2017年 07月 15日
文永八年十月二十一日、一行は降り続く新雪に足あとをつけて越後寺泊の港についた。依智の本間邸を出立してから十二日間の行程となった。竜の口の法難から、はや一か月以上がすぎていた。道中、念仏の信徒などから誹謗されることも度々あり、佐渡で過ごすことの辛苦が容易に想像された。 雪は止むことがなく、港には日本海の荒い波がうちよせる。 佐渡ヶ島は目前にあった。日蓮の一行はこの寺泊で島に渡る順風を待ち、六日間留まることになった。 いよいよ佐渡へ向かう日、日蓮は苦衷にみちて弟子たちに告げる。 「佐渡は島国。食はとぼしいであろう。大勢では共倒れになる」 日蓮は佐渡行きをともにする弟子七人を選んだ。この中に伯耆房がいる。そして鎌倉に帰る弟子にはねぎらいの言葉をかけた。 日蓮は相模依智で四条金吾らの信徒と別れ、さらに寺泊で弟子と別れなければならなかった。 佐渡に行く弟子、鎌倉に戻る弟子にはどちらもいばらの道が待っていた。佐渡に行く弟子には困窮する暮らしが、鎌倉に戻る弟子には幕府からの弾圧が待っていた。 彼らは思う。良観との雨乞いに勝利し、日蓮上人に帰依する人々が目に見えて増えてきたのも、ひと時の幻であったかと。 日蓮も佐渡での暮らしが厳しいものであることは十分承知していた。 今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに、非理を前として、濁世のしるしに、召し合はせられずして、流罪乃至寿にもおよばんとするなり。『開目抄上』
しかし法華経を身読したという気概に満ちていたことは紛れもない事実であった。 竜の口で実感した思いは、今も消えてはいない。ひたすら喜悦がこみ上げるだけだった。 日蓮は最後に、法華経を信ぜず誹謗する万人にさけぶ。 卞和(注)は足を切られ清丸(注)は穢丸と云う名を給うて死罪に及ばんと欲す、時の人之を咲う。然りと雖も其の人未だ善き名を流さず、汝等が邪難も亦爾る可し。勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云。日蓮此の経文に当れり、汝等何ぞ此の経文に入らざる。「及び刀杖を加うる者」等云云、日蓮は此の経文を読めり、汝等何ぞ此の経文を読まざる。「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云、「国王・大臣・婆羅門・居士に向つて」等云云、「悪口して顰蹙し数数擯出せられん」数数とは度度なり日蓮が擯出は衆度、流罪は二度なり」『寺泊御書』 夫釈尊は娑婆に入り、羅什(注)は秦に入り、伝教は戸那に入り、堤婆・師子は身をすつ。薬王は臂をやく。上宮(注)は手の皮をはぐ。釈迦菩薩(注)は肉をうる。楽法(注)は骨を筆とす。天台の云はく「適時而已」(注)等云々。仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず。後生には大楽をうくべければ、おおいに悦ばし。『開目抄下』 教主釈尊は衆生を憐れむが故に、三界皆苦の娑婆世界に出現し、羅什三蔵は流砂をこえて妙法蓮華経を印度から漢土に伝え、持てる叡智のすべてを傾けて釈尊の極説、法華経を漢訳した。さらに伝教は波濤をしのいで法華を唐に求めた。 そして竜の口に魂魄を捨て発迹顕本した日蓮は、いま末法の本仏として万難をかかえ佐渡にゆく。 日蓮は思う。この大難は今生の小苦である。これをのりこえてこそ未来の大楽がまっている。 船が寺泊の浜をはなれる。 吹雪の中、日本海はどんよりと黒ずんでいた。 船頭は、かなたの佐渡ヶ島へ向かって懸命に櫓をこぐ。 日蓮は雪におおわれた蓑笠をあげ、前方の佐渡ヶ島をするどく見つめた。 三十八、孤島佐渡での苦境 につづく 注 卞和 中国・周代の楚の人。卞邑出身の和氏のこと。韓非子和氏篇によると、荊山で玉璞(玉になる原石)を得て厲王に献上した。王が玉人に鑑定させたところ、ただの石というので、王を欺く者として左足を切らせた。厲王の没後、即位した武王にも同様に璞を献上したが、またも石と鑑定されて右足を切られた。その後、文王が即位すると楚山の下で璞を抱いて三日三晩泣き明かした。文王がこれを知り理由を問うて璞を得、磨かせたところ、はたして宝玉であったため、和氏の璧と名づけられた。 清丸 得一 生没年不明。平安初期の法相宗の学僧。徳一・得溢とも書く。伝教と三一権実の論争をした。藤原仲麻呂の子といわれる。出家して興福寺の修円から法相を学び、東大寺で法相を弘めたという。常陸国筑波山に中禅寺を建て、のち奥州の恵日寺に移って没した。弘仁八年(六一七)頃、伝教との間に著書を通じて法華経の権実に関する論争をした。 羅什 鳩摩羅什のこと。梵名クマーラジーヴァ。三四四年~弘始十一年(四○九)。中国姚秦(後秦)代の訳経僧。鳩摩羅耆婆・鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相・鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。七歳の時、母と共に出家し、諸国を遊歴して仏法を学び、国に帰って大乗仏教を弘めた。亀茲を攻略した中国の前秦王・符堅に迎えられ中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、前秦の将軍・呂光父子の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始三年(四○一)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、多くの訳経に従事した。その訳経数は出三蔵記集によると三五部二九四巻(開元釈教録によると七四部三八四巻)にのぼり、代表的なものに「妙法蓮華経」八巻などがある。その訳文は内容の秀抜と文体の簡潔とによって、後世まで重用された。羅什は死に際して、訳経の正しさを証明するため、我が身を焼いて、もし舌が焼けたなら、我が経を捨てよと遺言していた。そこで火葬にしたところ、予言どおり舌だけは焼けなかったと伝えられる。 「羅什三蔵の云はく、我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕はすべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼くるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。上一人より下万民にいたるまで願して云はく、願はくは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給ひて後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候ひしか。」 『撰時抄』 上宮 聖徳太子のこと。敏達天皇三年(五七四)~推古天皇三十年(六二二)。飛鳥時代の政治・宗教・思想家。用明天皇の第二皇子。名は厩戸豊聡耳皇子。推古天皇の皇太子となり、摂政として活躍し、冠位十二階・十七条憲法などを制定。また小野妹子を遣わして隋との国交を開始し、大陸文化の摂取に努めるなど、多くの業績をのこした。厚く仏法を信奉して善政を敷き、民衆の崇望を受けた。また仏教興隆に尽力し、法華経などを講義して「三経義疏」を著わし、法隆寺・四天王寺などを建立した。 釈迦菩薩 釈迦が過去世に六波羅蜜などの菩薩道を修行した因位(修行位)の総称。例えば、尸毘王(布施波羅蜜を行じた時の王名)・忍辱仙人(忍辱波羅蜜を行じた時の名)などをいう。 楽法 釈迦仏が過去世で菩薩道を修行した時の名。楽法梵志ともいう。楽法は妙法を楽い求める意、梵志は梵天の法を求める意。大智度論には、楽法が菩薩道を修行中、仏に会えず、四方に法を求めて得られなかった時、バラモンに変じた魔が身の皮を紙とし、骨を筆となし、血をもって墨として書写するならば仏の一偈を教えようといった。楽法は即時に自らの皮を剥ぎ、それをさらし乾かしてその偈を書写しようとした。すると、魔はたちまちに消え、この時この楽法の求道の心を知り、下方から現れた仏が深い法門を説き、これを聞いた楽法は無生忍を得ることができたとある。 「適時而已」 「時に適う而巳」と読む。衆生を教化する方法に摂受と折伏があるが、二門のいずれかを用いるかは時によるべきであるということ。法華玄義巻九上に『法華折伏・破権門理』とあるように、末法は折伏弘通を行ずるのが時に適った修行である。
by johsei1129
| 2017-07-15 12:48
| 小説 日蓮の生涯 中
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