2017年 07月 22日
![]() 鎌倉の日妙の家は質素な作りだった。 そばで娘の乙御前が色とりどりの貝殻で遊んでいる。 少年はこれから甲斐身延の日蓮のもとへ所化として修行に行く。一人旅だった。 日妙が母親の目で、あどけない少年につげた。 「さあできましたよ。気をつけていくのですよ。病気がはやっています。気をつけて。生水をのんではいけません。命とりになります。よいですか」 「承知しました。それではいってまいります」 少年が日妙に頭をさげた。 「いままで親がわりになっていただき、ありがとうございました。このことは上人にもお伝えいたします。しばらくのあいだ留守にいたします。日妙さまもお元気で」 少年が旅立つ。 日妙はその後姿に、佐渡へ旅した自分を重ねあわせた。彼女は少年の背中に手をあわせた。 「どうか上人様のところへ無事つきますように。どうか立派な日蓮上人の弟子になりますように。どうか国をひきいる上人になれますように・・」 少年が小さくなっていく。その姿は十二の歳で旅立った日蓮と似ているようだった。 遊んでいた乙御前が心配した。 「お母さま。どうかしましたか」 日妙がほほえむ。 「なんでもありません。さあお勤めしましょう」 お勤めとは勤行のことである。 乙御前がふくれた。 「お母さま。わたしはいま遊んでおります」 母が娘と目をあわせた。 「お勤めしたら、いくらでも遊んでよいですよ。さあ祈りましょう。御本尊様に祈って、かなわぬことはないのです。わたしたちの行く末も、国の未来も」 日蓮は佐渡流罪中に、彼女に手紙を送っている。 日妙婦人は千里の海山をこえて罪人の自分をたずねにきた。日蓮の日妙への慈愛は娘の乙御前にもそそがれた。日妙のよろこびはいかばかりであったろう。
をとごぜんがいかにひとゝなりて候らん。法華経にみやづかわせ給ふほうこうをば、をとごぜんの御いのちさいわいになり候はん。いまは法華経をしのばせ給ひて仏にならせ給ふべき女人なり。かへすがへす、ふみものぐさき者なれども、たびたび申す。又御房たちをもふびんにあたらせ給ふとうけ給わる。申すばかりなし。『乙御前母御書』 若い弟子たちを養育する日妙に感謝している。「申すばかりなし」とは最大級の賛辞である。ふるい立つものがあったろう。 日妙親子が手をあわせ、題目を唱えはじめた。見つめるのは命がけの旅でさずかった御本尊だった。 日妙はこのあとも長く鎌倉にいた。そして幼い弟子たちを物心両面で支えていく。 宵の月が幕府被官、宿屋入道光則の館をてらす。 宿屋は縁側に立って月を見ていた。 「南無妙法蓮華経」 宿屋は立正安国論を北条時頼に取りついだ人物である。彼は日蓮の強烈な個性に圧倒されていた。 のちに宿屋は入信し、彼の屋敷は光則寺として今も鎌倉にのこる。 鎌倉では四条金吾が本尊に題目を唱えていた。妻日眼女と子の月満御前が唱和した。 金吾の骨太な声がひびく。彼は唱えながら日蓮の言葉をかみしめた。 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。 『四条金吾殿御返事』 下総の富木常忍邸に勇ましい太鼓の音がひびいた。 富木常忍と太田乗明、そして部屋をうめた信徒が一幅の本尊に題目をあげる。 常忍の子は出家して日蓮の弟子となり、日頂と名のった。その若い日頂が導師をつとめる。 一人一人が本尊を見つめ唱和した。その声が空にひびく。 佐渡ヶ島は雪のまじる波が音をたてていた。南無妙法蓮華経と唱える声が、吹雪の寒々とした音をかき消すかのように聞こえてくる。 館には阿仏房と妻千日尼、国府入道夫妻そのほか島の信徒が、所せましと正座し、日蓮が図現した本尊に向かい題目をあげていた。日蓮がはるか甲斐から阿仏房に送ったのである。 その阿仏房への手紙にしるす。
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。阿仏房さながら北国の導師とも申しつべし。 『阿仏房御書』 宝塔とは御本尊のことである。 佐渡は日蓮が去ったあとも法華経の勢いはやまなかった。弾圧をのりこえた信心は、いやがうえにも強固となった。しかし念仏者との確執は今もつづいている。 みな必死の形相で祈る。全員の題目が空にひびきわたった。 いっぽう甲斐山中では、うっそうと茂る森林に沢の音がひびく。 館では日蓮が本尊に力強い題目を唱えていた。日蓮は祈りながら、五十三年の生涯をふりかえった。 やるべきことはやりとげたのだ。とりわけ国主を三たび諌めたことは誇らしかった。三度の諫暁で自分の名を後代にとどめることができた。この満足感はたとえようもない。そしてこれを可能にした法華経の力。日蓮は悦びをおさえきれない。 外典に云はく、未萌をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿屋の入道に向かって云はく、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられ給ふべし。二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱を倒すなり。只今に自界叛逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるゝのみならず、おおくいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候ひ了んぬ。第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語って云はく、王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑ひなし。殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古国を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよ此の国ほろぶべしと申せしかば、頼綱問うて云はく、いつごろかよせ候べき。予言はく、経文にはいつとはみへ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きうに見えて候。よも今年はすごし候はじと語りたりき。此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。 『撰時抄』 日蓮が唱える。 弟子たちがつづいて唱和していった。 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」 すべての題目が満月の輝く澄みきった空に響きわたった。
by johsei1129
| 2017-07-22 22:00
| 小説 日蓮の生涯 中
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