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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 09月 29日

地獄と仏とは・・・委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候と説いた【十字御書】

【十字御書(むしもちごしょ)】
■出筆時期:弘安4年正月5日(西暦1281年) 六十歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は「重須(おもす)殿女房」すなわち、富士郡重須の地頭・石河新兵衛殿の夫人(南条時光殿の姉)が、年頭に当たり身延の大聖人のもとへ、蒸餅その他の品々を御供養申し上げたことに対する、お礼のご消息文となっております。
 このなかで大聖人は「地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・・・<中略>・・・委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候」と、説くと共に「正月の始めに法華経をくやうし・まいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし」と重須殿女房の厚い志を称えておられます。
 尚、十字(むしもち)とは、鎌倉時代に中国から伝来したもので、災いを除き幸いを招くおまじないとしてお正月の祝い食べ物として蒸し餅に紅で「十」の字を記したことがいわれとなっております。
 また現在の北山本門寺は、重須殿女房の子、石河孫三郎能忠が開基しております。
■ご真筆: 富士・大石寺所蔵。
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[十字御書 本文]

 十字(むしもち)一百まい、かし・ひとこ(菓子一籠)給い了んぬ。
 正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりて・あきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり・人にもあいせられ候なり。

 抑(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下(した)と申す経文もあり。或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。
 さもや・をぼへ候事は、我等が心の内に父をあな(蔑)づり、母ををろ(疎)かにする人は地獄・其の人の心の内に候。譬へば蓮のたねの中に花と菓(み)とのみゆるがごとし。
 仏と申す事も我等の心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、珠の中に財(たから)のあるがごとし。我等凡夫はまつげ(睫)のちかきと虚空の・とをきとは見候事なし。我等が心の内に仏は・をはしましけるを知り候はざりけるぞ。
 ただし疑ひある事は我等は父母の精血変じて人となりて候へば、三毒の根本・婬欲の源なり。いかでか仏はわたらせ給うべきと疑い候へども、又うちかへし・うちかへし案じ候へば、其のゆわ(謂)れもやと・をぼへ候。蓮はきよ(清)きもの・泥よりいでたり、せんだん(栴檀)はかう(香)ばしき物・大地よりをいたり、さくらは・をもしろき物、木の中よりさきいづ。やうきひ(楊貴妃)は見めよきもの、下女のはら(腹)よりむまれたり。月は山よりいでて山をてらす、わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる、さいわい(福)は心よりいでて我をかざる。

 今正月の始めに法華経をくやう(供養)し・まいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。
 
 今日本国の法華経をかたきとして・わざわいを千里の外より・まねきよせぬ。此れをもつてをもうに、今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし。
 影は体より生ずるもの。法華経をかたきとする人の国は・体にかげのそうがごとく・わざわい来たるべし。法華経を信ずる人は・せんだん(栴檀)に・かをばしさの・そなえたるがごとし。又又申し候べし。

 正 月 五 日        日  蓮   在御 判

 をもんす(重須)どのの女房御返事




by johsei1129 | 2024-09-29 19:57 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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