2017年 03月 14日
極楽寺は広大な所領をもつ寺院であった。敷地にはいくつもの施設が群れをなして建っている。 この寺は第二代執権北条義時の三男、北条重時の寄進によって建築された。今も鎌倉市にのこる極楽寺は、かつての栄華を想像できないほど小さいが、当時は病院と大学をあわせたほどの規模があった。現在も極楽寺町の地名がのこる。ここには子院が四十九か所。ほかに施薬院、療病院、薬湯寮までそろっていた。 境内は難民であふれかえっていた。 僧侶が柄杓で粥をもり、難民にほどこす。貧しい人々が列をなし「ありがたや」とばかりに受け取っていく。 療病院では幾人もの僧侶が白い口当てをして患者を診た。小僧がその横で看護にあたった。 目がただれた者。咳こむ女人や癩患者もいる。病に苦しむ者たちが順番にずらりと並んでいた。 いっぽうこの敷地の中に戸を閉め切り、だれも入れない堂があった。 堂は上窓の光しか差さない。ここに数十人の僧が机の上で算盤を入れていた。その横では銅銭をひもで通し、まとめていく僧侶たちがいた。 かれらの後ろにはきらびやかな色の反物、箱に入った銅銭が積みあげられていく。 極楽寺良観は慈善活動とともに商業にも手を広げていた。経済基盤が安定しないと慈善はできない。極楽寺は宗教施設であると共に、商社の機能をも有していたことになる。 仏教史学者の松尾剛次氏は良観について丹念な研究をのこしている。氏は忍性良観が管轄していた材木座海岸のことを述べる。 和歌江嶋は飯島ともいい、材木座海岸の、現光明寺の前浜あたりに突き出て造成された人工島であった。現在は、干潮時に黒々とした丸石が露頭するのみである。由比ガ浜は、遠浅で中国船などの大きな船の着岸には適さず、六浦の方がそうした船の入港には適していたのだ。 ところが、貞永元年(一二三二)年七月一二日に、念仏僧の往阿弥陀仏は、「船着岸の煩ひなからんがため、和賀江嶋を築くべし」と、鎌倉幕府に申請した。時の執権北条泰時は大いに喜んで許可し、諸人とともに協力した。 ところで、この和賀江嶋の修築と維持・管理に関しても、忍性を中心とした極楽寺が大きな役割を果たした。史料にいう。 飯島敷地升米ならびに嶋築および前濱殺生禁断等事、元の如く、御管領あり、嶋築興行といい、殺生禁断といい、嚴密沙汰を致さるべし、殊に禁断事おいては、天下安全、壽算長遠のためなり、忍性菩薩の例に任せて、其沙汰あるべく候、恐々謹言 貞和五年二月十一日 尊氏在判 極楽寺長老 この史料(『極楽律寺史』)は、足利尊氏が貞和五年(一三四九)二月一一日日付で、極楽寺に対して「飯島敷地升米ならびに嶋築および前濱殺生禁斷事」をもとの通り支配権を認めたことを示している。すなわち飯島(和賀江嶋の敷地)で、着岸した船から関米(通行税)をとる権利を認められたが、それは飯島の維持・管理(嶋築き)の代償でもあったことがわかる。また前濱の殺生禁断権も認められていた。しかもそうした権利は、傍点部からわかるように、忍性以来の事であった。(中略)さらに極楽寺は、前浜の殺生禁断権を認められていた。このことは称名寺が握った権利と同様、浜での一般人の漁を禁じ、漁民に対しては、一定の金品を寺院に寄附することで漁を認める権利である。それゆえ、極楽寺は漁民に対しても統括権を得ていたといえる。この点は、叡尊が弘安九(一二八六)年に宇治橋を修造した際に、宇治川の殺生禁断権が叡尊に認められたように、極楽寺とその末寺が管理する川においてもいえる場合が多かったと考えられる。 『忍性 慈悲ニ過ギタ』より 良観の経済基盤の巨大さがわかる。良観の経済活動は北条のあとの足利尊氏の時代にまでも影響力が及んでいたのである。歴史家が鎌倉の北半分は北条家が支配し、南半分は良観が支配していたというのは、あながち誇張ではなかった。 良観は野望をもっていた。 それは経済力をもって時の権力を操り、日本国に君臨することだった。 良観が弘めた律宗は戒律を説くだけであり、教義の中身は低い。これでは宗教上は新興の日蓮の法華宗、巨大な比叡山延暦寺を中心とする既成勢力にあなどられてしまう。これをおぎなうために、幕府権力を利用して批判勢力をおさえ、自身の栄達をはかった。 良観の出自は奈良東大寺である。 彼は奈良すなわち南都仏教の代表だが、奈良仏教はすでに時代おくれになっていた。桓武天皇の時代、伝教大師が出現して南都仏教を徹底して破折、没後七日目にして嵯峨天皇より大乗戒壇設立の勅許が下る。また桓武天皇は奈良を捨てて新都平安京を建設したため、奈良仏教は見る影もなくなっていた。 そのあと伝教の比叡山延暦寺から新しい仏教の旗手がつぎつぎと誕生した。法然、親鸞、道元、日蓮など、新時代の宗派はこの延暦寺からでている。日蓮も延暦寺を拠点として十年余り修学し鎌倉で布教を始めていた。このため奈良仏教の代表である良観は、なんとしても律宗を日本国にひろめ、奈良の栄華をとりもどそうとしたのである。 極楽寺の居室は壁の装飾があざやかである。 良観はあでやかな僧服をまとっていた。彼の横では大檀那である北条重時や弟子たちが盃を重ねていた。 鎌倉武士は京の公家と比べると普段は質素な食事をしていたが、今日ばかりはいわゆる晴れの膳が並んだ。 玄米に麦・粟を混ぜて蒸かしたおこわ。近海でとれた鯛の塩焼き、大ぶりの茹でた車海老、色もあざやかな季節の野菜の煮つけ、鴨と蕪のあつもの(吸い物)、大根の味噌漬け、蜂蜜が添えられた揚げ菓子、別の膳には海水を煮詰めた塩と醤(塩辛)と白酒が折敷(お盆)に置かれていた。 稚児が重時に酒をくむ。重時は機嫌よくうけた。 「まことに立派な寺ができあがった。鎌倉一じゃ。ここに念仏堂はもとより病院、入院寮、難民を入れる建物もできあがった。なによりじゃ」 良観が恐縮し、重時にうやうやしく礼をいう。 「重時様のおかげでございます。まことに殿のお力には敬服いたします」 重時が盃をおく。 「われらが和尚を援助するのは、戒律を重んじるためであり幕府のためでもある。身よりのない者や病人どもを救済すれば、治安の維持も図れる。われらにとっても好都合。和尚にとっても・・」 良観が手をあわせた。 「この身にとって恐れ多いことでございます。わたしとしては、このようなにぎやかな場所は避けて、山の中の静かな寺で持戒しなければならぬのですが」 重時が笑った。 「なにを今さら。良観和尚といえば、今や御家人でさえも恐れはばかるお人じゃ。まして今この日本国は飢饉、疫病で弱りきっておる。鎌倉のだれもが上人の威徳を頼っておりますぞ」 「さようでございますか。しかし鎌倉の皆が皆と言うわけにはいきますまい。げんにこの良観を悪人と呼ぶ御坊もいる様子でございます」 重時が横目でにらんだ。 「なに。それはどこの何者でござる」 「たしか日蓮と名乗る僧侶でございます。松葉ヶ谷に住んでいるとか」 「坊主でござるか。で、その者はなんと言っておるのか」 「念仏を唱える者は地獄に堕ちると言っており申す」 重時は念仏の強信者である。彼は一瞬怒りの表情をあらわしたがすぐ笑いだした。 「和尚、心配めさるな。どこの世界にも瘋癲白痴はおるもの。安心くだされ。この重時はもとより、幕府の面々がついておりますぞ」 重時が高笑いした。 稚児がやってきて良観に手をついた。 「お師匠様、そろそろお時間です」 良観がうなずいて立った。説法の時間である。 長い廊下をすすむ。 供の弟子が良観の美服を脱がせ、質素な法衣に変身させた。慈善僧の身なりは華美であってはならない。 本堂は数百人の聴衆で埋まっていた。 ざわめきが絶えない。 そこに良観を先頭にして数十人の弟子が大挙して入場すると歓声がこだました。 「良観さま」 女たちは絶叫して涙を流し、袂で顔をおおう。男たちは手を振って良観の名を呼んだ。僧や尼たちは手を合わせて念仏を唱える。 北条重時は鎌倉の庶民の良観にたいする度を越した熱狂ぶりに感嘆した。 良観が説法の場につき、笑顔で答えた。 歓声がなかなかやまない。良観はいまや鎌倉一の名僧とはやしたてられ、現代でいうところのカリスマだった。 やがて良観が軽く咳払いをすると場内がようやく静まりかえった。 「お忙しいところ、よくおこしいただきました。本日は八斎戒をお教えいたしましょう。戒律のお話です。眠りたいかたは眠ってけっこうでございますぞ」 子供たちがくすくす笑い、親に頭を小突かれている。 この中に日蓮の弟子、鏡忍房日暁と筑後房日朗がいた。 鏡忍房が立ちあがった。 「良観様。わたしたちは良観様を尊敬しております。鎌倉のだれもが上人を慕っております」 突然の発言だったが良観はにこやかにうなずいた。 「良観様のおかげで道路が広くなり港が整備され、いままでより、いっそう住みやすくなりました。良観様のおかげです」 良観がほほえんだ。 「そうもちあげなくともよろしい」 聴衆に笑いがあがる。ここまではよかった。 日朗が笑みを浮かべて立ちあがった。 「しかしあのような普請は、さぞかし大変でございましょう。とくに銭の入り用は苦労のいること。関所で庶民の米をとりあげ、山の材木を買い占めては高く売る。そうしなければあのような事業は困難でしょう」 場内がざわついた。 「良観上人でなければ、そのような振る舞いはできませぬ。まことに尊い。昔から律宗のご僧侶は商売や金銭の貸し借りには長けておりますから」 鏡忍房がたたみかける。 「まことの僧侶であるならば、仏教の奥底をきわめ、人々に成仏の道を示すのが本当の僧侶と思いますが、僧侶の身で納まるわけにはいかないようですな」 良観が弟子に目くばせした。場内がざわめく中、極楽寺の僧が二人を追いはらう。 鏡忍房が去りぎわに叫んだ。 「わたしは松葉が谷に住む日蓮上人の弟子、鏡忍房日暁と申す者」 「日蓮上人は法華経こそ最高の教えであると申しております。説法をお聞きになりたいかたは、ぜひ松葉が谷へ」 二人はせきたてられ去った。 良観はそれでもにこやかだった。 「おもしろい御仁であること」 そして一瞬真顔になった。 念仏者たちは日蓮が経文を前面にして攻撃してくるのに戦々恐々とした。 彼らはあろうことか、師の法然の教義を曲げることまでして防衛につとめた。 法然は選択集でいっさいの諸宗を否定したが、念仏者たちは日蓮のきびしい指摘によって教義をまげ、諸行往生(注)を唱えだした。 日蓮はこの念仏僧らによる苦しまぎれの教義改悪を鋭く指弾する。 此の七八年が前までは諸行は永く往生すべからず、善導和尚の千中無一と定めさせ給ひたる上、選択には諸行を抛てよ、行ずる者は群賊と見えたりなんど放語を申し立てしが、又此の四五年の後は選択集のごとく人を勧めん者は、謗法の罪によって師檀共に無間地獄に堕つべしと経に見えたりと申す法門出来したりしげに有りしを、始めは念仏者こぞりて不思議の思ひをなす上、念仏を申す者無間地獄に堕つべしと申す悪人外道あり、なんどのゝしり候ひしが、念仏者無間地獄に堕つべしと申す語に智慧つきて各選択集を委しく披見する程に、げにも謗法の書とや見なしけん、千中無一の悪義を留めて、諸行往生の由を念仏者毎に之を立つ。然りと雖も唯口にのみゆるして、心の中は猶本の千中無一の思ひなり。在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして、諸行往生の口にばかされて、念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを、法華経を謗ずる由を聖道門の人の申されしは僻事なりと思へるにや。一向諸行は千中無一と申す人よりも謗法の心はまさりて候なり。失なき由を人に知らせて而も念仏計りを亦弘めんとたばかるなり。偏に天魔の計りごとなり。 『唱法華題目抄』 聖道門の人とは法華経を信じる人々をいう。念仏者は自らの悪義をかくしてまで、弥陀の名号を弘めねばならなくなっていた。 注 諸行往生 阿弥陀仏と唱えて、極楽浄土に生まれる念仏往生に対し、念仏以外の諸々の善行によっても往生することができるという説。法然の弟子長西、親鸞の法友、善慧房証空などが説いた。
by johsei1129
| 2017-03-14 20:12
| 小説 日蓮の生涯 上
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