目をつぶった。妻の日眼女が気をつかって酒をふるまう。

兄がなげいた。

「まったくお前の強情にもあきれたな。なぜ殿にさからうのだ。所領替えなど、どこの世界にでもある話だ。世間を見ろ。土地も奪われ、露頭に迷う者は数多いというのに、血の気が多すぎるぞ。お前は」

妹が加勢した。

「兄上、四条の一族がつづくのも兄上のお覚悟しだいです。敵ばかりつくらずに、名越の殿様のおっしゃるとおりにしてくださいまし」

「おぬしの信心は今さらどうのこうのといわぬ。法華経を捨てろといえば、また喧嘩になるからな。だがな世間のつきあいも大事なのだ。広く浅く、なにごともなくすごしておれば、つまらぬいさかいもおこらぬ」

「お兄さま。お義姉様がかわいそうです。このままではいただいた土地は全部とりあげられてしまいますよ。わたしたち兄妹はそのおこぼれでやりくりしているというのに、これでは世間に顔むけできませんわ」

金吾がようやく口をひらいた。

「世間とか、幅広くつきあえとか、顔むけできないとか、おぬしら、なにを考えて生きておるのだ」

兄妹があ然とした。

「自分らしくしていなされ。外にばかり顔をむけてはならぬ。わしはわしのままでいく。それがいやななら兄弟の縁を切る」

「なんということを」

この時、屋敷の門で声がした。来客のようである。

所従の爺がむかえにいったが、意外な人物が立っていた。

島田入道、山城入道の二人だった。金吾とは犬猿の仲である。

こんな時にいったいなにごとか。

金吾が怪訝な顔で刀をさし、柄をつかんだままで応対した。

「なに用かな」

島田は懐から書状をとりだした。

「殿からの下し文である」

突然の来訪である。しかも主君光時の書状とはただごとではない。しかたなく金吾は二人をまねきいれた。

島田と山城が居間にははいり、金吾一族は袂をひるがえしてむかえた。

島田が立ったまま主人の下し文を読みあげた。金吾はしかたなく手をついて拝聴する。

驚くべき内容だった。

「一、貴公はさる六月九日、桑ヶ谷竜象上人の御説法のところに参ったとのことだが、おおかた穏便(おんびん)ならざるよし、見聞の人あまねくひとかたならず申しあいしたとのこと驚いている。そなたは徒党を組み、かしこへおしかけ、刀杖をもって出入りしたとのこと。まことに遺憾千万である。

二、余は極楽寺の良観上人こそ釈尊の再来と信じておる。また竜象上人は弥陀如来の再誕と思っている。

三、いかなることも主や親の所存には従うことで仏神の加護もあり、世間の礼にもかなう。だが貴公はすでに主にそむいている。これをなんと考えるのか。

四、以上のゆえをもって四条金吾頼基に命じる。法華経を捨て、阿弥陀仏に仕える誓状を立てよ。それがなくば、今ある所領を取りあげ、役払いとするであろう。誓いのしるしに起請文を用意した。貴公が賢明であることを望む。以上」

島田入道がうやうやしく起請の紙を金吾の前においた。

金吾がすかさず中腰になった。

「またれい。竜象房の一件は殿にお会いしたとき、その様子を申しあげた。また法論の時、その場にこの金吾を知らぬ者はいなかったはず。まったくもって事実と符合(ふごう)しない。ただこのわしを(そね)む者の作りごとであろう。早くその者どもを召しあわせられたい。必ず明らかになるはず」

島田が金吾を見下した。

「これ頭が高い。殿のお言葉であるぞ」

金吾がくやし顔ですわりなおす。

「四条金吾、これは殿の下命である。とくと考えよ」

島田と山城がにこやかに去っていく。

金吾が追いかけた。

「まて。これはおぬしらのたくらみであろう。卑怯だぞ。殿をたばかりおったな」

二人は背をむけたまま去った。

金吾が起請文の前にすわりなおした。

いかつい顔で兄がさとす。

「頼基よ、これは罠でもなんでもない。主人にしたがうのだ。武士は土地あってこそ生きられる。自分の身を守るために起請を書け」

妹もせまった。

「そうです兄上。日蓮など捨てておしまいになってください。起請文を書くまで、わたしはここを動きませんわ」

金吾が思案にくれ、長い沈黙がつづいた。

兄妹のいうとおりである。土地を取りあげられては生きていけない。自分だけではなく、妻子も路頭に迷う。

やがて金吾が口をひらいた。

「わかった。わしも武士のはしくれだ。乞食にはなりとうない。みんな安心してくれ。起請文は書こう」

緊張がほどけた。

兄妹はほっとした顔になった。

逆に妻の日眼女がうつむいたままでいる。幼い娘の(つき)(まろ)が心配になって母に抱きついた。

兄がむやみによろこぶ。

「よかった。これで四条の家も安泰だ。帰って先祖に申しあげよう」

妹もほっとした。

「本当ですわ。どうなるかと思いました。でも安心しましたわ。これで帷子(かたびら)が買えます」

やがて兄妹が静かに去っていった。

彼らが帰ったあと、屋敷全体が沈んだ空気につつまれた。

金吾が白紙の起請状の前で腕を組み、目をつぶった。

起請文はあらゆる神仏に誓いをたてる証文である。御成敗式目にも起請がのせられている。しるされた法を絶対に守るとして北条泰時以下の作成者全員が署名している。それほど起請文のもつ意味は重かった。ひとたび宣言すればもとにはもどせない。

従者の爺が心配そうに見守る。

やがて金吾は持仏堂にむかった。そこには日蓮がしたためた本尊が安置されている。

起請を書けばいっさいが終わる。すべては平穏となるだろう。自分は安楽に土地をもち、一族は生きのびていくことができる。まわりの摩擦もなくなる。すべてが静寂となる。いまその機会はおとずれた。

法華経を捨てるとは日蓮と離れることである。日蓮と離れたならば、いままでとはちがう毎日がまっているだろう。おそらくはまったくちがう人生になるだろう。同僚との争いはなくなり、なれあいの毎日になるだろう。主君には媚びることだけを考えて、毎日の糧にあくせくしてゆくのだろう。

一片の所領とひきかえに、想像もしない人生がまっている。おそらくは味気のない空虚なものであろう。金吾は生気のぬけた自分の姿を想像した。

朝がきた。

従者の爺はねむりこけていた。

金吾が机に正座した。机に置かれた紙にはまだ一文字も記されていない。ここで金吾は日蓮の言葉を思いだした。

浅きはやすく深きはかたしとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きにくは丈夫じょうぶの心なり。 『顕仏未来記

金吾の心は決まっていた。

「日蓮聖人なしに己の人生はない」

金吾はそう決断すると、「たとえ所領を没収されても起請は書かざる」と筆も折らんばかりに力強く書きつけた。そして直ちに「桑ケ谷問答」の顛末と主君光時の下し文を添えて日蓮のもとに急使をたてた。急使は翌々日、二十七日の酉の刻(午後六時)には身延の草庵に到着する。
 日蓮はこの金吾からの書状を見て問注所への陳情文『頼基陳状』を「四条中務尉頼基」の名で代筆し金吾に送った。


書き終わってふりむくと日眼女が少し離れて座っていた。彼女の胸には月満御前が眠っている。父親の苦境など知る由もなく、満ち足りた顔で寝ている。

金吾はまるで憑き物がとれたかのように笑顔で語る。

「おきておったか。心配するな。見てのとおりだ。わしの腹はきまっている。それではこれから殿のところへ出かけるとするか」

日眼女は夫の気持ちを察した。名越邸にむかう金吾をいつもどおり見送ったが、目は笑っていない。

名越光時邸には極楽寺良観と竜象房がきていた。くわえて金吾の兄がその場にかしこまっていた。

良観がにこやかである。

「四条金吾が起請文を書いたなら、急いでかたがたにふれまわすのです。これで鎌倉のうちに日蓮の弟子は一人もいなくなる。大いに攻めるのです」

竜象房も満足だった。満座の中で赤恥をかかされた恨みは消えていない。

金吾の兄が光時に言上した。

「殿、弟の数々の無礼をおわびいたします。くわえて所領の安堵をお願いいたします。すでに弟は改心いたしました」

当の光時は咳をしていた。風邪をこじらせていたようである。くわえて金吾の件でも頭を痛めている。

光時は最初、軽い気持ちで金吾をこらしめようと、島田たちの策をとったが、目的は金吾の忠誠をとりもどしたいだけだった。光時は金吾に一目も二目も置いている。これほどの騒ぎになるとは思わなかったのである。金吾は二月騒動のとき、自分のために殉死しようとした忠臣である。それをここまで追いつめてよいものか、一抹の不安があった。

島田が笑顔でやってきた。

「四条金吾の起請文がとどきましたぞ」

緊張の中、島田が書状をひらき、うやうやしく読みだした。

「言上(つかまつ)り候。先だってわざと拙者宅へ使者をお向けくだされ、まことに恐縮しておりまする。また殿には軽いながらもご所労の様子。案じておりまする。さて起請の件、このたびおおせの起請はまったくもって書かざることをお誓い申しあげまする」

読みあげる島田以下、全員が驚愕した。島田はおろおろしながら読んでいく。

「いかにおどされても、所領を捨てても、あくまで法華経を信じとおすことを殿の前で断じてお誓い申しあげまする。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊にかわるところはございませぬ」

光時がぼう然とし、良観が怒りに大声をあげた。

「殿、即刻四条の土地を取りあげなされ。さらに訴訟じゃ、奉行人に訴えなされ。金吾を地獄におとすのじゃ」

名越光時は明らかに困惑していた。訴訟にまでになろうとは。心ならずも大事になってしまった。

良観と竜象房、島田・山城の一味は、評定で金吾を追いおとすことにきめた。金吾の非を世間に知らせ、金吾と法華経を一気に壊滅しようとした。金吾はしょせん光時の部下にすぎない。勝算は充分にあるとみた。

評定の開始決定は直ちに甲斐身延の日蓮のもとに伝達された。
 日蓮は訴訟においては百戦錬磨である。金吾一人ではこの裁判で論証する力はない。日蓮は良観一味に追い詰められた金吾に、評定での証言方法について一部始終を指示した。金吾はこんどばかりは素直にしたがった。

こうして四条金吾は、はからずも仏法の正邪を決する人となったのである。


           六十六、金吾の奉行所対決 につづく
 
下巻目次


(みだ)りがわしき 思慮・分別がなく乱暴である意。


(富楼那弥多羅尼子とも)

 釈迦十大弟子の一人。説法第一とされ、法華経五百弟子品第八で法明如来の記別を受けた。富楼那の母は、釈尊が成道後最初に説法した五比丘の一人僑陳如の妹で、大長者の娘と伝えられている。



by johsei1129 | 2017-09-14 22:50 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)


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