2021年 10月 22日
日蓮は同時に禅宗を攻めた。文永五年(一二六八)に述作された「聖愚問答抄」で当時の禅僧の姿を如実に記している。 爰に萍のごとく諸州を回り蓬のごとく県々に転ずる非人の、それとも知らず来たり、門の柱に寄り立ちて含笑み語る事なし。あやしみをなして是を問ふに始めには云ふ事なし。後に強いて問ひを立つる時、彼が云はく、月蒼々として風忙々たりと。形質常に異に、言語又通ぜず。其の至極を尋ぬれば当世の禅法是なり。 禅僧は言葉が通じないという。現代ではこれほどひどくはないが教えは昔とかわっていない。根本の中身は同じである。 禅宗もまた念仏と同じく一切経を否定した。禅の宗旨は、釈尊は仏法の真髄を経ではなく、釈迦の弟子摩訶迦葉(注)一人に口伝であたえられたとする。したがって経文に真実はなく、学ぶのはむだであるという。これを教外別伝といった。この奥義を伝える者が達磨以下の禅僧である。 日蓮は怒りをこめて彼らを糾弾する。 持斎とは仏門に入った人のことをいう。蝗虫とはイナゴのことである。ひとかどの道心をおこして仏道に入った者が、国の費えをむさぼる害虫になっているという。 したがって禅宗がおこると、にわか坊主が続出した。なんの知識ももたず、修行もせず、見識もない者が、高僧らしくふるまう。こんな人間はいうまでもなく傲慢になる。日蓮の指摘のように常識さえもなくなってしまう。
日蓮は「川獺でさえ正月にとらえた魚をていねいにならべ、先祖を祭るという伝説があり、林に棲む烏は自分を育ててくれた親やそのまた親が餓えないように、餌をはこんで恩にむくいる。鳩は親鳥より三つ下の枝にとまるという。雁が列を乱さないのは知るとおりである。恙とは子羊のこと。羊の子は親に頭をさげて乳を飲む」と言う。このように動物でさえ礼を守り孝行をおこなう。これをはずすのは畜生以下であるとした。 ではなぜ禅宗がこの時代ひろまったのか。 理由は至極明白である。時の権力者が信奉していたからだった。 彼は宋から禅僧の蘭渓道隆を招いた。日蓮が二十五歳の時である。この七年後の建長五年に建長寺を創建し、道隆を請じている。建長五年は日蓮が安房の地で立宗宣言をした年である。 日蓮は度度知つて日本国の道俗の科を申せば、是は今生の禍・後生の福なり。但し道隆の振舞は日本国の道俗知りて候へども、上を畏れてこそ尊み申せ、又内心は皆うとみて候らん。 『弥源太入道殿御消息』 禅宗は武士のあいだに広まったというが、実態はこのようなありさまだった。同時代に生きた日蓮はさらに言う。 建長寺・円覚寺の僧共の作法戒門を破る事は大山の頽れたるが如く、威儀の放埓なることは猿に似たり。是を供養して後世を助からんと思ふは、はかなし・はかなし。『新池御書』 建長寺は時頼が建て、円覚寺は息子の時宗が建てた。両寺とも現存しているが、日蓮はこの両寺に供養して後世善処を願うのは浅はかだ、と断じている。
摩訶迦葉 迦葉。尼倶利陀長者の息子。釈迦声聞十大弟子の一人で、頭陀第一といわれる。法華経の会座(授記品第六)で、光明如来の記別を受けた。釈尊滅後、阿闍世王の外護を受け、仏典結集の座長として摩竭陀国の王舎城の南、七葉窟で、阿羅漢五百余と半年以上に渡り、釈尊の説いた教えを取りまとめた。また付法蔵の第一として二十年間、小乗教を弘通した。 伝教大師 神護景雲元年(七六七)~弘仁十三年(八二二)。平安初期、日本天台宗の開祖最澄のこと。十二歳で出家し、延暦四年(七八五)東大寺で具足戒を受け、いったん故郷に戻ったがその後比叡山へ入り、草庵を結んで諸経論を究めた。延暦七年(七八八)に草庵を延暦寺と号し、さらに延暦十二年(七九三)一乗止観院と改めた。延暦二十一年(八○二)に高雄寺で華厳・法相・三論等の碩学十余人と、宗の優劣を論じた。延暦二十三年(八○四)に入唐して天台の義、および禅、真言を学び、翌年帰国し延暦二十五年(八○六)天台宗を開いた。弘仁四年(八一三)に嵯峨天皇の護持僧となり、また旧仏教界の反対の中で、大乗戒壇実現の努力を続けた。没後七日の六月十一日に大乗戒壇の勅許がおりた。 日蓮大聖人はこの大乗戒壇を高く評価し「仏法の人をすべて一法となせる事は,内証は竜樹・天親にもこえ南岳・天台にもすぐれて見えさせ給ふなり」(撰時抄)と称賛している。弟子に義真・円澄・慈覚などがいる。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「山家学生式」など多数。 なお、日蓮大聖人は「立正観抄」で「夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け、今漢土に在ては天台と名け、日本国の中にては伝教と名く。三世の弘通倶に妙法と名く」と説いている。
by johsei1129
| 2021-10-22 16:30
| 小説 日蓮の生涯 上
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