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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 04月 06日

二十六、日蓮、降雨へ渾身の祈り

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                        (日蓮聖人御一代記より)

英語版
 良観が阿弥陀像の前で正座した。
 そこに入沢入道が息を切らせて走りこんできた。
「日蓮の使いがきております」

 良観がおどろいたのと同時に日蓮の弟子、日朗があらわれた。

 薄墨色の法衣を着た日朗は黒衣の僧を見まわし、一字一句かみしめるように言い伝えた。

「日蓮上人の弟子、筑後房日朗が謹んで上人の伝言を申しあげまする。雨の祈りは本日かぎり。良観上人にとって運命の日でござる。もし本日雨がふらなければ、かねてのお約束どおり日蓮上人の弟子となって、一から法華経の修行に励み候べし。さもなくば山林に身を隠するがよろしかろう」

 極楽寺の信者が日朗につかみかかったが、周防房と入沢入道が止めた。信者は日蓮への憎しみをむきだしにしたが、周防房が懸命にさとした。

「さわぐな。ここで手をあげれば、われわれの負けだ」

 信者は日朗に罵声をあびせた。

「まだ終わったわけではないぞ」

 彼らは罵りながら早々に日朗を追いだした。

 だが、いたずらに日がかたむき、祈祷所に風が舞う。

 極楽寺の信者が一人二人去っていく。このうち一人が腹立たしげに平形の念珠を地面にたたきつけた。平型は念仏宗の象徴である。

 信者がまばらになっていく。

 ここで二度目の使者、日昭があらわれた。

「日蓮上人の弟子、弁阿闍梨日昭が上人の伝言を申しあげる。良観殿、もう日はくれる。いさぎよく負けを認めなされ。良観殿、見苦しい姿を見せるのはやめたまえ。しょせん戒律・念仏はとるにたらず、法華経におよばないのだ。良観殿、観念したまえ」

 良観には聞こえない風だった。彼はなおもうつろな顔で念仏を唱えていた。

 太陽が山の端にさしかかり一日が終わろうとしている。

 ここで良観は突然、もっていた数珠を引きちぎり空に叫んだ。怨恨をこめた怒声だった。

「なぜふらぬ。余はかつて雨をふらせないことはなかったのだ。だが今なぜふらぬ。余のどこに落ち度がある。余はこんなところで祈る者ではないのだ。鎌倉はもとより、奈良・京都に君臨する大僧正、いや大師と呼ばれるにふさわしい身なのだ。そうだ、余に失敗は許されぬ。これからも愚かな大衆の上に君臨しなければならない身だ。それなのになぜ今・・」

 良観が頭を地面にこすりつけ、なんどもたたいた。

 それでもなお諦めきれない良観の信者は念仏を唱え続ける。やめれば敗北を認めることになる。それはさすがに耐えきれないのだろう。

 良観の敗北が決定的になった時、三度目の使者、伯耆房日興が登場し夕陽を背に高らかに告げた。

「日蓮上人の弟子、伯耆房日興が上人の伝言を申しあげる。忍性良観殿、雨ふらずして悪風のみ吹きたるは何事である。戒律第一の良観聖人は法華・真言の義理をきわめ、慈悲第一と聞こえたもう。それが数百人の宗徒をひきいて七日のうちになぜふらすことができぬ。これをもって思いたまえ、一丈の堀をこえぬ者、十丈二十丈の堀をこうべきか。やすき雨さえふらすことができぬ、いわんやかたき往生成仏をや。しかれば今よりは日蓮を(あだ)みたもう邪見をば、これをもって(ひるがえ)したまえ。なんじ来世を恐ろしく思わば、約束のままに急ぎ来たりたまえ。雨ふらす法と仏になる道を教えてつかわそう」

 良観が伯耆房をにらみ、声をうならせた。記録によれば、彼は泣いて感情をむきだしにしたという。

 尋常ではない。鎌倉の生き仏といわれた聖人である。良観がこれほどの屈辱をうけたことはいまだかつてない。

 しかし伯耆房は容赦なく言いはなつ。

「干魃はいよいよさかん、悪風はますます吹きかさなって民のなげきいよいよ深い。すみやかにその祈りをやめたまえ」

 信徒が我にかえったように念仏をやめ、伯耆房を仰ぎ見た。

 怨念の声があがった。この怨嗟(えんさ)の響きが外にもれ、様子を見ていた群衆が逃げだした。

 日蓮はのちにこの祈雨について、建治五年五十六歳の時、著した「下山御消息」で次のように記している。

 起世経に云はく「諸の衆生放逸(ほういつ)()し、清浄の行を汚す、故に天即ち雨を(くだ)さず」と。又云はく「不如法(ふにょほう)なる有り、慳貪(けんどん)嫉妬(しっと)邪見(じゃけん)顛倒(てんどう)せる故に天則ち雨を(くだ)さず」と。又(きょう)(りつ)異相(いそう)に云はく「五事有って雨無し。一二三之を略す。四には雨師(うし)淫乱、五には国王理をもって治めず(うし)(いか)る故に()らず」云云。此等の経文の亀鏡をもって両火房が身に指し当てゝみよ、少しもくもりなからむ。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸(ほういつ)なるか。二には慳貪なるか。三には嫉妬なるか。四には邪見なるか。五には淫乱なるか。()の五にはすぐべからず。又此の経は両火房一人には(かぎ)るべからず。昔をか()み今をもしれ。

 両火房とは良観の別称である。祈りが叶わないのは、放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱のゆえという。

 良観は完膚なきまでに敗れた。この瞬間、名声は地におちた。

 北条時宗邸では安達泰盛と平頼綱が激論していた。扇子をかざしながら非難の応酬である。

 泰盛が唾をとばして頼綱をなじった。

「おぬしも雨乞いの件は賛成したではないか」

 頼綱が食ってかかる。

「なにを申す。わしが言いたいのは結果だ。この責任をどうするのだ。この七日間、期待をかけたばかりに、干魃はひどくなったのだ。責任をとられよ」

「おぬしこそなにをしていた。北条の官房でありながら、無策の毎日だったではないか。その言葉、そのままかえすぞ」

 すわっていた二人が刀をつかんで立ち膝になった。
 時宗が怒る。

「まて。つまらぬ争いはやめよ。すぎたことはいたしかたない。これからどうするかが問題であろう」

 二人がふてくされてすわった。しばらくして泰盛がつぶやいた。

「それにしても、町では日蓮が良観の祈祷をさえぎったとの評判でござる。それがまことならば許してはおけぬ」

 頼綱が吐きすてた。

「日蓮にそのような力はないわ。良観に実力がなかっただけのことだ。まったく、金の力で成りあがった坊主に期待をかけるとはな」

 時宗の前で頼綱になじられた泰盛は、悔しさで身震いした。泰盛の妹で、父亡き後養子とした覚山尼は、時宗の正室となっている。泰盛は北条の外戚として時宗を支えている。北条とは無縁の頼綱ごときに非難される筋合いはないと怒りが収まらない。この二人の軋轢(あつれき)は幕府を揺るがす火種となった。

 いっぽう泰盛の思いなど眼中にない頼綱が主人に告げる。

「いずれにしても日蓮は捕らえるつもりでござる。われらを支配者と認めぬ者は首を斬るのが筋」

 時宗がなだめた。

「頼綱、早まるな。父上の遺言である。日蓮上人に手を出してはならぬ」

 頼綱は粘る。

「今回の件で日蓮の一派が勢いづき、信者をふやしております。危険は増しておる。殿、日蓮は良観のように従順ではございませぬぞ。あやつを捕縛しなければ、必ず禍根をのこします。事がおきる前に処理すべきでござる」

 泰盛がいきどおった。

「執権の命令を聞かぬか。そんなことをしても、だれも納得せぬわ」

 頼綱が目を細めた。

「日蓮は祈祷に勝っただけだ。雨をふらせたわけではない。今回の件は時がすぎればおさまる。かえって鎌倉のだれもが雨を止めた日蓮を恨むであろう。日蓮の逮捕は世を静めることになる。もっとも日蓮にふらす力があればべつだが」

 時宗と泰盛が腕を組んだ。

 この時、小姓があわただしくやってきて時宗の耳にささやいた。

 幕府の重鎮が談合している最中に、時宗お墨付きの小姓とはいえ、割って入るとは急な事態が起きたことは間違いない。

 泰盛と頼綱がなにごとかと時宗の目を見る。

 時宗がつぶやいた。

「日蓮殿が雨の祈祷をされる」

「なんとなんと、日蓮殿が祈祷とは」

 思いがけない展開に泰盛は一瞬笑みをこぼす。いっぽう良観の肩を持つ頼綱は憎々しげに泰盛を睨みつけた。

 ぎらつく太陽の下、町衆が日蓮の館の前でひしめきあった。群衆は暑い日刺しにさらされぬよう傘をさすか、かぶり物をつけている。

 日蓮らの一行が出てきた。彼らは良観の黒衣とは対照的に、薄墨の衣であらわれた。

 鎌倉の期待は一気に日蓮にあつまった。

 大衆が歓声をあげる。

「日蓮上人様」

 なかには「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱える者まででてきた。日照りに苦しむ農民にとって雨の願いは切実だ。良観殿の念仏がだめなら、日蓮上人の法華経にすがるしかないとの思いがひしひしと伝わってくる。
 一行は四条金吾、富木常忍を露払いとして出発した。
伯耆房が香炉、日朗が燭台、日昭が花立をもってすすむ。少年の熊王は誇らしげに南無妙法蓮華経と大書した旗をもった。

 群衆がそのあとをついていった。彼らは日蓮の背中によびかけた。

「日蓮上人、どこへゆきなさる」

 伯耆房が固い決意でいる。だがほとんどの弟子は不安な面持ちだった。

 極楽寺は閑散としていた。信者は広い本堂にまばらである。

 良観はやつれてはいたが平静をよそおっていた。彼は苦しまぎれに話しだした。

「このたびの件はわけもないことでございます。雨の祈りというものは、十回祈って一回でもふれば大成功なのです。このつぎはこの良観、かならずふらせてみせましょう。であるから雨をふらせるのに勝負ということは、あまりに軽率なことで・・」

 良観は赤恥をかかされても説法をやめない。はなれた信者をつなぎとめようと必死だった。

 ここに周防房が汗まみれで本殿に入ってきた。

 良観がとがめる。

「いかがいたした。そのあわてぶりは」

 周防房はいかにも恐ろしげだった。

「日蓮が雨の祈りを始めるとのことです」

 これを聞いた信者がつぎつぎと外へでていった。

 鎌倉郊外。

 強い紫外線のもと、日蓮の一行が田舎道をすすむ。彼らは小高い山裾の道を歩いていた。群衆がついていく。

 林に囲まれた池があった。

 一行が池のほとりに(むしろ)をしいた。

 伯耆房らが香炉や経机を運んで準備をはじめた。

 群衆があきれた。

「こんなへんぴな所で祈るのか」

「しかもたったあの人数で・・」

 四条金吾が最後尾で聴衆を静める。

「みなの衆、日蓮上人の祈りがはじまりまするぞ。お静かに願いつかまつります」
 金吾も町民や農民に対してはいつもとちがっていやさしく語る。

 日蓮がおもむろに胸から一枚の板をとりだし、筆でさらさらと祈祷文をしたためた。そして板をゆっくりと池に入れ、手をあわせ力強く「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と題目を三遍唱えた。このあと方便品第二、如来寿量品第十六を読誦する勤行がはじまった。

 鎌倉執権の館では汗まみれの泰盛と頼綱がうらめしく空を見ていた。

 庭の花が枯れかかっている。

 極楽寺では良観が座敷をせわしげに歩き回った。良観は膳の美食にも手をつけられない。不安にさいなまれる自分をどうすることもできない。

 日蓮の読経()がつづく。

「毎時作是念。以何令衆生。得入無上道。即成就仏身。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」

 伯耆房日興が太鼓をたたく。この音にあわせて日蓮が題目を唱えはじめた。

 日蓮はあらかじめ弟子たちに『雨が降るまで唱題は止めない』と厳命していた。

 雌雄を決する時がきた。日蓮門下の弟子一同、また金吾・常忍・乗明等の強信徒も決死の形相で日蓮につづく。

 群衆がしばらく見守っていたが、灼熱の空に変化はない。

 首をふって帰る者がでてきた。

「ふるわけがない。これでもう、だれも信じられなくなったわ」

 この時、かたわらの大きな葉に一粒のしずくがおちた。

 炎天下に田畑は枯れきった。

 ひとりの百姓が桶を天秤で運んできた。桶の中味は井戸からくんだ水である。日の出から沈むまで、何回もくみあげた。大切な畑のためだった。それでも足りない。

 百姓は汗だくになりながら桶をおいた。水は半分にも満たない。

 そこへ赤子が近づいて水を飲もうとした。子供もかわいていたのだ。

「おとう。みず、みず」

 百姓が子供に気づいたがおそかった。子供が桶をたおしてしまった。

 おどろいて駆けより、流れた水をすくったが、水は乾いた地面に吸い込まれた。

 思わず子供をつきとばした。赤子が泣きじゃくる。

 はっとして我にかえった。

 妻が家から出てきて子供をかばい、涙声でなじった。

「子供にあたってどうする」

 妻は子を抱きかかえ家にはいる。家では床に伏せた老婆がいた。

 百姓が子供の泣き声を聞きながら畑にうずくまり、なんども土をたたいた。

 しぼりだすように涙がでる。土をつかんだ手の甲に、涙がぽたりぽたりとおちた。もう限界だった。

 しかしどうしたことか、百姓はしずくがまわりの地面にも落ちているのに気づいた。

 はっとして空を見あげた。

 一片の雲が真上にあるのを見た。

 雨がぱらぱらと落ちてきた。

 百姓に生気がもどった。

「雨だ」

 百姓がいそいで家にかえった。

「雨だ、雨だぞ」

 妻、子供、寝ていた老婆も、外を見あげた。

 雨がしずしずとふる。すべてをうるおす甘露だった。空はうす曇りとなり、水滴がゆっくりとおちてきた。

 人々は思わず道にでた。みなよろこびの顔で雨露にうたれた。


 池では群衆が空を見あげて大騒ぎになっていた。

「雨だ、雨だ」

 空全体がみるみる薄黒い雲でおおわれていく。

 だきあう者、泣きだす者。雨で顔をあらう者がいる。祈っていた四条金吾も富木常忍も手を取り合ってよろこんだ。いつも冷静沈着な太田乗明が涙ぐむ。

 伯耆房の太鼓が響く中、なおも題目の声がひびく。

 この時、雷が光とともに音をたてた。轟音は地面をゆるがし、歓声がいっそう高くなった。

 やがて群衆が日蓮の姿に気づいた。

 一心不乱に題目をあげている。雨がふろうがふるまいが懸命に祈っている。その姿は降雨という、ひと時の現象が問題ではなく、その先にある成仏こそが大切なのだと教えているかのようだった。

 群衆はかぶり物をはずし、雨に濡れるのを厭わず地面に正座し、いっせいに手をあわせた。日蓮にたいする感謝の一念が自然に人々をそうさせた。彼らにとって眼の前の日蓮は神・仏と仰ぐべき救世主だった。はじめは単なる野次馬だった。法華経の信心など、まるで縁のない民であった。だが今、池をとりかこむすべての大衆が太鼓の音にあわせ唱えはじめた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・」

 群衆は、雨に濡れ粗末なむしろに座る日蓮をとりかこんだ。かれらはこの日、日蓮門下の僧俗と一つになった。

            二七、大難への予兆 につづく


by johsei1129 | 2017-04-06 21:39 | 小説 日蓮の生涯 上 | Trackback | Comments(0)


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