2017年 07月 22日
![]() (身延山頂から富士山・富士川を望む。山の険しさがわかる)
食卓には玄米のおこわと、近くの山中から収穫した山菜の入った汁物と大根の漬物が並ぶ。 日蓮と弟子たちが食事を共にした。 日向がいう。 「上人、波木井殿はなにか申しておりましたか」 日蓮が豆をふくみながら答える。 「なにを」 「このような食では身がもちませぬ。われらがここに来たとき、波木井殿は食べ物のことは心配せずともよいと申したはずですが」 日蓮の目が笑う。 「波木井殿とて苦しいのだ。年貢がままならねば幕府から咎めがある。それに加え、われらのこともやっかいであろう。なにより間借りしている身なのだ。日向よ、ありがたく思わねば」 同じ夜、波木井実長は豪勢な食膳にかこまれていた。日蓮と弟子たちが囲む質素な膳とは対照的だった。 波木井の心根には、日蓮を庇護してやっているという思いがある。彼は日蓮を信奉してはいたが、同時に日蓮の家主でもある。 波木井は思う。 自分と日蓮の立場は同等である。自然、日蓮門下に対する扱いはどうしてもぞんざいとなった。その心情は振舞にあらわれた。実長のこの思いは日蓮がここに住んだ八年間かわらなかった。このため日蓮は口には出さなかったが、衣食について時には窮乏する日々を過ごすこともあった。 信徒から単衣一領を送られた時の、返書の消息がのこっている。衣の送り主は駿河の南条一族の一人という。日蓮が身延山に入った翌年の手紙である。ここにその窮状がみてとれる。 かゝる身なれば蘇武が如く雪を食として命を継ぎ、李陵が如く蓑をきて世をすごす。山林に交わって果なき時は空しくして両三日を過ぐ。鹿の皮破れぬれば裸にして三・四月に及べり。かゝる者をば何としてか哀れとおぼしけん。未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給び候こそ、何にとも存じがたく候へ。 『単衣抄』 三日食べず、三月のあいだ着るものもない。まして着るものは衣ではなく鹿の皮だったという。くわえて山の冬はきびしい。「飢餓と寒苦」。この二苦は、日蓮が身延山中で過ごした晩年を知る上で、我々現在の信徒が決して忘れてはならない事であろう。 弟子の育成に傾ける熱い思いとは裏腹に、身辺は苦しい日々だった。 日蓮は身延山中に籠ったが、けっして安閑としていたわけではない。弟子の育成、法門の述作、弟子檀那への手紙を次から次へとしたためていた。甲斐身延での述作は現存するだけでも膨大な数にのぼる。日蓮は文永十一年五月十七日に駿河国・波木井に到着してから弘安五年十月十三日に入滅するまでの八年間で、真筆、古写本で確認されている書は三百二十五編にも及ぶ。この中には唯受一人の後継者、日興上人が選定した御書十大部のうち、選時抄、報恩抄、法華取要抄、四信五品抄、下山御消息、本尊問答抄の六抄が述作されている。 この当時、新聞はなくテレビやラジオもない。携帯もなければネットもない。まして唯一の通信手段の紙は貴重だった。日蓮は使い古しの紙まであつめ、書きあげていった。意思伝達の手段は文字と人の口だけである。日蓮は伯耆房をはじめとする弟子たちに、薫陶に薫陶をかさねて各地の布教先へと旅立たせた。 述作については筆をとる前、いかに人の心に伝わっていくか、練りに練って思索をつくした。いったん構想がまとまれば大胆に記述していった。長文の重要法門をしたためる時以外は、ほとんど下書きなどない。すべて頭の中でまとめた。今のわれわれには、とうてい真似はできない。 述作とならんで身魂をくだいたのは本尊の図現だった。 中央に「南無妙法蓮華経日蓮」としたため、そのまわりに己心の十界(注)を象徴する如来、菩薩、天人、諸王をしるして弟子檀那にあたえた。 この強い思いを消息の中で訴えている。 日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。仏の御心は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云はく「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給ふ。 『経王殿御返事』 日蓮は一人一人の信徒に仏法の極意を伝えるため、本尊を書きあらわした。「すみにそめながして」とある。全魂をこめたといってよい。日蓮が疲れきって筆が止まったときは、伯耆房に命じて書きあらわしている。この書きあらわすことを御図現という。仏像の造立とおなじ意味である。日蓮は釈迦滅後二千年の末法で、この本尊だけが生きる法であると確信していた。 だが本尊はだれにでもあたえたのではない。 日蓮のあとをついだ伯耆房日興は本尊をうける者の資格をのべている。
本尊はだれにでもあたえるものではない。 日蓮は大難のつらさに耐えかねて、信心を捨てる者の多さを身にしみて体験した。はじめは熱心で日蓮につくようにみえて、難がおきたとたん、たちまち信心を捨て、一転日蓮を非難する側に回った弟子・信徒のなんと多いことか。そのような者にとって本尊はただの紙きれにすぎない。彼らは法を下げ、人を悪道におとすだけである。 日蓮が図現した御本尊の中に、日興が筆を入れ、日蓮が花押をしるした師弟合作の御本尊が現存する。この御本尊は代々つたわり江戸時代、今の仙台染師町の仏眼寺に安置されていた。 寛永十三年(一六三六)、火災がおこり、この本尊にも火がせまったが、自ら飛び去って類焼をまぬがれたという。本尊は近隣の木にかかっていた。当時の信徒は「飛び曼荼羅」として御本尊の功力を称賛した。また大名の伊達家は藩の宝として尊崇したと伝えられている。 日蓮は弟子に本尊を持たせ、強信の徒にとどけた。法華経流布の勢いは拡大していく。すでに日本国の十人に一人が南無妙法蓮華経と唱えつつあった。日蓮が良観との降雨祈祷合戦に勝利した時の勢いを上回るほどだった。 日蓮は大難をのりこえて信心をたもった者に本尊を下付しつづけた。この時下付した御本尊は、それぞれに弟子、信徒の授与名をいれた、いわば一機一縁の御本尊であった。その証拠に阿仏房へ御本尊を下付した時の消息文には「あまりにありがたく候へば、宝塔(御本尊)をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆづることなかれ。信心強盛の者に非ずんば見することなかれ」(阿仏房御書)と記している。つまりこれらの本尊はあくまで一機一縁の本尊で、全世界の人々が一同に拝し奉る御本尊ではない。 我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ。 「薬王菩薩本事品第二十三」 日蓮は自覚していた。 一閻浮提総与、すなわち全世界の一切衆生にあたえる本尊の図現が近くなっていることを。またそれが生涯をかけた目的、つまり末法の本仏としての出世の本懐を遂げることであることも。 六十三、四条金吾、身延山中の日蓮に見参 につづく
中巻目次 十界 十種類の衆生の境界のこと。十法界ともいう。仏法で一個の生命体、生命現象を時間的な流れの観点から解明したもので、瞬間瞬間の時間の流れの中にあらわれる生命の境地を、十種に分別したもの。十法界の名称を境涯の低い界からあげれば、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十となる。また仏界は悟りで、ほかの九界は迷いであるから九迷一悟といい、十界のおのおのが他の九界をそなえる。この十界の境涯について日蓮大聖人は『観心本尊抄』で簡明に解き明かしている。 「数他面を見るに、或時は喜び、或時は瞋り、或時は平らかに、或時は貪り現じ、或時は癡か現じ、或時は諂曲なり。瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡かは畜生・諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖(注)は冥伏して現われざれども委細に之を尋ぬれば之有る可し。 <中略> 所以に世間の無常は眼前に有り、豈人界に二乗界無からんや。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり。但仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」。涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」 再注 四聖 六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)輪廻を脱した声聞・縁覚・菩薩・仏の四つの境涯。釈尊は妙法蓮華経方便品第二で始めて衆生に仏界が冥伏していることを解き明かし、仏はその仏界を開き、示し、悟らせ、仏道に入らしめる(開示悟入)という「一大事因縁」で娑婆世界に出現したと説いた。
by johsei1129
| 2017-07-22 23:47
| 小説 日蓮の生涯 中
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