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日蓮大聖人『御書』解説

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2021年 10月 22日

三、日蓮、生誕の地で覚悟の立宗宣言

                                    英語版
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       (日蓮大聖人御一代記より)

 蓮長は故郷、安房の小湊についた
 潮のにおいがなつかしい。
 蓮長が山の坂道を登っていく。

坂の上に清澄寺が見えてきた。

小僧たちがいた。門前の掃除にあきたのだろう、集めた木の葉を互いにかけあって遊んでいる。

蓮長がにこやかに声をかけた。

「これこれ、掃除をきちんとしてから遊びなさい」

小僧たちは親しげに声をかける僧侶をあやしんだが、やがて気づいた。

「もしや・・・蓮長様でございますか」

蓮長がうなずくと小僧たちがあわてて本堂へ駆けていく。

境内に入った。

父母、道善房、浄顕房、義浄房、大尼たちが出迎える。

蓮長が満面の笑みで挨拶した。

「蓮長、ただいま叡山から帰ってまいりました」

母の梅菊はすでに涙ぐんで一言声をかけようとするが言葉が出ない。道善坊は凛々しい蓮長の姿を見て思わず手を合わせた。

大尼は我が子の成長を見るかの如く、にこやかにだった。兄弟子の浄顕房と義浄房は、成長しすっかり大きくなった蓮長をまぶしい目で出迎えた小僧たちは大人たちの背中越しから興味津々にのぞきこんでいる。

夜がふけて宴会がはじまった。

小僧が鼓をうつ。

上座に蓮長、両脇に道善房と大尼がすわった。左側には円智房、浄顕房、義浄房ら清澄寺の僧侶が並び、右側には父の三国太夫、母の梅菊、清澄寺の信徒がならんだ。みな蓮長の成長した姿を称賛し、笑顔で語らう。

三国太夫は、皆の蓮長への称賛が誇らしくもあり、気恥ずかしさもあった。梅菊は蓮長が無事に清澄寺に戻ってきたことが、ただただ嬉しかった。

いっぽう蓮長はときおり遠くを見通しているような目をし、明日の初の説法に思いを馳せていた。


翌日の早朝、境内はまだ暗い。

道善房が朝の勤行(ごんぎょう)共にしようと、蓮長の部屋をのぞいたが見当たらない。

小僧に聞いた。

「蓮長はどこぞにでかけたのかな」

「はい、早くに(かさ)ヶ森のほうに行くと言って出かけました」


太平洋を見わたす山の中腹。(かさ)が森は朝をむかえようとしていたがまだ暗い。

目の前に広い、あくまで広い太平洋の海原があった。

しだいに東の空が明るんできた

水平線のかなたにかすかに光が輝く

建長五年四月二十八日の朝、数十億年もの間、変わることがなく輝く太陽がいま昇った。

蓮長は三千大千世界に響き渡れとばかりに唱える。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

朝、老若男女が清澄寺の参道をのぼっていく。

通りすがりの老婆がいぶかしんで聞いた。

「なにやら集まりごとでもあるのかえ」

「これから説法があるでな」

「ほう」

「蓮長とかいうお坊様が比叡山から帰られての。今日はそのかたのお話を拝聴するだ」

老婆が思いだした。

「蓮長・・・いたいた。賢げな子供であったが、もうそんなに立派になられたか」

「それでな、わしはその蓮長様が念仏のお話をされるだろうと思って楽しみなのじゃ。なにせ日本中に広まっておるからのう」

横の婦人が口をはさむ。

「いやいや蓮長様は禅宗ですよ。禅宗はお武家様のあいだで人気がおありじゃ。今は武士の世の中。蓮長様は流行にさといはずです」

老婆が急にはりきった。

「わらわも行きまする。わらわは真言の教えが聞きとうてな。この日本でいちばん尊いといえば真言にきまっておる。真言は高貴な僧侶がそろっておるからのう。ああ楽しみじゃ」

近くで聞いていた武士が歩みよる。

「そのほうら、考えがあさいな。蓮長殿は律宗で身を立てるおつもりじゃ。戒律を守り、橋をつくり、病人にほどこしをあたえる。律宗の僧侶ほど貴い者はないわ」 

人々が急ぎ足で通りすぎていく。

武士があわてた。

「こんな話をしとる場合じゃない。蓮長殿は、俊英の僧が国中から集まるあの叡山から帰ってきたのだ。その説法を聞き逃すわけにはいかない」

 みな駆け足で参道をあがっていった。

三、日蓮、生誕の地で覚悟の立宗宣言_f0301354_20373644.jpg
 清澄寺の持仏堂は寺の中にある小じんまりした建物だった
 聴衆が三々五々集まってきた。

中央奥に小さな仏像があり、その前に父母、大尼、道善房らの僧侶が、蓮長を今か今かとまっていた。

みな晴れやかだが、なぜか道善房だけは一抹の不安を感じていた。生来の臆病がぬけずにいる。

これにたいし円智房と道義坊が傲岸不遜な顔つきですわった。蓮長の説法にわずかでも誤りがあれば、すぐに(ただ)して恥をかかせるつもりだった。

その蓮長が持仏堂に登場すると、場内が一瞬のうちに静まりかえった。

彼は中央すわり、人々に向かって手を合わせ、一礼してから、おもむろに語り始めた

「蓮長、比叡山から帰ってまいりました。長年諸国での私の仏道修行を支えてくださり、かたじけなくぞんじまする。この場をかりてお礼申しあげます。さてこのたびわたくしは法名を蓮長あらため、日蓮と名乗ります」

「日蓮・・・」

一同が軽くざわめく。

「比叡山・高野山・園城寺などの寺で学んだこと。それは仏が究極として説かれたことはただ一つであること、それを確かに悟りました

すべての男女がかたずを飲んだ。

日蓮は参集した人々に向かい、手を合わせて「南無妙法蓮華経」と力強く唱えた。

 聴衆がぽかんとしたが、日蓮はつづける。

釈尊は悟りを開いてから四十二年後に、(りょう)鷲山(じゅせん)で無量義経を説き『四十余年未顕(みけん)真実』と衆生に示し、その上で衆生得道の真実の教え「法華経」を説き明かしました。ところで、ここにご参集いただいた皆さまは、日本と言う言葉に、我が扶桑(ふそう)国の国土、島二つ、衆生、畜生、草木すべてが含まれることは御承知でしょう。それと同様に「南無妙法蓮華経」と言う五字・七字には法華経二十八品に説かれた釈尊並びに三世の諸仏の功徳がすべて含まれております。この妙法蓮華経に南無する、つまり()(みょう)することにより末法の衆生はその身のままで成仏することが(かな)うのです。それ故、成仏を願うならば他事なく『南無妙法蓮華経』と唱えることが末法の唯一の修行なのです。私は最初に皆様方に向かい南無妙法蓮華経と唱えました。それは皆さまの()(しん)に仏界と言う仏の命があるからです。釈尊は法華経方便品で、仏が娑婆(しゃば)世界に出現する『一大事因縁』として『開示悟入』を説きました。これは衆生に仏の知見を開き、示し、悟らしめ、仏道に入らしめることを意味します。つまりすべての衆生に備わる仏の命を開くことが成仏なのです」

 日蓮は叡山(えいざん)での研鑽(けんさん)の末に到達した自身の内証を、一気に説法した。

 人々は今まで見たことのない力強い説法者がいるのに気づいた。

円智房と道義坊がいぶかしげに薄笑いをする。

師匠の道善房は思わず額の汗をぬぐった。大尼はこれまでどの僧侶からも聞いたことがない「南無妙法蓮華経」という言葉に戸惑いを隠せない。日蓮の父母は不思議な話を聞いたかのように口を開けたままでいる。


日蓮はよどみなく、さらに説法を続ける。

わたくし日蓮は今日以降、日本中の隅々まで南無妙法蓮華経の題目をひろめてまいる所存です。日本国の一切衆生にこの題目を授けてまいります。さりながら、この世には仏の教えに背く悪法があるのも事実です正しい仏法を広めるためには、まず悪法を退治しなければ日本国の安泰はありえません

 道善房がうろたえ、思わず言葉がでた。

「悪法だと。仏が説いた教えにそのようなものがこの世にあると言うのか。そんな説法を続けるなら勘当するしかないぞ

 日蓮は師の、勘当という言葉にもひるむことなく説法を続ける

末法の今の世に悪法は四つあります。一つは念仏宗です法然上人の念仏宗は、釈尊が最高の経であるとした法華経を捨て、未顕真実の教えである阿弥陀経に説かれた阿弥陀仏を敬い『南無阿弥陀仏』と唱えよと説く大悪法です。阿弥陀仏はこの娑婆世界には無縁の仏です。娑婆世界の月氏国に生まれ、数多くの衆生を救済した釈尊は、一切衆生の父です。この父の最高の経を捨てろと説くことは不知恩の僧侶で、これを信じる衆生も僧ともども無間地獄に落ちることは必定です」

 聴衆から「念仏を唱えると地獄におちるのか」と悲鳴があがる

 耳をふさぐ者もいた。あとずさりして帰ろうとする者もいた。円智房は日蓮をにらみつけている。

次に禅宗は、仏法にして仏法にあらず。(きょう)()別伝を唱え、釈尊の一切経を無視する外道の教えです。涅槃(ねはん)経に曰く『仏の所説に随わざる者あらば、是れ魔の眷属(けんぞく)なり』と。故に禅宗を信ずる者は天魔の所為(しょい)も同然なのです

武士が怒りだす。

「なにをたわけたことを。禅宗は鎌倉殿も信奉しておるわい

だが日蓮はまったく動じない。

つぎに真言宗は密教という外道(げどう)の教えを敬い、釈迦は真言師の牛飼(うしかい)草履(ぞうり)(とり)にも足らぬと釈迦と法華経を(さげす)む亡国の教えです。娑婆(しゃば)世界と無縁な大日如来を敬う(いつわ)りの教えです。真言で祈れば必ず国が亡びます」

清澄寺の持仏堂から人々が一人、また一人と去っていった。

最後に律宗です。釈尊が五十年間説いた一切経で最も低い教えである戒律をふりかざす僧ら。かれらこそ末法とは無縁の国賊であります。以上あらあらのべました」

 聴衆の多くは持仏堂を後にしたが、日蓮の説法をもっと詳しく聞きたいと残る者もいた。

 道善房が日蓮に歩みよ

「蓮長、いや日蓮、なんということをいいだすのだ。日本国中の仏教徒を敵にまわすのか」

母の梅菊が手をこすりあわす。

「おまえ、ほかの宗派を(そし)ることだけはやめておくれ。念仏を地獄などと・・」

父の三国太夫も眉間に皺をよせた。

「どういうことなのだ。せっかくおまえを修行にだしたのに、そんなことを言いだすとは。どこでそんな考えを」

日蓮は冷静だった。

「父上、母上、お師匠様。私は叡山を出る時から決めておりました法華経とともに生きてまいります。この誓いは、だれにも破ることはできませぬ」

母が泣きだした。

ここで兄弟子の浄顕房が中に入った。

道善房和尚。今日の処はまあよいではございませんか。日蓮も、よほどの覚悟があったのであろう。今日の説法をすべて理解できたわけではないが、私は日蓮からもっと詳しく聞きたいと思ったのは確かです

おなじ兄弟子の義浄房が援護する。

わたしもいまの話を日蓮上人からもっとくわしく聞きとうございます。今日の説法だけで判断はできませんが、日蓮上人の確信だけは私の胸にしかと響きました

大尼もここぞとばかり助け船をだした。

「ほんに驚きましたが、わらわはむかしから蓮長、いや日蓮上人の親がわりも同然です。今日から私は日蓮上人を信じて南無阿弥陀仏ではなく、南無妙法蓮華経を唱えます。なんとなく地に沈む感じの南無阿弥陀仏とちがい、日蓮上人の唱える南無妙法蓮華経を聞いていると心が躍るようです。梅菊様、太夫殿もきっと日蓮殿のお考えをおわかりになるでしょう。安心してください

日蓮が大尼に手をあわせた。

「そのお言葉、一生忘れませぬ」

師の道善房が気もそぞろにふらりと外にでた。

そこに老僧の円智房が立ちはだかった。

「道善房殿、いやはや大変な弟子をおもちになりましたな。この責任はどのようにとられるか、楽しみにしておりますぞ」

道善房が聞く耳もたずとばかり、あたふたと逃げるように去っていった。


日蓮はこの後、父母に改めて説法し、自ら二人を受戒させ、日蓮の文字を取って父を妙日、母を妙蓮と、それぞれ法名を与えた。

日蓮は後日、立宗宣言の時の父母、師道善房について次のように記している。


「一切の事は父母にそむ()き国王にした()がはざれば不孝の者にして天のせめ()かう()ふる。ただし法華経のか()きになりぬれば、父母・国主の事をも用ひざるが孝養ともなり国の恩を報ずるにて候。されば日蓮は此の経文を見候しかば、父母手を()りて()いせしかども、師にて候し人かん()()うせしかども、鎌倉殿の()勘気(かんき)を二度まで・かほり・すでに(くび)となりしかども、ついに()それずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申す事を用いずしてついに天のたす()けをかほる人は日蓮より(ほか)(いだ)しがたくや候はんずらん」『王舎城事


しかしこの騒動は安房を仕切る地頭、東条景信が知るところとなった。

景信は暖かな陽気に誘われのんびりと昼寝していたが、家来にたたき起こされ、がばとおきあがった。

「なに、念仏は無間地獄だと」

景信は念仏の熱狂的な強信者だった。

は最初、怒り狂っていたが、やがて笑いだした。

「しめたぞ、その日蓮という僧を捕えるのだ。清澄寺にそのような悪人がいるのは地頭として黙認できることではない。そやつを捕らえ、寺の不始末を幕府に訴えるのだ。さすればあの寺はわが東条の支配下に落ちる。よし、ゆくぞ」

景信が刀をとって出ていく。従者があわててついていった。

景信とその配下が馬を疾駆させた。山道を走り、参道を登っていく。

寺では日蓮と浄顕房、義浄房とが座談の最中だった。日蓮が二人の兄弟子に請われて法華経の教えを説法していた時である。小僧が飛びこんできた。

「たいへんです。地頭がおしよせてきました。なぜ念仏が無間地獄なのだとわめいております」

浄顕房が片膝をたてた。

「しまった。もれたか。日蓮の身が危うい。早く立ち去るのだ」

日蓮がいずまいをただした。

「今回のことはわたしが原因です。わたしが申し開きを・・」

義浄房が止めた。

「いかん、東条とこの寺は土地争いで不倶戴天の敵なのだ。ここでおぬしを巻きこむわけにはいかぬ」

といったと同時に寺の中がざわめいた。

景信の武士が侵入してきたのだ。

どなり散らす声、猛々しい声がひびいた。

「日蓮という者はどこだ。日蓮はどこにいる」

いきり立った東条景信が音を立てて部屋の(ふすま)障子をあけた。そこには浄顕房と義浄房の二人しかいない。
 景信は鞭を浄顕房の鼻先にむけた。

「日蓮という者はどこにおる」

「ここにはおりませぬ。すでに立ち去りました」

義浄房が毅然と答える。

「景信様、地頭とはいえ、仏を奉る寺に土足で入るのは不謹慎ですぞ。大尼様は鎌倉殿の血筋でございます。景信様のためにもよからぬことかと」

景信が一瞬、声を失う。

「いやいや注進があってな。念仏は地獄という者がいるとのこと。そのような者を取りしまるのが地頭の役目だ。その者に加担する輩も引っとらえるつもりだ」

外から「いたぞ」の声がひびいた。

日蓮は裏山を小走りにおりていた。

武士が刀を抜いて日蓮に追いついた。

日蓮がふりむく。

武士が日蓮を囲んだ。

思いがけないことだった。初めての説法と同時に災難がふりかかった。日蓮はこれからの一生を垣間見る思いにかられた。

しかしこの時、百姓の一団が林から飛びだして日蓮をかばい、武士に立ちむかった。清澄寺の檀家衆だった。ほとんどが地元の百姓である。彼らは急を聞いて参集したのである。

百姓は手に棒をもって武士たちをにらむ。

武士が激高した。

「この百姓どもめ。悪坊主に味方するのか」

百姓たちが声をかけあい、棒をつきだして武士を押しやっていく。

武士も負けてはいない。

両者のにらみ合いがつづいたあと、景信があらわれた。彼は形勢不利と見たのか、武士たちを引きあげさせた。そして帰りぎわにおどした。

「今日のところはよいわ。だがおぼえておくぞ。地頭に逆らう者がいるとな。この礼はいつかきっと」

 景信が立ち去り、百姓たちがほっと息をついた。

浄顕房、義浄房が日蓮を導いて細い山道をおりていく。ともに息を殺していた。追手がくるかもしれない。

はるか対岸に三浦半島が見えた。さらにそのはるか彼方に白雪をかぶった富士山が見える。

義浄房が日蓮の小荷物を手渡した。

「これからどうする。京都にもどるか」

日蓮が首をふった。

「鎌倉へまいります」

「なぜだ。仏道で出世するならば京へ行ったほうがよかろう」

日蓮がきっぱりといった。

「いま日本の政治の中心は鎌倉でございます。日蓮は鎌倉を拠点に法華経を死身(ししん)弘法(ぐほう)して参る決意です

日蓮は挨拶をして山をおりていった。後姿がしだいに小さくなっていく。

浄顕房がひとりごとのようにいった。

「大丈夫かのう、日蓮は」

義浄房が目を輝かせた。

「なあに、この清澄寺で抜きんでた男だったのだ。案ずることはない」

この二人は兄弟子だったが、このあと日蓮を師とした。そして生涯にわたって日蓮の布教活動を支えていく。

日蓮はこの日の浄顕房と義浄房の計らいを、後に「本尊問答で次のように記している。


「貴辺は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして(しょう)()をはなれさせ給うべし」



                       四、日蓮、鎌倉で弘教を開始 につづく


上巻目次



by johsei1129 | 2021-10-22 15:53 | 小説 日蓮の生涯 上 | Trackback | Comments(0)


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