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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 15日

四十三、塚原問答の勝利

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                    (日蓮大聖人御一代記より)
 重連配下の立ち合いが告げる。
「これより法華宗の日蓮上人と、各宗の僧侶との法論をおこなう。まず浄土宗の印性房のべよ」
 印性房は最初から興奮していた。

「念仏は仏の最高の教えである。それを無間地獄におちるとはなにごとか。日蓮、おぬしこそ地獄におちようぞ」

日蓮がすかさずかえす。

「念仏が最高の教えであるとは、どの経典にのっているのか」

印性房がはっとし、あわてて経巻をひらく。

「わが念仏の宗祖、善導和尚は十即十生、百即百生といって阿弥陀を唱える者はすべて成仏するとのご断言じゃ。これが目にはいらぬか」

「それは仏の説ではなく、弟子の説である。『念仏が最高の教え』とは教主釈尊の経典のいずこにあるのか」

印性房がつまった。苦しまぎれにやりかえす。

「では日蓮御坊、おぬしにはたしかな経文があるというのか」

日蓮が経典をひらいた。

「法華経にいわく『()し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば一切世間の仏種を断ぜん』と。おそれ多くも法華経を軽しめ、おとし、背をむければ、この世のあらゆる成仏の種を絶つことになる。これはあなたたち念仏を信ずる者のことをいう」

印性房がたじろぐ。

日蓮はたたみかける。

「なんじらが慕う善導和尚の最後をご存じか。善導はこの世が苦しみに満ちているとして絶望のあまり、柳の木で首をつった」

 聴衆からどよめきがおきる。

「しかしそのとき縄が切れたか、枝が折れたか、善導ははるか下の地面にどうと落ちて腰骨を折り、七日七晩絶叫し、苦しみぬいて亡くなった」

「うそだ」

「そのために念仏は、唱えれば唱えるほど自害の心がおきる。今の武士が腹を切るのがそれである。念仏の無間地獄は日蓮の言葉にあらず。三世の諸仏のご評定である」

印性房が答えられない。

日蓮がとどめをさす。

「法然上人は法華経の名をあげ、あるいはこれを(なげう)ち、あるいはその門を閉じよといった。日蓮、一代聖教を(かんが)うるにいまだこれを見ず。しからば法華経の入阿鼻獄の誡文、いかんぞこれを(まぬか)るべけんや。法然上人無間(むけん)獄に堕せば、所化の弟子ならびに諸檀那ともに阿鼻(あび)大城に堕ちたまわんか。このたび確かなる証文を出だして、法然上人の阿鼻の炎を消さるべし」

聴衆が静かになってしまった。

憎悪の的の日蓮が堂々としている。
 信じられない光景だった。

立会もおどろいたのだろう。あわててつぎの僧侶を指名した。

「では次に禅宗の慈道房殿」

慈道房が傲岸にいう。

「日蓮、なぜ禅宗を天魔の説という」

「仏の経によらざるがゆえに。釈迦一代の仏教を誹謗(ひぼう)するがゆえに」

慈道房が笑う。

「馬鹿な。座禅する者に仏の説教はいらぬ。釈尊は一代聖教のほかに真実があるとして、摩訶迦葉だけに付属された。これを教外別伝というのだ。おぬし、このことも知らぬのか」

日蓮がすかさずかえす。

「それは自分の考えか経文か。経文によらぬのであれば釈迦の説にあらず仏教ではない。仏教でなければ外道であり、見せかけだけで中身のない荘厳己義の法門である」

日蓮は顔を聴衆へむけた。

「これが天魔の仕業である」

慈道房があわてた。

「ちがう。仏は自分の教えは真実をあらわしていないといった。真実は経典ではなく、弟子の迦葉ただ一人に伝えたのだ」

「それは仏の経文にのっているのか」

「いかにも」

「もし仏の説ならば、経典によらないという先ほどの言葉はいかがいたした」

慈道房がはっとした。

日蓮がさらに責める。

「その弟子の迦葉はいつ、どこで、いかなる経で成仏したのだ。仏が真実をあらわしていないという経文はいつ、どこで説かれた。これいかに」

慈道房はたたみかけの質問に答えられない。歯ぎしりするだけである。

聴衆が顔を見あわせ、騒然としてきた。
 彼らは日蓮がやりこめられるのを見にきたのだ。話がちがう。

立会人がつげる。

「つぎに真言宗の(しょう)()房殿」

生喩房が威厳にみちて対面した。

彼は念仏や禅宗の僧とちがって、姿形ともに気品にあふれていた。一座の期待が彼にあつまった。みな熱い視線で生喩房を見た。手をあわせる者もいる。

生喩房が詰問した。

「日蓮殿、真言が亡国であるとの証拠は如何」

日蓮が決然と答える。

「法華を誹謗するがゆえなり。三徳の釈尊に背くがゆえなり。また現世安穏、後生善処の妙法蓮華経に背きたてまつるがゆえに、今生には亡国、後世には無間というなり」

「日蓮殿、法華経は密教に対すれば第三の劣である。真言第一、華厳第二。法華は華厳にも劣るのを存知ないか」

日蓮がこともなげにきく。

「その義は経文によるのか、自分で作りだした妄想か」

生喩房が答えずにかえす。

「されば日蓮御坊、おぬしが弘法大師を無間地獄というのは経文によるのか。それともおぬしの勝手な妄想か」

「経文である」

聴衆がどよめく。

「法華経のどこにある」

 日蓮もすぐさまかえす。

「法華経にあるならば、真言亡国は承知されるか」

 生喩房がつまりながらいう。

「わが弘法大師は数々の秘法をおこなわれた。夜に太陽をあらわし、即身成仏して金色の毘廬(びる)遮那(しゃな)となったこともあるのだ。そのほう、卑しい身分でどうして大師を誹謗する」

 日蓮はこたえる。

「いにしえの人々も不思議な徳があったが、仏法の正邪はそれにはよらない。さまざまな奇跡をおこしても、かえって慢心をいだき、苦しみの業となるだけである。これ名聞名利なり」

 日蓮は生喩房が窮するのを見て、語気を強める。

「弘法大師がいかなる徳ありといえども、法華経を第三の劣とさだめ、教主釈尊を無明(むみょう)の辺域と書いた筆は、智慧ある人は用いない。昼に太陽をあらわし、金色の如来となったのはいつわりである。あるいはものに狂ったか」

 生喩房は抵抗する。

「わが大日経には印と真言が説かれている。法華経にはない。真言が勝れている証拠である。たとえば法華経は裸形(らぎょう)猛者(もさ)、真言は甲冑の猛者である」

 日蓮はかえす。

「裸形の猛者が大陣をやぶると、甲冑の猛者がしりぞいて一陣もやぶらざるとはいずれが勝るのか。ちなみに猛者とは法華経のことであり、甲冑とは大日経のことである。猛者なければ甲冑はなんの(せん)かあらん。印とはまじない、真言とは呪文である。印は手の(ゆう)、真言は口の用なり。その主が成仏せざれば、口と手と別々に成仏すべきや。よって真言は身と口のみで(こころ)なし。法華経は仏の意である二乗作仏(にじょうさぶつ)久遠(くおん)(じつ)(じょう)注)()()()を説く。これ真言にありやいなや。真言こそ第三の劣である」

生喩房の舌が動かなくなった。反論できない。

どんな高僧であれ、経文を盾にされては身動きできない。反論すればするほど自分の無知をさらすだけだった。

生喩房がくやしさのあまり、両手の拳をにぎりしめると、体が細かく震えだした。

場内は静まりかえった。彼らは自分たちの固く信じていたものが、もろくもくずれるのを感じはじめた。

日蓮が聴衆によびかけた。

「このたびのこと、日蓮は世間の(とが)一分もなし。国の一大事と思うことをありのままに述べたまでのこと。日本国の一切衆生が無間地獄におちるのを、黙してそのままにするならば仏の弟子にあらず、国賊である。いま日蓮は日本国の一切衆生の主であり、師匠であり、父母である。この日蓮を流罪した報いは、この国に内乱おこり他国の責めとなってあらわれる」

立会人は法論の行方を見はからった。

「法華宗の日蓮殿、他宗の御坊殿、もうこれ以上言い残すことはござらぬか」

念仏僧たちがだまりこむ。

「それではこのたびの法論はこれにて終了とする。以後互いに遺恨なきよう取り計られたい」

 問答は一日でおわってしまった。

念仏僧らが呆然として宙を見た。彼らは数で日蓮を圧倒していた。だが一対一の土俵にでた時、手も足もでなかった。師子と()()との相撲だったのである。

聴衆は静かに退散していった。みな口を閉じて引きあげていく。

その一人がつぶやいた。

「念仏はあやまっていたのか・・」

突然、若い念仏僧が日蓮の前で宣言した。

「日蓮上人様、わたくしめはこれよりは念仏を申しませぬ」
 彼は黒の袈裟を脱ぎ、平数珠とともに地面にすてた

聴衆が唖然としてどよめく。念仏者があわてた。

群衆は憤懣やるかたない。彼らは念仏僧をやりこめはじめた。日蓮にむけた非難を、こんどは彼らにぶつけたのである。

「いったいどうなっているのだ。日蓮なぞに負けるとは」

「もうお前たちに布施はしない。もうだれも信じぬわ」

印性房が言い訳がましい。

「余は法論のためにここにきたのではない。余は自分の意見を言いにきたまでだ」

慈道房は日蓮の迫力を眼前で見て恐れをなし、びえていた。

「わしもただここに立ちよったまでのこと。禅宗が敗れたのではないぞ。わたしは帰る」

聴衆が僧たちを叱責し、広場から追いだそうとする。さらにこれを止める者たちとの喧嘩がおきた。

うして法論に参集した僧も、それらの信徒も騒然としてひきあげていった。

阿仏房と千日尼の夫妻は群衆が去ったあともすわりこんでいた。

二人は口をあけ、たがいの顔を見あわせた。二人とも明らかに日蓮の印象が変わったことに気づいていた。

塚原三昧堂での法論は終わった。

日蓮はものの見事に他宗を一網打尽に切って捨てた。のちに「種々御振舞御書」でこの日の様子をつづっている。

さて止観・真言・念仏の法門一々にかれが申す様をで()しあ()げて、承伏させては、ちょうとはつめ()つめ()、一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ。利剣(りけん)をもてうり()をきり、大風の草をなびかすが如し。仏法のおろかのみならず、(あるい)は自語相違し、或は経文をわすれて論と云ひ、釈をわすれて論と云ふ。善導が柳より落ち、弘法大師の(さん)()を投げたる、大日如来と現じたる等をば、(あるい)は妄語、或は物にくる()へる処を一々にせめたるに、或は悪口し、或は口を閉ぢ、或は色を失ひ、或は念仏()が事なりけりと云ふものもあり。或は当座に袈裟(けさ)(ひら)(ねん)(じゅ)をすてゝ念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。

本間重連が法論の舞台の後始末を部下に指示すると、日蓮に挨拶した。彼は今日の法論で日蓮の身にひとまず最悪の事態が避けられたことに安堵した。

「本日は御苦労でござった。それにしても佐渡や越後の僧侶はいかにも頼りない御坊どもでござったな」

重連がこれまでとは打って変わって、日蓮に丁寧に礼をして屋敷に帰って行った。

この時、日蓮はなぜか伯耆房に命じ、重連を呼びもどさせた。

重連は怪訝(けげん)様子でもどってくる。

「まだなにかございましたかな」

「本間殿。鎌倉にお帰りになるのはいつのころになりますかな」

「そうですな。下人どもに田んぼの稲刈りをさせてからになりますから、秋になるでしょうな」

 日蓮が不思議なことをいいだした。

「武士たるもの、あっぱれな働きをして殿から所領をたまわっているとはいえ、これからいくさがあるというのに、この田舎で田畑を作り、いくさにおくれることがあれば、武士として恥になりましょうぞ。あなたは、国では名のある侍です。急ぎ馳せ参じて高名を賜ったほうがよいでしょう」

本間は日蓮がなにを言おうとしているのか全くわからない。いっときいぶかしんだが突然はっとし、いそいで帰っていった。

まわりにいる村の者たちはなにごとかと顔を見あわせる。

いっぽう日蓮の弟子たちは見事な勝利に酔いしれた。

だが日蓮はにこりともせず、はるか鎌倉のある南の空を見つめていた。


塚原問答はあっけなく一日でおわったが、翌十七日、問答に参加していた佐渡の念仏僧(べん)(じょう)が塚原三昧堂に大聖人を訪ね、改めて論争に挑んだ。双方が花押(かおう)を記した真筆の断簡が『法華浄土問答抄』として残されている。

この書の結論として日蓮はこう記している。

日蓮管見(かんけん)を以て一代聖教並びに法華経の文を(かんが)うるに(いま)だ之を見ず、法華経の名を()げて(あるい)は之を(なげう)ち或は其の門を閉ずる等と云う事を、()(しか)らば法然上人の(たの)む所の弥陀(みだ)本願の誓文並びに法華経の(にゅう)阿鼻(あび)(ごく)の釈尊の誡文、如何(いかん)ぞ之を(まぬか)る可けんや、法然上人無間獄に()せば所化の弟子並びに諸檀那等共に阿鼻大城に()ちんか、今度分明(ふんみょう)なる証文を(いだ)して法然上人の阿鼻の炎を消さる可し云云」

 日蓮は塚原三昧堂での暮らしが落ち着くと,同じ佐渡にいた最蓮房という弟子に書をおくった。伝えによれば最蓮房は日蓮と同じく流罪された僧侶だったという。流罪の理由は日蓮と関係があるというだけで、くわしいいきさつは不明であるが、最蓮房は京都からきた天台宗の学僧であったという。「塚原問答」の時日蓮の説法を聞き、翌二月に弟子入りしたと伝えられている。

 日蓮は佐渡の地で最蓮房と師弟の誓いをかわした。

 自分の身と同様、佐渡に流罪になり、その地で子となった最蓮房によせる思いは、ひとかたでない。日蓮は自分が成仏するならば、最蓮房も必ず寂光土に行くと約束するほどだった。

 三昧堂に配されてから五ヶ月後に書かれた最蓮房の手紙には、逆境の流罪の地で最蓮房に出会った日蓮の法悦がしるされている。


(しか)るに法華経には「我滅度の後に(おい)(まさ)()の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」と。或は「(すみ)やかに()()く無上仏道を得たり」等云云。(中略)

()くの如く思ひつゞけ候へば、我等は流人(るにん)なれども身心共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰(さた)し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう。()くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久しからず、過ぐる時刻も程あらず。例せば釈迦・多宝の二仏塔中(たっちゅう)(びょう)()して、法華の妙理をうなづき合ひ給ひし時、五十小(こう)の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと(おも)はしむと云ひしが如くなり。(こう)(しょ)より以来(このかた)、父母・主君の()勘気(かんき)(こうむ)り遠国の島に流罪(るざい)せらるゝの人、我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ。されば我等が居住して一乗を修行せんの処は(いず)れの処にても候へ、(じょう)寂光(じゃっこう)の都たるべし。我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺(てんじく)霊山(りょうぜん)を見、本有(ほんぬ)の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す(ばか)りなし、申す計りなし。  『最蓮房御返事


日蓮にとって富貴や権力はなんの価値もない。命にやどる歓喜こそ、なにものにもかえがたい。これほど充実した毎日はなかった。



               四十四、自界叛逆難の的中 につづく


中巻目次



 二乗作仏・久遠実成

 二乗作仏とは二乗(声聞・縁覚)が成仏すること。法華経迹門ではじめて説かれる。爾前の諸経では、自己の解脱に執着し利他に欠けていた二乗は、永久に成仏できないと仏から弾呵(だんか)されたが、法華経迹門では一念三千の法門が説かれ、初めて成仏の記別が与えられたことをいう。

 久遠実成とは、法華経本門如来寿量品第十六で釈迦が五百塵点劫という久遠の昔にすでに三身をそなえた仏であったと説きあらわしたこと。爾前迹門の諸経では、釈迦は始成正覚の仏とされるが、法華経本門では寿量品に「(われ)(じつ)に成仏して已来、無量無辺百千万億那由侘劫(なゆたこう)なり」と説き、久遠の昔に成道し、一切諸仏の能生の本仏であることを明かした。これにたいし日蓮大聖人は寿量品の久遠とは、もとのまま、ありのままの意味であると説く。

「御義口伝に云はく、此の品の所詮は久遠実成なり。久遠とははたらかさず、つくろはず、もとの(まま)と云ふ義なり。無作の三身なれば初めて成ぜす、是(はたら)かさゞるなり。三十二相八十種好を具足せず、是(つくろ)はざるなり。本有常住の仏なれば本の侭なり。是を久遠と云ふなり。久遠とは南無妙法蓮華経なり。(まことに)(ひらけたり)、無作と開けたるなり云云。」『寿量品二十七箇の大事



by johsei1129 | 2017-07-15 20:16 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)


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