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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 16日

四十八、日蓮、佐渡で始めて本尊を図現する

鎌倉を旅立って何日たったろうか。

日妙親子が田舎道で老婆に寺泊までの道をたずねた。老婆は、はるかかなた北方向の山を指さした。

陽が森の道におちていく。

峠をこえれば日本海が見わたせるところまできていた。

日妙が頬のこけた乙御前をはげました。

「さあもうすぐ海ですよ。もうすぐです」

そこへ背後から男の声がした。

「おい、そこの二人」

おどろいてふりむいた。

百姓姿だが人相は凶悪である。手に斧、鎌をにぎっている。

「幼子連れの女の旅か。ここはな、俺らの縄張りよ」

男が指に丸をつくった。

「いくらかおいておけば見のがしてやろう。それがいやなら、力ずくでいただくぜ。脱がしてでもな」

男たちが不気味に笑った。

日妙は男たちに恐怖というよりあわれを感じた。戦乱の荒廃はこんな田舎にまでおよんでいるのか。

彼女は神妙だった。

「それはそれは。知らぬこととは申せ、おそれいります。ただ旅の途中、路銭は使いはたしている始末。このままお通し願えないでしょうか」

 百姓が舌なめずりした。

「それでは身ぐるみ置いていきな」

母娘はしばらく戸惑っていたが、おとなしく笠をはずしはじめた。

男たちは固かった表情をくずした。

「素直な女だぜ」

この時、日妙親子が脇差しをぬき、身構えた。必死の形相である。

 男たちがおどろいてあとずさりし尻餅をついた。

日妙が武者のようにほえる。

「われら親子は大切なお方にお会いする身です。命をかけてここまできたのです。おどすなら、あなたがたも覚悟なされ」

日妙の怒気を含んだ形相に尻込みした族の一瞬の息をついて、日妙はわずかの宋銭を投げ捨てると、髪を乱して坂を駆け上がった。族はもう後を追ってこない。やがて日妙親子は峠の頂上についた。

眼下に、朝日に映える日本海がまぶしくみえた。

目をこらすと、大海に浮かぶ夢にまで見た佐渡の島があった。

日妙は、ようやく佐渡ヶ島が見えるところまでたどり着いたことに安堵した

 

親子は柏崎をすぎ、寺泊の海岸にたどりついたが、路銭はほとんどなくなっていた。

日妙は船着き場の船頭と交渉した。

ふんどし姿の船頭が手をふった。

「そんな値段じゃこげねえ。無理だ、あきらめな」

日妙がねばる。

「鎌倉からはるばるひと月かけて、やっとここまできたのです。そこをなんとかできないでしょうか」

 払える船賃はすでに尽きてしまった。だがここであきらめるわけにはいかない。

船頭が聞こえないふりをするように冷たい。

「そんなこと、いちいち聞いてりゃ商売はできねえ。ほかをあたりな」

「娘はもう歩く力がありませぬ。どうしてもこの船に」

船頭が去ろうとしたが、日妙が立ちふさがった。

 彼女は結った髪からかんざしをぬこうとすると、船頭が「何をする気だ。早まるな」と叫び、後ずさりする。

 日妙は船頭のあわてぶりに笑いながらに「なにもしませんよ。このかんざしを船賃にしますので船を出してください」とさしだした。


舟が母子を乗せて日本海をわたる。

船頭が舵をとった。彼は女の形見までさしだしたのを見て船にのせることにした。

船頭は思う。

(なんという執念だ。どんな訳があるのか分からないが、佐渡によほど会いたい男がいるにちがいない。好きな男のために身を捨てる女がいるとは聞いていたが、この俺がかんざしを船賃にして女を船に乗せるとは、女房に話しても信用するかどうか・・)

その日妙はぐっすり眠る乙御前を抱き、波間に垣間見える佐渡ヶ島を見つめたままだった。

一の(さわ)の館はおだやかな陽がさしていた。

外では白袈裟を着た若い弟子が頭に桶をのせ水をはこんだ。また百姓を手伝い、並んで畑を耕す弟子もいる。

日蓮にようやく平穏な日々がおとずれた。

部屋には国府(こう)道、阿仏房夫妻がいる。

「そうでしたか。わたしは来たばかりの時は大悪人でしたか」
 一同が笑った。

それにつられて日蓮もひときわ大きく笑った。
 国府入道が恐縮した。

「まったくおそれ多いことで。まことに見ると聞くとでは大ちがい」

「それはそれは、よかった。大悪人のままであったら、今ごろわたしは生きてはいない。剣術の巧みな阿仏房殿の一太刀で命を失っていた事でしょう

今度は一同が大笑いする。さらに阿仏房が畳に頭を擦りつけ平身低頭すると、その動作がおかしく、笑いの渦はとまらなかった。

 この時、百姓が「日蓮上人」と叫びながら一の谷の館に駆けつけた。
「日蓮上人様、
旅姿の子連れの奥方が、港で倒れ、日蓮上人のお屋敷はいずこにと叫んでいなさる」

日蓮がおどろいて立ちあがった。

「そのご婦人の名はなんと申す。いずこからこられた」

そこへ日妙親子が村人に担われてやってきた。

日蓮は夫人の顔を見て思いだした。鎌倉の信徒ではないか。

「おお、そなたは」

日妙が日蓮を目の当たりにして満面の笑みでほほえんだ。

「日妙です。日蓮上人様、やっとお会いすることができました・・」

 彼女はそれだけ話すとほっとしたのか、へなへなと土間にすわりこんだ。

その夜、日妙親子は国府入道の屋敷の寝室で横たわっていた。

となりの部屋では阿仏房、千日尼の夫妻、国府入道の夫妻がひかえている。

千日尼、国府入道の尼は、日妙が子を携え、上人に会うために佐渡まで渡ったことに深く感じ入った。
「鎌倉から千里の道を女が旅するとは」

「あの娘さまもよくついてきたこと」

 子のない国府尼は、日妙の娘のことが気になって仕方がない。
「うわごとで上人様、上人様と」

翌日の早朝、日蓮は日妙と乙御前の様子を見にきた。
「どうかな、母子のぐあいは」 

 一同がいずまいをただす。

国府尼がこたえた。

「昨日はよくお休みになっておられたようです」

「それはよかった。女人は夫を魂とする。夫なければ女人の魂はない。この世に夫ある女人すら世の中わたりがたくみえるのに、この人は魂もなく世をわたっているが、魂ある女人にもすぐれて心中健気(けなげ)におわするうえ、仏をもあがめておられる。人にすぐれておわする女人です」

一同が聴きいる。

「日蓮はこのような大難にあいましたが、無量劫の重罪を一生のうちに消そうとした振舞いに少しもまちがいはなかった。このような身となれば、願いも満足です。しかれども凡夫なれば、ややもすれば悔いる心はある。日蓮でさえこのような有様であるのに、前後もわきまえぬ女人で仏の法を悟らぬ者が、いかほどか日蓮に味方してくやしいと思っているであろうと心苦しかったのですが、案に相違して日蓮よりも強盛の志あるのは、ひとえにただごとではない。教主釈尊がこの人の御心に入りかわらせたのではあるまいか」

 日蓮が話をしている中、日妙がいつの間にか寝室からでて、かしこまっていた。目には安堵の表情をうかべていた。
 日蓮はまっすぐに日妙を見つめていう。

「よくこられました。道の遠きに心ざしのあらわるるにや。釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行(じょうぎょう)(注)無辺行らの大菩薩、大梵天王、帝釈、四天王らはあなたを影の身に添うがごとく守るでしょう。日本第一の法華経の行者の女人です。ゆえに名をひとつ付けてたてまつろう。これよりあなたを日妙聖人と呼びましょう」

 すると日妙がすかさず聞いた。

「私にはもったいないことですが、ありがたくお受けします。ところで上人様、どうしてもたずねたいことがあります。そのために海山を乗りこえてまいりました」

日蓮がうなずく。

日妙は、あり余る思いを吐露する。

「鎌倉は合戦も終わっておちつきを見せております。そこでわたしたち鎌倉の信徒は、一刻も早い上人のお帰りをおまちしております。上人様、わたしたちが幕府に訴えて、上人のご赦免を願いでることは、いけないことなのでしょうか」

日蓮は一転してきびしい表情をみせる。

「それはなりませぬ。早々に御免をこうむらざることを嘆いてはなりません。さだめて天がこれをおさえているにちがいない。去年の流罪があればこそ、今年の騒動をまぬがれることができたのです。もし日蓮が鎌倉にいたならば、あの騒動の時、必ず打ち殺されていたであろう。吉が凶となり、凶が吉となることもある。日蓮が許しをこうむらんと欲する事を世間に言いふらす弟子は不孝の者です。あえて後生は助かることはない。おのおのにこのことを伝えなさい」

日妙が矢つぎ早に聞く。

「上人様、あの大難で鎌倉の信徒はほとんど退転いたしました。のこった人たちも身はおちねども心おち、心はおちねども身はおちている有様です。されど強盛に信心をかまえている者もございます。でも上人様が鎌倉を去られてから、だれを、なにを頼りにしたらよいか迷っているのです。ある人は釈迦の像をかざり、ある人は法華経を読むばかりです。わたしも迷っておりましたが、ある日おそろしい思いにかられたのです。上人様に万一のことがあれば、どうすればよいのかと・・」

日蓮は答えず、懐中から小さな巻物をとりだし、皆の前で縦にひらいた。

一幅の紙面に南無妙法蓮華経の文字が見える。

みながいっせいに手をあわせた。

日蓮が高らかに唱える。

「日蓮守護たるところの御本尊をしたためました。この曼陀羅(まんだら)に南無妙法蓮華経の題目を唱えてくだされ。日蓮の魂を墨に染めながして書きしるしました。信じさせたまえ。仏の御心は法華経にあり。日蓮が魂は南無妙法蓮華経としたためたこの御本尊にあります」

阿仏房夫妻も、国府夫妻も、初めて日蓮から披見された御本尊を目の前にして、誰ともいうことなく全員が「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と題目を唱えた。


はたして日蓮はいつ本尊を図現されたのか。

「文永八年太才辛未(かのとひつじ)十月九日 相州本間()()郷 書之」と認められた現存する最古の御本尊が残されている。依智から佐渡に向かう前日に、樹枝を砕いて筆として和紙一紙に認められている。此の御本尊の相貌(そうみょう)は、中央に大きく南妙法蓮華経、左右に(ぼん)()で不動明王と愛染(あいぜん)明王、そして左下に日蓮花押(かおう)と記されている。釈迦()()世尊、多宝如来はまだ記されていない。

おそらくこの本尊は、一ヶ月程滞在した本間邸の家主本間重連(しげつら)に、感謝の意で下付された本尊と思われる。

また身延久遠寺に存在したが、明治八年の大火で消失したとされる文永十年七月八日に図現の「佐渡始顕本尊」については、その相貌に四天王が記されている。

この四天王は、日蓮が身延入山後の建治元年以降から本尊に認められていることから、文永十年に図現されたとするこの本尊は、明らかに大聖人滅後に偽造されたものと強く推察される。

さらに現存する御本尊の中に、「於佐渡國圖之」と記された、文永九年太才壬申(みずのえさる)六月十六日に図現された御本尊が存在する。

この御本尊の相貌は、中央に南無妙法蓮華経、(きょう)()として向かって左に南無釈迦牟尼仏、右に南無多宝如来、左端に梵字で不動明王、右端に同じく梵字で愛染明王、左下に日蓮花押と認められている。この御本尊は間違いなく「開目抄」著した後の、佐渡の一ノ谷にて図現された御本尊で、授与名が記されていないため、佐渡の日蓮の居宅に設けられた宝殿掲げられていたのではと推測される。恐らく阿仏房夫妻、国府入道夫妻等、佐渡で帰依した信徒も、このご本尊を拝し題目を唱えていたものと思われる。




                  四十九、御本尊建立の意義を説き明かす  につづく


中巻目次



                        注

 

上行


上行菩薩のこと。地涌の菩薩の上首である四菩薩の一人。法華経従地涌出品第十五に説かれる。四菩薩はおのおの常楽我浄の四徳をあらわし、上行菩薩は「我」の徳をあらわす。すなわち生死の苦に束縛されない、自由自在の境涯をさし、真我の確立をさして上行という。日蓮大聖人は百六箇抄(ひゃくろっかしょう)で「上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」と説き、大聖人自身が末法に妙法を弘通する地涌の菩薩の上首、上行菩薩であると説く。



by johsei1129 | 2017-07-16 21:55 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)


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