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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 04月 06日

二十五、極楽寺良観と日蓮、降雨の対決

                   英語版


時は文永八年。日蓮は齢五十歳になっていた。
 太陽がぎらぎらと燃える。

田畑は干あがり始めていた。

乾いた砂ぼこりが舞う。

やせ細った馬がぐったりとしていた。

汗だくの百姓が鍬で土を掘るが砂のようにこぼれてしまう。彼は土おこしをあきらめた。

一面の大地に旱魃がはじまった。人々は十年前の正元元年春の大飢饉・大疫病をいやでも思いおこした。

百姓が心配そうに一枚一枚の葉をなでた。そして真っ赤な太陽をうらめしく見あげた。

鎌倉でも人々は灼熱の太陽の下、木かげや家の影でたむろしていた。

みなうらめしそうに空を見た。

北条時宗邸に安達泰盛、平頼綱、北条宣時など幕府の御家人があつまった。みな扇子をふるのにいそがしい。

泰盛がうだるような暑さに閉口しながらも、ようやく会議の口火を切った。

「諸国に飢饉が蔓延しているとの知らせが頻繁に届いております」

頼綱が同調する。

「地頭も弱っておる。かれらは百姓に苗や銭を貸しているが、こう雨がふらねば共倒れになるのは必定じゃ」

宣時もつられて後追いする。

「各所で水争いがおきております。蒙古にくわえて、やっかいなことになり申した」

泰盛が時宗に伺った。

「その蒙古の使者が、また太宰府にきております。いかがすれば」

 時宗は吐きすてた。

「ほおっておけ。それよりも飢饉のことだ。なにか妙案はないのか。今年もまた不作となれば人心はますます乱れよう。いまは国がひとつにならねばならぬ時なのだ。蒙古どころではない。知恵をだすのだ」

北条宣時がまっていたとばかり言上した。

「殿、極楽寺の良観殿に祈らせてはいかがでございましょう」

宣時は良観の大檀那であり、念仏者である。

泰盛が手をうった。

「そうじゃ、それだ。良観殿がいた。雨乞いの名人だ。実績もあるぞ。あの僧ならば雨をふらす術にたけておる」

「殿、幕府の命により、良観殿をご指名くだされ。さすれば殿の御ためにも幕府の御ためにも、有難きことに」

泰盛が了解と察知し指示した。

「すぐに良観殿を政所に召されよ」

ほどなく極楽寺良観が政所迎賓の間に到着した。彼のそばには弟子の周防(すおう)房、入沢(いるさわ)入道がひかえる。

安達泰盛と北条宣時が真っ白い下文を携えて、あわてて迎賓の間に入ってきた。

泰盛はたった今しがた、時宗が花押をしたためた下文を読みあげた。

「諸国、干魃により被害すくなからず。わが幕府もこのまま手をこまねくは本意にあらず。よって汝極楽寺良観殿に雨の祈祷を命ずる。古来、五穀豊穣は上の願うところ、民の頼むところなり。(よろ)しく法の(しるし)をあらわし、民のため幕府のため勤めるよう」

良観の答えはうやうやしい。

「おそれ多いお言葉。しかとうけたまわりました。雨をふらすは、たやすくないとぞんじますが、かならずやご期待にそえるよう、阿弥陀仏に願いたてまつりまする」

 良観と北条宣時との目があった。
 

良観殿が幕府から降雨の祈祷を命じられた、との噂を聞きつけた信徒、武士、町民など大勢が良観一行を出迎えた。

 みな良観に手をあわせた。

 大檀那の北条光時が頭をさげる。四条金吾の主君である。

「上人、雨の祈祷を時宗様からおおせられたとか」

良観がうなずいた。

「容易なことではありませんが、阿弥陀仏の本願により、祈りは間違いなく叶うでありましょう」

 町民が手をあわせた。

「良観様、お願いでございます。このままでいくと、鎌倉の田畑は全滅でございます。上人のお力で恵みをお与えくだされ」

 良観は満足だった。

「おまかせあれ、ふらせてみせよう。ただひとつ気がかりなのは『念仏無間、律国賊』などと、たわけたことをぬかす日蓮のことです。日本国の僧侶男女におしなべて戒律をもたせ、国中の殺生、天下の酒を止めようと思うのだが、日蓮がこの願いをさまたげておりまする。この日本国にとって嘆かわしいことでございます」

良観は五十六歳、鎌倉幕府の手厚い庇護もあり得意の絶頂にあった。

 彼は執権時宗にも影響力をもっていた。飯島からの「関米」徴収権、鎌倉七道における木戸銭徴収権を得て幕府に上納していた良観は、国家鎮護の宗教的バックボーンとして、また経済的にも幕府と表裏一体の強い影響力を持つ存在だった。

 ふたたび松尾剛次氏の論文から引用する。松尾氏は良観の慈善活動が幕府と一体であったことを指摘している。

 桑ヶ谷は、現在の光則寺のある谷の北隣の谷で、極楽寺の東方に隣接する谷でもある。当初、極楽寺の建設予定地で、おそらく北条重時流の所領であったのだろう。それゆえ、忍性は、そこに病院を建て、病者の治療活動に邁進できたのであろう。

 ところで、こうした忍性の慈善救済活動を支えたのは、信者たちの寄付のみでなく、鎌倉幕府の後援も大きな意味をもっていた。(中略)桑ヶ谷の療病所では、二○年間で、四万六八○○人が治療を受けたが、その内、死者は一万四五○人で、実に五分の四の人が治癒したという。こうした治療活動は、北条時宗が発し、忍性が助けて実行していた点である。

 それゆえ、北条時宗は、土佐国(高知県)の大忍(おおさとの)(しょう)を忍性に与えて、桑ヶ谷での治療活動にかかる費用に充てさせたという。たしかに、極楽寺にも病宿(病院のこと)があり、極楽寺内での病宿で行うのがやりやすかったはずである。しかし極楽寺内の病宿ではなく、桑ヶ谷という極楽寺外で病院を作り、しかも二○年間で、四万六八○○人もの人々の治療活動を行っている。とすれば、桑ヶ谷での治療活動は、たんなる極楽寺の独自な活動という性格のものではなく、得宗(とくそう)(注)たる北条時宗の意向を代行するものであった。つまり、幕府の実質上の最高責任者である北条時宗が、忍性に救済事業を代行させていたのである。


極楽寺良観は権力の中枢にわけ入っている。彼の前に敵はいない。いるとすれば日蓮一人だったが、信者同士で小ぜりあいがある程度だ。良観にとって、無位無冠の日蓮など眼中になかったのである。

その夜、五十歳になった日蓮が説法をはじめた。頭には白いものが目立ちはじめた。

聴衆は暑さで扇子をふる者、汗をぬぐう者が大勢である。

この中に良観の弟子、周防房・入沢入道がいた。二人は偵察のためにきていた。日蓮に動きがあれば、すぐ良観に報告していた。

日蓮の説法はきびしさを増す。

「この鎌倉に良観という法師がおられます。身なりは質素であり、二百五十戒をかたくたもち威儀正しい。世間の無知の道俗はもちろん、国主より万民にいたるまで生き仏とあおいでいる。だが法華経を拝見するに、末法に入れば法華経を弘める者に、三人の強敵(ごうてき)があらわれると説かれている。余はその中のもっとも(はなは)だしい第三の敵はこの良観殿とみている」

周防房がたまらず口をはさんだ。

「おまちくだされ。なにを根拠にそのようなたわごとを」

日蓮はおもむろに法華経巻五を手にとり、勧持品第十三を開いた。

「唯願不為慮  (ただ)願わくは(うらおも)いしたもう()からず
  於仏滅度後  仏の滅度の後の
  恐怖悪世中  恐怖(くふ)(あく)()の中に()いて
  我等当広説  我等(まさ)に広く説くべし
  有諸無智人  (もろもろ)の無智の人の
  悪口罵詈等  悪口(あっく)罵詈(めり)等し
  及加刀杖者  及び(とう)(じょう)を加うる者有らん
  我等皆当忍 我等皆(まさ)に忍ぶべし。 

 仏の滅後、ひとりの僧侶があろう。戒律をたもつようにみせかけ、わずかに教典を読んでは飲食に執着し、その身を養うであろう。袈裟(けさ)を着るといえども信徒にむかい、猟師が鹿を狙うように、猫が鼠を伺うように。さらにこの僧は常にこの言葉を唱えるだろう、われ悟りを得たりと。外面は賢善をあらわし、内には貪欲をいだく。口をあけた()羅門(らもんのように、実には僧にあらずして僧の形をあらわし、邪見さかんにして正法を誹謗する」

入沢(いるさわ)入道があざ笑う。

「なんというともわが良観上人は、時宗様もお認めになる鎌倉随一の名僧でござる。先日も幕府より雨の祈りを命ぜられました。失礼ながら日蓮殿には願っても叶わぬことでございまする」

周防房も薄笑いし、日蓮に言い放った。

「所詮、われらと日蓮殿とは水と油でございまするな。御坊がなにを申されても世間の人々は全く認めておりませぬ。これにて失礼いたす。われらは雨乞いの準備がありますので・・」

その時、日蓮は二人が立ちあがるのを止めた。

「おまちなされい。六月十八日より雨の祈りとのこと。もし良観殿が七日のうちに雨をふらせたならば(それがし)は良観殿の弟子となろう」

聴衆は降雨の対決を迫る日蓮の発言に驚きの声を隠せなかった。

入沢と周防が顔を見合わせ、すわりなおした。

日蓮はつづける。

「七日のうちに雨一粒もふらすことができたならば、日蓮は良観殿の弟子となって二百五十戒をつぶさに(たも)たんうえに、念仏無間地獄・律国賊と申した法門は誤りだったと捨ててご覧に入れよう」

聴衆は日蓮の言葉にあっけにとられた。まさか雨乞いの名人に対決するとは。

周防房もまさかの展開に半信半疑だった。
「日蓮御坊殿、その言葉、うそいつわりはございますまいな」

日蓮は断言した。
「余が帰伏したならば、余の弟子をはじめとして日本国は良観上人になびくでありましょう。逆に雨がふらずば、良観殿の戒律が誤りなのは明らかである。いさぎよく法華経に帰伏していただきます」

二人は思わぬ展開に互いの手をにぎりあった。

「信じがたい。良観上人にたちむかうとは。日蓮殿はうつけ者なのか・・」

 日蓮はふだん通り冷静であった。

「いにしえも雨乞いについて、勝負を決したためしは多い。いわゆる伝教大師と()(みょう)(注)と(しゅ)(びん)(こう)(ぼう)(注)となり。これをもって勝負といたそう」

二人は信じられないとばかり日蓮に念を押した。

「今の言葉、くつがえすことはできぬぞ。お忘れなきよう」

日蓮の弟子たちは茫然とした。その一人、大進房が飛びだしてきた。

「上人。良観殿は雨乞いの達人です。とてもかなうものでは・・」

 日蓮が真正面をむいた。

「現証で決着をつけるのです。良観の大慢心を倒して、無間地獄の苦を救うのだ」


周防房と入沢入道が高笑いしながら大路を小走りに去っていく。

二人は思った。

これでわが良観和尚の敵はいなくなった。いままで日蓮に煮え湯を飲まされてきたが、その日蓮が無謀な挑戦をしかけてきたのだ。笑いが止まらなかった。

干魃が本格的になっていた。

田畑の空には雲ひとつない、燃えるような太陽だけだった。くもりの日があっても風が鳴るだけで、渇きはいっそうひどくなっていった。

百姓が枯れかかった稲を心配そうに見た。そしてうらめしく空を見上げた。

今の日本には深刻な旱魃はない。だが灌漑設備の乏しい当時は、わずかな日照りで深刻な飢饉をもたらした。今も世界中では旱魃による飢饉が頻繁である。異常気象をふせぐのは人智ではどうにもならない。

科学が未発達だった時代、宗教による祈りはこうした自然の驚異にたいして世界共通の究極の解決策だった。万策尽きた人々にとって、あとにのこる手立ては祈りしかなかった。

館では日蓮を導師に弟子信徒が祈った。

日蓮はふだんと変わらなかったが、弟子檀那はちがった。みな真剣な表情である。もし雨がふれば、自分たちの未来はない。師匠を良観の弟子にさせてはならない。悲壮な唱題だった。 


いっぽう極楽寺の入口は群衆でごったがえしていた。そこへ黒衣の僧が大挙して入っていく。
 群衆は汗だくになりながらも僧侶を迎え、手をあわせた。

ここに良観があらわれた。彼は僧侶の大群をひきいて登場した。

群衆が手をふり、歓声がひときわ大きくなった。

「良観様」

祈祷の場が極楽寺の境内にできた。急ごしらえの吹きさらしの家屋である。良観を先頭にして数百人の僧侶がつづく。壮観である。極楽寺を総動員した祈禱だった。

祈祷所には地蔵もあれば阿弥陀像もあり、あらゆる仏像がならべられた。この雑多な仏像の前に黄金のたらいがおかれた。稚児がうやうやしく柄杓の水をはこぶ。良観がその水をうけとり、たらいに入れた。そして僧侶の一団にむかって演説した。

「このたび鎌倉殿のおおせあって、雨の祈祷を行ずることになった。ここでわれらは民の苦しみを抜く祈りをおこなう。われらがいただく戒律と念仏が正しければ、雨はかならずふる。ふらぬと申す輩もいるようだが」

僧侶たちが傲慢に笑いだした。

「さりながら油断はならぬ。期限は七日間。おのおの自らの宗義をかたく守り、勤めあげるよう」

文永八年六月十八日、良観が読経を開始した。二十四日まで七日間の勝負である。雨がふれば日蓮は敗れ、良観の門下にくだる。

数百人の僧がいっせいにつづく。地鳴りに似た響きだった。

北条時宗が窓ごしに空を見ていた。安達泰盛、平頼綱がうしろでひかえる。

泰盛が口をひらく。

「いやはや、町では良観殿と日蓮の対決で、もちきりでござる。どちらが勝つか」

時宗が他人事のように聞いた。

「評判はどちらじゃ」

頼綱があざ笑った。

「良観にきまっておりまする。日蓮め、墓穴をほりましたな。蒙古の予言がまぐれ当たりだったのを幸いに、よりによって良観に刃向かうとは。勝負は七日間。七日をすぎたところで日蓮を捕らえるつもりでござる」

泰盛がおどろいた。

「捕らえる。罪状は」

「しれたこと。幕府の雨乞いを妨害したのでござる。これは幕府を非難するにひとしい。いかが」

泰盛が時宗を見た。

「いかがでございましょう」

時宗はだまったまま、かすかに聞こえる読経に耳をすませた。

祈りの効果は早速あらわれた。

町民が空を指さした。驚いたことに、雲一つなかった空のかたすみに黒雲がわいてきたのだ。

「見ろ。雲だ、雨雲だぞ」

町民が歓びにあふれた。

雲はつぎつぎに集まり、空が暗くなっていく。

良観の読経がこだましていた。

夕闇がせまった。今にも泣きだしそうな空となった。

良観がここで初日の読経を終えた。

引きあげる僧侶が満足げに見あげた。

「明日は間違いなくふるであろう。駿河ではすでに雨だそうな」

「日蓮め、後悔していることだろうて」

僧侶が笑いあった。

その夜、良観は勝利を確信して眠りについた。雨乞いは以前にも成功している。ぬかりはない。

こうなれば日蓮という目の上のこぶをはらい、幕府に恩を着せることができる。彼の師の叡尊が朝廷から興正菩薩の名を賜わり、四天王寺の別当となったように、身の栄達が目前だった。良観の喜悦ははかりしれない。自分を誹謗する者がいなくなるのだ。なんと心地よいことか。鎌倉は思いのままになる。良観は安堵感と同時に浮かれないではいられなかった。

良観はその日の未明に夢をみた。

厚い雨雲に覆われた薄暗い日中、良観がおごそかに祈る。

突然雷が天空に響き、大粒の雨がふり始めた。

群衆が喜びあう。

そこに日蓮がずぶぬれで近づき、おもむろに良観に手をあわせた。

良観は予期せぬ事態に思わず後ずさりする。
 そこで目が覚めた。はたして正夢となるのか。

朝の寝室は雨戸で閉めきられて暗かった。光がわずかにさしている。

外から弟子の呼ぶ声がする。

「お師匠様、お師匠様」

夢の余韻に浸っていた良観が驚いたようにとびおきた。

弟子の周防房だった。

「お時間でございます」

良観は恐る恐る雨戸をはずした。

(雨よ、たのむからふっていてくれ)

しかし強烈な光線が刃のように目を刺した。思わず袂で目をおおった。

鎌倉は灼熱の空にもどっていた。昨日までの雲は完全に消えていた。


読経が延々とつづく。

僧侶の頭から湯気がでてきた。

彼らは湿気のない空をうらめしそうに見あげた。

やがて燃えるような夕陽が鎌倉の西の空をおおった。

炎天の下、旅人が道ばたですわりこむ。

こうして良観による祈祷の二日目がおわった。

三日目の朝となった。

良観の弟子たちがみな焦りだした。良観を中心に輪ができた。みな一様に頭をかかえた。

「雨がふるどころか、空には一つの雲さえありません。良観様、なにかよい手だてはありませぬか」

「案ずることはない。延暦寺の開祖、伝教大師とて三日かかったのだ」

「しかしこれだけの大勢の僧が真剣に祈っているのに、全くしるしがないとは、いったいなにがいけないのだ」

 自身への疑いが広がり始めた。

 場の空気を察した良観が突然提案した。

「雨は必ず降らせねばならない。いまさら日蓮の門下にくだるわけにはいかない。背に腹は代えられぬ。どうであろう、このさい法華経で祈ってみるのは」

周防房が手をうった。

「そうでした。法華経があった。法然上人も法華経は衆生にとっては難信(なんしん)難解(なんげ)と説いてはいたが、すぐれた経であることは認めていた。このさい日蓮が頼みとする法華経で祈りましょう。我々は題目ではなく法華経一部を読誦(どくじゅ)ましょう。必ずしるしがあるはずです」

なりふりかまってはいられない。良観は法華経の巻物八巻を用意すると、すぐに声を合わせて読経をはじめた。

「如是我聞、一時仏住・・」

するとどうしたことであろう。鎌倉の山なみから黒々とした雲がわきおこってきた。

黒雲は一天をおおうようになった。

良観が声を一段と強める。

この時だった。

悲鳴に似た音をたてて突風がおき、吹きさらしの建物をゆらした。

宝殿に安置していた諸仏、諸菩薩の立像が倒れだした。

僧侶たちは驚いて読経をやめたが、ひとり良観だけは懸命に唱えていた。


 鎌倉市街には砂嵐が襲った。
 町民が悲鳴をあげて逃げまどう。

屋根が突風で吹き飛ばされた。切望していた雨ではなく逆風だった。

混乱に明け暮れた三日目の夜がふけた。

夜中じゅう、鎌倉の町には風が切るような音をたてた。

北条時宗は執権の間で格子ごしに町をながめていた。

いつものように泰盛、頼綱が控えている。

泰盛がうなった。

「いかん。この風は。いよいよ日照りがすすむぞ」

農地は地割れをおこしはじめた。くわえて空っ風が追い打ちをかけた。

 土地をひきはらう百姓が続出した。彼らは当座の荷をかつぎ、身寄りのいるところへ肩をおとしながら去っていった。

 明るいうちに支度できる百姓はよかった。ほとんどの農家が地頭からの借金を払えず夜逃げした。

 だがその中でも土地に居すわり、収穫をあきらめずにいる百姓がいた。

 家には妻が力なくすわりこんでいる。奥には老婆と幼い子供がよりそって寝ていた。

 百姓は叫んだ。

「おれは負けんぞ。かならず米を実らせてやる」

四日目。風の吹く中、然阿良忠を先頭にした黒衣の僧百名が大路を行進した。

 沿道の町民は念仏僧の大群に目をみはった。

 百名は極楽寺についた。

 良観が笑顔で出むかえ、然阿と対面した。

「よくぞ来られました」

念阿がうなずく。

「ですぎた振舞ではないかと躊躇(ちゅうちょ)しましたが、加勢いたすことにしました。この鎌倉を日蓮に我が物顔で振る舞わせる訳にはいきません(せん)ずる所、雨を降らす法は念仏をおいてほかにござらぬ」

 良観一門が祈る。然阿一門がそれに続く。祈祷所全体が前に倍した声で念仏を唱え始めた。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」

念仏の声が乾いた空に増幅され周囲に響き渡る。しかし刺すような光線が祈祷所にそそぐ。さらにこの光線が良観を襲った。

良観が思わずかがみこんだ。


やがて夜がふけていった。

祈祷所から汗だくの僧侶が引きあげた。みな争うように水を飲みこんだ。

良観と周防房、入沢入道の三人は、なおも祈祷所にのこり、念仏を唱えていた。

弟子の二人が顔を見あわせ、良観の背中に話しかけた。
「お師匠様、明日がございます。今日はここまでとしたほうが・・」

しかし良観は耳に入らないのか念仏を唱え続けている。

二人が前へでて、良観の顔をのぞいて仰天した。
 げっそりと頬がこけている。なにかにとり()れた形相である。

 良観は弟子の問いかけに答えることなく、ふらふらと立ちあがった。


あくる日も祈りがつづいた。

僧侶のなかに、祈りながらも床に伏して倒れる者がでてきた。意識がもうろうとしている。熱射病である。口から泡を吹く者、嘔吐する者もいた。一人もう一人と前に倒れ、横に倒れて担ぎだされていく。

 良観はあいかわらず憑かれたように祈り続けていた。

 周防房と入沢入道も体調に異変が起きて苦しみだした。


ついに日蓮と約束した七日目の朝がきた。

雨の気配はなく、乾いた風が吹く。

朝、良観はふらふらと祈祷所にむかった。

驚いたことに、良観の目の前を然阿の集団が横ぎった。彼らは退去するところだった。良観があわてて追いかけた。

「然阿殿。いかがいたした。今日が最後でございますぞ。どちらへ」

然阿は、ばつ悪そうだった。

「これは貴殿と日蓮との賭け事でしたな。われらがさしでがましい事をしでかすのはどうかと思いましてな」

良観の口ぶりは哀願がこもる。

「とんでもございませぬ。然阿殿はわれわれにとって心強い味方ですぞ。どうかおのこりあって・・」

「いや失礼いたす。六日間、飽かずに祈ったのでござる。それにこの空です。今日一日でふるとは、思いませなんでな」

ここで良観がはじめて然阿に詰問した。

「然阿殿、余は今まで律僧でありながら、そなたの念仏を弘めてきたのですぞ。貴殿にとって余は一番の味方のはず。この良観は鎌倉殿も御帰依の身。この上はどうなるか承知でしょうな」

然阿が突きはなした。

「それでは。法要がありますので」

然阿らが大挙して去っていく。

良観が背をむけた一団をなじった。

 然阿はふりむかずに去った。彼は最初、数をたよりに加勢したが、分が悪いのを見ると、素知らぬように逃げた。
 当時、事態をさらに悪化させる人を
立入(たていり)(もの)と呼んだ。然阿は良観にとって立入者だった。



              二六、日蓮、降雨へ渾身の祈り  につづく


上巻目次



得宗

鎌倉幕府北条氏惣領の家系をいう。初代執権北条時政以後、二代義時の嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時まで九代続いた。


護命 ()()()()()()()()()()()修円

二十三 三類の怨敵 参照

 



by johsei1129 | 2017-04-06 21:22 | 小説 日蓮の生涯 上 | Trackback | Comments(0)


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