2017年 09月 13日
時は文永十一年から建治元年に変わる。 百姓が一人、荷車で芋を運んでいた。芋は明日の市にだすのだろう。 彼はひと休みし、澄んだ月を見あげた。この時代の人々は月が明るいうちは、よく外に出かけたという。 百姓はかすかな物音を聞いた。耳を澄ますと、何者かが、うまそうに何かにしゃぶりついている様子だ。 (だれだろう、こんな夜中に) 百姓が音のしているところに近づいた。 「おい、だれかいるのか」 男が闇の中で夢中になって何かを食べているが、建物の影になり暗くてよく見えない。 目をこらすと男の足元に死体があった。死体は月明かりに照らされ青白く光った。男は暗闇で口のまわりを血だらけにし、人肉を食べていたのだ。 百姓は仰天して腰をぬかした。 この近くを二人の武士が歩いていた。彼らは夜の鎌倉を警護する武士である。夜廻りの殿原といった。 「今日は何事もないようだ」 「そうであればよいが・・・だが、なにもないといっているときが一番あぶないものじゃ」 その時、むこうから百姓が血相をかえて走ってきた。 「お侍さま、出ました」 「おちつけ、どうした」 百姓が振り返って、今来た道を指さした。 「人食い、人食いでございます」 武士は刀の柄をにぎった。 「またか、今度はのがさん」 すぐさま武士が現場に急行した。しかし人食いは逃げ去ったあとだった。 武士が亡き骸を点検した。 「これは死体置き場から運ばれたものだな」 「腹や足の柔らかいところを食べておる。食物がとぼしいとはいえ、人としてあるまじき所業。断じてゆるせぬ」 「この切り口、かなり慣れている者の仕業とみた。人食いの常習者だな。この鎌倉でこんな人間がいるとは」 武士が付近の地面に点々と連なる血のあとをみつけた。 「おい、これを見ろ」 武士が血のあとをたどると、人食いが草むらからいきなり飛びだして目の前を走り去った。 人食いの眼が不気味に光る。 「まて」 武士二人が追いかけたが、人食いは奇声をあげ、地面をけりながら飛ぶように去っていった。早い。屈強な武士が追いつけずにあきらめた。 「あやつは鬼か、悪魔か」 日蓮が「立正安国論」に記した正嘉・正元年間の大飢饉、大災害の記憶は、鎌倉の人々にとって消えていなかった。 正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す。同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉・正元元年己未大疫病、同二年庚申四季に亘つて大疫已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間国主之に驚き内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く還つて飢疫等を増長す。『安国論御勘由来』 飢えの苦しみは日本国中に広がっていた。蒙古来襲の恐怖も目前となっている。世情が不安にまみれていた。人食いはその象徴である。さらには人肉を売る者まであらわれたという。日蓮はなげく。 但し当世の体こそ哀れに候へ。日本国数年の間、打ち続きけかちゆきゝて衣食たへ、畜るいをば食いつくし、結句人をくらふ者出来して、或は死人・或は小児・或は病人等の肉を裂き取りて、魚鹿等に加へて売りしかば人是をば買ひくへり。この国存の外に大悪鬼となれり。 『松野殿御返事』 四条金吾が甲斐身延の日蓮の草庵を訪れた。 金吾は日蓮に鎌倉の動静を逐一細かく報告していた。日蓮は金吾や富木常忍ら幕臣の信徒によってもたらされる情報によって、山中にいながら鎌倉幕府の動向を把握していた。 話題は蒙古の使者が処刑されたことにおよんだ。 日蓮は思わず、天を仰いで嘆息した。 「蒙古の使者が首をはねられたことは残念でなりませぬ。日本国の敵である念仏・真言・禅・律等の僧侶は斬られずして、敵国の蒙古とはいえ、罪もない使いの首がはねられたことこそ不憫です」 この日の金吾は終始とつとつと話していた。いつもの饒舌な語り口は影をひそめていた。 「このまま幕府の方針が変わらなければ、我が国はまた蒙古と合戦となるでありましょう。我が方と蒙古と、双方に多大な犠牲者がでるのは避けられません。幕府は聖人の諫言を聞かず、極楽寺良観や建長寺道隆をたよって国家安泰を祈っております」 金吾の話にじっと耳を傾けていた日蓮が滔々と語りだした。 「一切の大事の中で国の滅びることが問題の中の第一です。一切の悪の中で政が悪いために、わが国が他国に破られるのが第一の悪事です。国主となって悪人を登用し、善人を罰すれば、必ずその国は他国に破られる。いま日本の国主は、二百五十戒を堅くたもつ僧を尊んで法華経の行者を失おうとしている。 しかし今の日本国の諸人はみな嘆いているが、日蓮の門下は嘆きの中にも喜びを見いだすことができます。この国にいるならば、蒙古の責めはまず逃れることはできないでしょう。しかし国のため責められたことは、天も御存じのはず。後生は必ず助かるであろうと思えば喜びです。これからも見ていてくだされ。日蓮を誹る法師らが日本国の安泰を祈れば、いよいよ国は亡ぶであろう。あげくにその責めが重ければ、上一人より下万民まで髻を切られて奴隷となり、ほぞを食うためしがあるであろう。日蓮が法華経の行者であるかなきかは、これにてご覧くだされ」 金吾が腹立たしげにいった。 「まったくわが主君の光時様も良観の念仏に浸りきっております。先日も法華経の話をいたしましたが、いっこうに耳を傾けませぬ。まことに歯がゆいかぎりでござる」 金吾は主君光時の念仏信仰を変えることができないことに情けない思いだった。 主人北条光時は、金吾を側近中の側近として信頼はしていた。金吾は光時が二月騒動に巻き込まれようとした時、殉死しようとしたほどの忠臣である。 だが信仰となると話はべつだった。光時は極楽寺良観を崇拝している。それが金吾にとって歯がゆい。良観は師匠の命をつけ狙った悪人である。金吾はなんども主人をいさめたが、光時は聞く耳をもたなかった。金吾の鬱憤はつのるばかりである。 日蓮がその金吾をたしなめた。 「過去世からの誹謗正法の罪は重い。だがいったん主人に諫言したのです。それで金吾殿の罪は消えました。これよりは少し様子を見ていなされ」 しかし金吾は不満げだった。 「そうでしょうか。あの殿さえ信心すれば、わが法華宗は幕府の中で一大勢力となりましょう。殿の取りまきが悪いばかりに、わが殿の邪見が改まりませぬ」 「金吾殿。あせってはなりませぬぞ。しんぼう強く祈るのです。かくれての信あれば、あらわれての徳がある。必ずしるしがあるはずです」 日蓮聖人は主君に諫言したことで金吾の罪は消えたという。しかし金吾は、主君を法華経に帰依させることのできない自分の力不足に、忸怩たる思いだった。
極楽寺は広大な敷地に豪壮な伽藍が林立していた。 その極楽寺に夕日がせまっている。多くの賤民や病人が、いつものとおり集まって施しを受けていた。 黒衣の若僧たちが食事を提供した。 貧しき人々が手をあわせて椀の粥をうける。良観を敬わない者はだれ一人としていない。 極楽寺本殿の客間はいつも笑い声が絶えなかった。良観を座の中心に置いて北条光時らの御家人や尼御前が談笑していた。 光時が良観に謝意を述べた。 「このたびの蒙古退治の祈り。和尚には日夜の祈祷をしていただき、まことに痛み入ります」 太鼓腹の良観が気持ちよく答えた。 「日本国の一大事でございます。戒律をたもち、念仏を唱えるわれらとして当然のことかと。日蓮のように祈祷を拒んで山に逃げ込むようなことは決していたしませぬ」 一同「我が意を得たり」とばかり高笑いをする。 光時は良観に同調し、さらに日蓮を非難する。 「あの僧は臆病でござるな。もしかすると蒙古の責めを恐れて逃げ去ったのではないですかな」 良観がうなずいた。 「日蓮のことはもうよいではございませぬか。すでに過去の人間です。隠居して甲斐の山で食うや食わずの暮らしをしておるとのこと。それよりも弟子どもが鎌倉を徘徊してさかんに宗論をしかけております。しかし彼らは世間を騒がすだけ。いずれまた幕府に訴えでるのではと思います。そういえば、光時様の御家来にもおりましたな」 光時は苦々しげに口を開いた。 「四条金吾のことですな。あの男にはほとほと手を焼いております。ほかの家来との折りあいも悪い。剛毅なところは買っておるが、このままだと厄介者になるやもしれませぬ」 良観が笑みを浮かべ光時に同調する。 「殿もご苦労がおありですな。いずれにせよ戒律や念仏に刃向かう者には、往生は叶いませぬ。その金吾とやらには、いずれご決断を下さねばならぬ時がくるでしょうな」 良観は内心ほっとしていた。 目の敵にしていた日蓮が鎌倉を去ったからである。手ごわい敵はいなくなった。のこる心配は鎌倉幕府内にいる日蓮門下の残党どもだった。日蓮の弟子の活発な折伏で極楽寺の信徒が急減している。彼らさえいなければ鎌倉の宗教界をふたたび手中にできる。 良観は日蓮の信徒に勢いをつかせぬよう、あらゆる手段を講じた。もともと鎌倉の仏教界に君臨していたのである。彼がふたたび鎌倉の民衆から聖人と崇められる日も近い。良観にとっては容易な策謀のはずだった。 だがそんな矢先に大事件がおきてしまった。 極楽寺が焼失してしまったのである。 その夜、火煙が極楽寺の建物に充満した。出火の原因は不明である。おりからの風にあおられ、四十九ある伽藍すべてに燃えひろがった。 若僧が境内に煙がたちこめるのを見てあわてた。 火炎は本堂の戸をやぶり、火の粉をまき散らした。 若僧らが火を消し止めようと、境内を右往左往している。なにをすればよいかわからず、逃げ惑う小僧達もいる。 しかし瞬く間に建具が炎につつまれ、火の粉が生き物のようにすべての建物を焼き尽くしていった。 良観も狼狽してわめきちらす。 「早く、早く消すのだ。堂に銭があるのだ。値うちのある衣や絹もあるぞ。なんとしても火を消せ」 良観は人がかわったように弟子を突きとばした。 弟子が延焼を恐れて建物を打ち壊そうとするが火の勢いがはげしく、いやおうなしに引きさがる。 そのうちに火がつぎつぎに飛んで一山が炎の山と化していった。 良観は火にむかってゆくが、弟子が必死で止めた。良観は半狂乱だった。 「金だ、あの中に蓄えがあるのだ。止めるな、止めないでくれ」 良観にとって財力が出世の手段である。銅銭は手放せない。ほかのなによりも貴重だった。彼は戒律や念仏を説きながら、利銭・借請といった金融業を営んでいる。莫大な富が極楽寺にあったのだ。幕府でさえも彼の財力を頼った。それが今、炎とともに消え失せようとしていた。 本堂がぐらぐらと倒れ、取り巻く住僧の悲鳴とともにくずれた。 鎌倉市街にも半焼が鳴り響いた。極楽寺から失火した火災は鎌倉のいたるところに及んだ。将軍のいる御所も全焼した。人々が逃げまどう。 北条時宗の館にも火が近づき、大混乱となっていた。 しかし時宗は煙が充満する中でも目をとじ、泰然自若としている。 平頼綱が時宗の前で片膝をついた。 「殿、ここはあぶのうござる。早くお立ちのきを。火元は極楽寺とのこと」 時宗は最高権力者らしく動じない。 執事の頼綱がせきたてた。 「殿、お早く」 翌朝、極楽寺は鎮火したものの、くすぶった煙が充満した。 あっけないものだった。当時の建築技術の粋を注ぎ込んだ四十九院の壮麗な伽藍が一晩で灰となったのだ。 良観の袈裟も焼けこげた。彼は呆然とあたりを見まわしながら徘徊し、地べたにすわりこんだ。 そして両手を地につけ、いつ果てるともなく泣き続けた。鎌倉中から生き仏と讃えられた良観が泣くのは、日蓮との祈雨に敗れていらいである。 無理もない。 齢六十になって、すべてをなくしてしまった。突然の災難が、だれともわからぬ見えない力でおそってきたのだ。彼はおのれの不幸に絶望した。 しかし突然、狂ったように笑いだした。 「なんのことはない。また一から出直せばよいのだ。信者はまだ大勢いる。この自分を釈迦の再来とまでいう在家もいる。再建は彼らにさせよう。幕府の戎どもは手なずけてある。これからは手づるをつかんで東大寺の別当あたりをねらえばよい。さえぎる者はだれもないのだ。日蓮以外は」
焼け跡の復興がはじまった。 急造の堂で念仏の声がひびく。 中央に忍性良観、まわりに黒衣の僧らがいる。 四条金吾の主君、北条光時も良観が災難と知り、矢も盾もたまらず参詣し平形の数珠で手をあわせた。光時は良観に心酔していた。莫大な布施を申しでたのは当然だった。良観を慕う御家人もつぎつぎと布施をさしだした。 読経が終わり、法座で良観が挨拶した。 「このたびは、この極楽寺を復興するにあたり、みなさまから多大な寄進を受け、まことにありがたいことと存じまする。さて本日は幕府のお歴々が参られておられます」 良観は説法をしながらも御家人たちの熱い視線を感じていた。 「この良観も国家安泰のため、近くは蒙古退治の祈りのため、身を尽くす所存でございます。皆様も戒律を守り念仏を唱えてくだされ。そうすれば来世の往生はかないまする。悪人もふせぐことができる。あの日蓮の一派を退治することもできるのです」 御家人たちの中には「然り」とばかりうなずく者が少なからずいた。 良観の口調は熱をおびる。 「南無阿弥陀仏と一日一万遍、十万遍と唱えてくだされ。悪を止めるのはそれしかないのです。よろしいですかな」 「はい」と一同がいっせいに唱和した。 良観は満足した。この檀家たちがいるかぎり、自分は安泰である。 「ここでわれらの頼もしい味方を紹介いたしましょう」 見知らぬ老僧があらわれた。一同はこの僧の気品ある姿にうっとりとして手をあわせた。 「竜象房と申されます。このたび比叡山からまいられました」 比叡山と聞いただけで場内に称賛の声があがった。 「この姿を見ておわかりでしょう。まことに気品ある御僧侶でございます。まさしく釈迦如来の再来であろうか。いよいよ鎌倉に念仏が弘まる時でございますぞ」 一同が竜象房にはげしく拍手した。 やがて竜象房はやや低い声で話しだした。表情に一抹の陰が見え隠れしたが、口調はおだやかだった。 「竜象でございます。このたびは良観上人様のお招きにあずかり、叡山からまいりました。ただいまは住まいを大仏の西、桑が谷に構えて説法をいたしておりまする。みなさま、仏様の教えでわからないことがあればいつでも申しうけます。某も不肖の身でありますが、弥陀如来の再来であります良観様とともに、念仏をひろめてまいりたいと思っております。どうかお見知りおきを」 聴衆がいっせいに身を床に伏して、叡山から来た竜象房に敬意を表した。 いっぽう四条金吾は屋敷の作業場で薬を調合していた。薬草を薬研(注)ですりつぶし、まぜる作業である。そばには薬の土瓶がならべてある。 金吾は薬草の達人であった。主人の病気をなおした実績がある。医者などいないこの時代、薬剤に長けた金吾は名越家にとっても貴重な存在だった。鎌倉時代の人々は薬や灸による療法で病と対峙していた。おもしろいのは季節ごとの薬があったことが知られている。春の薬、秋の薬があったという。 金吾が下人に指図した。 「この薬を甲斐の山へ。日蓮聖人にとどけよ。あそこは山地ゆえ、底冷えなどして下り腹などをおこしやすい。この薬は必ず効くであろう」 妻の日眼女が金吾をせかした。 「あなた、そろそろ出かけませんと。今日はおそくなりますか」 「いや、どうした」 「夜おそいと心配です。また人食いがでたと聞きましたわ。街ではその話でもちきりでございます」 金吾が笑った。 「そうか、わしも食われるかもしれんな」 「ご冗談を。貴方様が人食いをたべたなら信じますが。ところであなた、いま殿方とのおつきあいはどうなのですか」 金吾が急に不機嫌になった。 「それがどうした」 「今までおつきあいしていた奥様方が急によそよそしくなっています。この前も島田様や山城様の奥様と市場でお会いしましたが、こちらから挨拶しても目も合わせません。いままでこんなことはなかったことです」 日眼女が異変を訴えても金吾はぶっきらぼうだった。 「いちいち気にするな。島田や山城など、もうとっくに付きあいはないわ。あやつら、わしと殿の仲がよいことに嫉妬しておるのだ」 「付き合いがないとは、どうしてですか」 「もともと、あやつらとは気があわなかった。殿のことといい、法華経の信心といい、わしにことごとく反対しておる。殿の家中で法華経をたもつのはわし一人だ。多勢に無勢だが、わしは負けん」 金吾が刀を腰に差し、馬にまたがった。 日眼女が不安そうに見送った。 日蓮が四条金吾の性格について書いた手紙がのこっている。日蓮は金吾の最大の理解者だけあって、その中身はなかなか面白い。 ある時、富木常忍の妻が重い病気になった。金吾と常忍は無二の親友である。二人は長年の信仰もあって親族以上だった。 日蓮は富木の妻に、医術に長けた金吾を紹介した。ここで日蓮は彼女に金吾の性格について注意するようふくめている。 此の人は、人の申せばすこし心へずげに思ふ人なり。なかなか申すはあしかりぬべし。但なかうどもなく、ひらなさけに、又心もなくうちたのませ給へ。『可延定業書』 (金吾殿はいろいろ口を出されると気分を悪くする人柄です。あまりこまごまと金吾殿に注文するのはよくありません。他人を中にいれず、じかに金吾殿に思うところをありのままにのべて頼ってください)
金吾の頑固な性格がうかがわれる。読者は金吾のいかめしい面がまえを想像するかもしれない。 また彼は激情家であった。人に抜きんでようという勝他の念も異常に強かった。 きわめてまけじだましの人にて、わがかたの事をば大事と申す人なり。 日蓮は同じく「可延定業書」で、金吾はなんにつけ、負けじ魂の人であるといっている。人を押しのけてでも自分を通した。「わがかた」とは法華宗の人々のことである。 強情なのは仕事でも信仰でもおなじだった。同僚に敵が多かったのはうなずけるところである。また金吾は日蓮にも思うところをずけずけと言ったようだ。そして「わがかた」すなわち法華宗の人々のことなら、なにをさしおいても優先した。じっさい金吾は富木常忍の妻の病気について、自分の家族のように心配した。 頑固で強情、なおかつ激しやすい人はまちがいなく嫌われる。こういう人は現代にもいる。鎌倉武士の典型かもしれない。 金吾は法華経の信心がなければ、そのはげしい気性のゆえに、短命で終わっていたかもしれない。このように人には嫌われていたが、いざとなれば師匠と命を共にし、主人のために殉死しようとする。 ふだんはただの短気な男である。だがひとたび絶体絶命となれば、金吾は真価を発揮した。人の評価はどうあれ、重大な局面にいたった時、日蓮にも主人にも頼もしい味方だったのである。 注::薬研(やげん) 漢方薬などをつくるとき草や根などの薬効を持つ薬種を細粉にひくのに用いる器具。石・鉄・木製などがある。
by johsei1129
| 2017-09-13 22:48
| 小説 日蓮の生涯 下
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