人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2014年 11月 16日

法の本尊を説き明かす三 【文底秘沈抄第二】本門の本尊篇

 
 上来示す所の古今の師は、智は日月に等しく徳は日本に耀(かがや)けり。(しか)りと(いえど)(いま)だ迹本事理の一念三千(ほと)んど(へだ)つと言わず、山野の(おくたく)誰人か之を信ぜん。
 答う、不相伝の家には聞き得て(まさ)に驚くべし、今略して所引(しょいん)の文の意を示さん云云。
 (およ)本尊抄の中に五種の三段を明かすに分かちて二と為す、初めに総の三段、二に別の三段なり。総の三段(また)二云云。次に別の三段に亦分かちて三と為す、初めに迹門熟益の三段、次に本門脱益(だっちゃく)の三段、三に文底下種の三段なり。
 今所引の文は本門脱益の三段の中の所説の法体の下の文なり。此の所説の法体の文に亦二意有り。
 初めには(ただ)に迹門に対して以て本門を明かす、所謂(いわゆる)彼は本無(ほんむ)(こん)()の百界千如(せんにょ)、此れは本有常住の一念三千なる故に所説の法門天地の如し。
 二には重ねて文底に望んで還って本迹を判ず、所謂(いわゆる)本迹の異なり実に天地の如しと雖も、若し文底独一の本門・真の事の一念三千に望んで(かえ)って彼の迹本二門の事理の一念三千を見る(とき)(ただ)(ちく)(まく)(へだ)つるなり云云。(たと)えば直ちに一尺を以て一丈に望むる(とき)長短大いに異なれども、若し十丈に望んで還って彼の一尺一丈を見る則は(ただ)是れ少異と成るが如し。又玄文第六・疏記(しょき)第一等に(じゅん)ずるに(しばら)く二万億仏の時節久しと雖も、若し大通に望むれば(ほと)昨日と為るが如し、又三千塵点(じんてん)(はる)かなりと雖も、若し五百塵点に望むれば(なお)(しん)宿(しゅくと成るが如し、之に准じて知るべし云云。

註解

〇山野の憶度とは、辺鄙(へんぴ)田舎者憶測(おくそく)と。日寛上人御自分卑下言葉

〇不相伝の家とは、まさに山野の憶度の人であり、これに対し上人は相伝の上から御聖意を拝し、以下に甚深の法義を示される。

〇五重三段とは、一代仏教を序分(準備として説かれた部分)・正宗分(しょうしゅうぶん)実義肝要部分流通分(るつうぶん)流布し、修行利益部分三段し、一念三千本門本尊本尊抄二の最後三の冒頭を見よ

〇総の三段、別の三段をまとめると以下になる。  

 (総の三段) 一代一経三段      内外(ないげ)   

       法華経一経三段     大小相対

 (別の三段) 迹門熟益三段      権迹相対

       本門(だっ)(ちゃく)三段     本迹相対

        文底下種三段      種脱相対

〇二意とは、二重に次第して解釈すべき内容が含まれているとの仰せである。

まず迹門に対して直ちに本門を相対すれば、迹門は本無(ほんむ)(こん)()百界千如しかていない。本門は、釈尊久遠(くおん)本地れ、本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)一念三千ゆえに、迹門天地雲泥(うんでい)があこれ第一解釈

 第二重の解釈では、五重三段の最後「文底下種三段」から立ち(かえ)って、門と本門一念三千相対(ちく)(まく)(へだ)程度ない解釈であ

〇一尺は約30センチ。一丈は約3メートル。

〇信宿とは、再宿ともいい、おなじ所に二晩泊まること。二夜泊まり。五百塵点に比べれば、三千塵点劫も二晩になるということ。

 

 法の本尊を解き明かす四 につづく
  
 文底秘沈抄 目次
六巻抄 目次



by johsei1129 | 2014-11-16 21:30 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


<< 法の本尊を説き明かす四【文底秘...      法の本尊を説き明かす二【文底秘... >>