2017年 07月 15日
日蓮はこれまで松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難と三度の難を受けた。これらの法難はすべて日蓮一人にふりかかった法難であった。たしかに小松原の法難では東条景信の兵の襲撃で弟子の鏡忍房が討ち死にし、安房天津の領主工藤吉隆も殉死するが、狙われたのはあくまで日蓮一人で、いわば日蓮を守るために犠牲になったものだった。しかし竜の口の法難は日蓮はもとより弟子、日蓮門下の信徒全体がはじめてうけた大難であった。 日蓮は弟子たちの動揺を肌に感じながらも、法華経の行者であるが故に大難をうけた悦びを自覚せよと諭している。 この当時、故郷の安房清澄寺の人々に宛てた手紙がある。 この絶望的な状況の中で、かつて親がわりだった道善房や大尼、兄弟子だった浄顕房や義浄房を思いだし、なつかしさがこみあげていた。 九月十二日に御勘気を蒙りて、今年十月十日佐渡国へまかり候なり。 本より学文し候ひし事は、仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ、仏にはなり候らめと、をしはからる。既に経文のごとく「悪口罵詈」「刀杖瓦礫」「数々見擯出」と説かれて、かゝるめに値ひ候こそ、法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたのもしく候。死して候はゞ、必ず各々をもたすけたてまつるべし。 天竺に師子尊者(注)と申せし人は檀弥羅王に頸をはねられ、提婆菩薩(注)は外道につきころさる。漢土に竺道生(注)と申せし人は蘇山と申す所へながさる。法道三蔵(注)は面にかなやきをやかれて、江南と申す所へながされき。是皆法華経のとく、仏法のゆへなり。日蓮は日本国東夷東条安房国、海辺の旃陀羅(注)が子なり。いたづらにくちん身を、法華経の御故に捨てまいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや、各々なげかせ給ふべからず。 道善の御房にも、かう申しきかせまいらせ給ふべし。領家の尼御前へも御ふみと存じ候へども、先づかゝる身のふみなれば、なつかしやと、おぼさざるらんと申しぬると、便宜あらば各々御物語り申させ給ひ候へ。 十月 日 日蓮花押 『佐渡御勘気抄』 日蓮は生涯最大の逆境にありながらも、なお幼少の頃、得道した故郷清澄寺の人々を気づかった。「このような目にあった故に法華経を身読できたのです。もし私が死んだならば、必ず皆様方をお助けいたします」と約束している。 さらに、この身を法華経のために捨てるのは、石を金にかえるようなもので、皆様は嘆かないでください、師匠の道善房にもこの事を伝えるようにと気遣っている。 この文中にある領家の尼とは大尼のことである。 大尼にも手紙を書こうと思ったが、流罪の身からの文では懐かしいとは思わないであろうと言っていたと、機会があれば話してくださいと記している。日蓮は大尼の信仰はそれほど強いものではないと看破していたのである。 またこの時期、四条金吾にあてた手紙がある。 日蓮は竜の口で生死をともにした金吾を讃嘆し、さらに強盛な信心をうながした。 かかる日蓮にともなひて、法華経の行者として腹をきらんとの給ふこと、かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも、百千万倍すぐれたる事なり。日蓮霊前浄土にまいりて、まづ四条金吾こそ、法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ。 又かまくらどのの仰せとて、内々佐渡の国へつかはすべき由候。三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頸をたすけ、明星天子は四・五日以前に下りて日蓮に見参し給ふ。いま日天子ばかりのこり給ふ。定めて守護あるべきかと、たのもしたのもし。法師品に云はく「則ち変化の人を遣わして、之が為に衛護と作さん」と、疑ひあるべからず。安楽行品に云はく「刀杖も加へず」。普門品に云はく「刀尋いで段々に壊れなん」と。此等の経文よも虚事にては候はじ。強盛の信心こそありがたく候へ。恐々謹言。『四条金吾殿御消息』 弘演は中国春秋時代の国、衛の懿公の忠臣である。紀元前六六○年、懿公が狄に攻められて殺された時、使者として役目を終え、帰ってきた彼は、懿公の死体が荒らされ、内臓が散乱されているのを見て泣き、主君の恥をかくすため、腹をさいて自分の臓物を懿公の内臓に収めて死んだという。 日蓮は四条金吾の師に殉じる思いは、弘演よりもはるかにすぐれていると称賛した。 鎌倉では地面を掘り、木の枠でおおった土牢があった。 この中に日朗ら日蓮の弟子五人が捕らわれていた。 外には屈強な兵士が立つ。 粉雪が静かに舞っていた。 日朗が土牢の木枠をつかみながら空を見上げ、同じく捕らわれの身となった師日蓮の無事を祈った。二十六歳の青年僧である。 「日蓮上人様、ご無事で・・」 日蓮は無辜の罪で囚われの身となった日朗たちに、悲痛な思いを振り切って手紙を送っている。 今月七日さどの国へまかるなり。各々は法華経一部づゝあそばして候へば、わが身並びに父母・兄弟、存亡等に回向しましまし候らん。今夜の寒ずるにつけて、いよいよ我が身より心くるしさ申すばかりなし。ろうをいでさせ給ひなば、明年のはるかならずきたり給へ。みゝへまいらすべし。『五人土籠御書』 日蓮は日ごろ、「少しも妻子眷属を憶ふこと莫れ」ときびしく指導していた。だがいったん難にあった弟子には自分のことのように悲しみ、苦難におかれている状況を案じた。厳父であると同時に、時に慈母にもなるという二つの顔をもっていた。 佐渡への出発は十月十日と決まった。この前日、日蓮は土牢にいる日朗に再度手紙をおくる。「牢を出たらすぐに佐渡においでください。(筑後殿の)姿を見たいものです」と、率直に愛弟子を気遣う思いを吐露している。 日蓮は明日佐渡国へまかるなり。今夜のさむきに付けても、ろうのうちのありさま、思ひやられていたはしくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母・六親・一切衆生をもたすけ給ふべき御身なり。法華経を余人のよみ候は、口ばかり、ことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。「天の諸の童子、以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能はじ」と説かれて候へば、別の事はあるべからず。籠ばし出でさせ給ひ候はゞ、とくとくきたり給へ。見たてまつり、見えたてまつらん。恐々謹言。 十月九日 日蓮花押 筑後殿 『土籠御書』 相模に木枯らしが巻いていた。 冬がきている。 兵士がとりかこむ中、日蓮が出発の用意をした。伯耆房ら数人の弟子と下人が付き添うことが許された。 日蓮が四条金吾、富木常忍らに別れの挨拶をした。再会は至難である。 日妙婦人や少年の小僧の熊王らが涙にくれた。 日蓮が諭すように言う。 「おのおの嘆いてはならぬ。今は苦難の時だが、必ず我も我もと人々が南無妙法蓮華経と唱えるようになる。時を待つのみです。その時がくるまで強盛の信力で法華経を持っていてくだされ」 日蓮は故郷安房の国に思いを馳せ、東の空を見た。 「道善の師匠や大尼はどうしておるであろうか・・」
その安房清澄寺には幕府の役人がきていた。日蓮の佐渡流罪を伝えるためである。 道善房、浄顕房、義浄房そして大尼が対面した。 みな一様におどろいた。 道善房がふるえる声でつぶやく。 「日蓮が佐渡に流罪・・」 浄顕房がいきりたつ。 「信じられぬ。なぜですか。日蓮上人がなにをしたというのですか」 役人が興奮する浄顕房をたしなめた。 「あまり出すぎたことを申さぬほうがよい。これは親切で言っているのだ。鎌倉では法華経の信者を摘発しておる。そのほうらも気をつけるがよい。とくに大尼殿は日蓮の大檀那と聞いておるのでな」 名指しされた大尼がつくり笑いをうかべ、声をふるわせた。 「日蓮・・さあ、わらわにはぞんじあげぬ名でございまする」 義浄房らがいぶかしがった。大尼はなにをいうのか。 だが彼女はなおも平静をよそおった。 「日蓮とはどちらのお方でございましょう・・いずれにせよ、わらわにはかかわりのないお人でございましょう」 「大尼様」 まわりの者が大尼につめよったが、彼女はなに食わぬ顔でいた。
日蓮の一行が武蔵の道を北上した。武蔵から上野、信濃をとおり、越後にはいる道だった。 富士の山が、しだいに日蓮の視線から遠のいていく。 一行が粉雪の舞う道をゆく。笠を手に、北風を正面にうけながら進んだ。 苦難の旅だった。 日蓮はすでに齢五十になっていた。老境にさしかかった体に冬のきびしさが身にしみる。 一行は上野を越え信濃にはいった。 地元の群衆が信濃善光寺の街道につめかけた。かれらは目の前をとおる念仏の敵に罵声を浴びせた。 群衆が日蓮につかみかかろうとするが、伯耆房が盾となりふせぐ。随行の兵隊も群衆をふりはらってすすんだ。 一行は信濃の山をこえ、越後にさしかかった。 夕暮れがせまる。風が脅すように吠えた。 一行は峠の頂上にたどりついた。 眼下に純白の雪にうめつくされた越後平野と広大な日本海がひろがった。 日蓮も日興も初めて見る海だった。それは日蓮が子供のころ見た穏やかな安房小湊のとは異なり、波がうねり荒々しい。 兵士のひとりが海のかなたに浮かぶ島を指さした。
今月十月十日、相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ、此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに、順風定まらず其の期を知らず。道の間の事心も及ぶこと莫く、又筆にも及ばず但暗に推し度る可し。又本より存知の上なれば始めて歎く可きに非ざれば之を止む・・・『寺泊御書』
三十六、末法の本仏としての確信 につづく 注 師子 六世紀ごろ。中インドの人。付法蔵経六巻に説かれている釈尊滅後の弘教の付属を受けた二十四人の最後の僧。付法蔵因縁伝によると、尊者が罽賓国で布教をしていた時、国王の檀弥羅は邪見が強盛で多くの寺塔を破壊したり僧を殺すなどの迫害をし、ついには尊者の首も切ってしまった。しかし尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが出たという。これは尊者が白法をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされている。ちなみに檀弥羅はこの時、腕が刀とともに抜け落ち地獄に堕ちたという。 提婆菩薩 付法蔵第十四祖・迦那提婆のこと。三世紀頃、南インドの人。バラモンの出身で竜樹の弟子となった。迦那は片眼の意味で、昔、大自在天の請いによって一眼を供養したため片眼となったという。南インドで外道に帰依していた王を破折したり、邪道の論師を多数破折したが、その者達の弟子の一人に恨まれて殺された。しかし命が終わる前に、その外道の愚かさをあわれみ、自分を殺そうとした者をも救ったといわれる。 ?~劉栄元嘉十一年(四三四)。「じくどうしょう」ともいう。中国・南北朝時代の僧。姓は劉氏。鉅鹿(河北省)の人。幼少から竺法汰について学び、聡明で十五歳で講座にのぼる。廬山慧遠のもとで学び、ついで鳩摩羅什のもとで学び、ついで羅什の訳経に参加して、羅什門下四傑の一人となる。建業に帰って頓悟成仏説を立て、「二諦論」「仏性当有論」「法身無色論」などの論を著した。また般泥洹経の研究をもとに闡提成仏の義を立て、蘇山に追放されたが、曇無讖の大般涅槃経の訳出でその正しさが証明された。 法道三蔵 元祐元年(一○八六)~紹興十七年(一一四七)。中国・宋代の僧。永道のこと。宋の第八代徽宗皇帝が老子・荘子の学を尊んで、宣和元年(一一一九)に詔を発し、仏教の称号を廃して道教の称名を用いることを決定した。永道はこれに反対し、上書して徽宗をいさめたが、かえって帝の怒りをかい、顔に火印を押されて道州に流された。翌年、仏教の称号を用いることが許され、永道も許された。のちに徽宗皇帝は靖康元年(一一二六)、隣国金の攻撃を受け、紹興五年(一一三五)、五国城(黒竜江省)で不遇の死をとげた。 旃陀羅 梵名チャンダーラ。旃荼羅とも書く。インドのカースト制で四姓の下におかれ、屠殺や死体の処理を業としていた。不可触賎民と呼ばれ、一般の人は彼らを見ても触れてもいけないとされ、旃陀羅が歩くときは鈴をつけたり、竹を打ち鳴らしたりして自分の存在を教えたという。身分の卑賤な者に用いる。 日蓮は、自分を民衆の最下層の出身で、全ての民衆の苦悩を知っているとし、それ故、それらの人々を救済するために妙法蓮華経を説くことを生涯の信条とした。 「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり」 『佐渡御書』 「涅槃経に云く『一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり』等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。」『諌暁八幡抄』
by johsei1129
| 2017-07-15 00:05
| 小説 日蓮の生涯 中
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