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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 03日

第七に種脱相対して一念三千を明かすことを示すとは 二【三重秘伝抄】

 今謂わく(前来の諸説は皆是れ文上なり、不相伝の(やから)(いずくん)んぞ文底を知らんや、若し文底を知らずんば何んぞ(れん)()の門人と称せんや。
 問ふ、当流の(こころ)如何(いかん)
 答ふ、此れ一大事なり人に向かって説かず云云。

 重ねて問ふ、如何。
 答ふ、聞いて
()く之を信ぜよ、是れ憶度(おくたく)に非ず。師の曰わく「本因(ほんにん)初住(しょじゅう)の文底に久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり」云云。(まさ)に知るべし、後々の位に登るは前々の行に()るなり云云。
 問ふ、正しく(しゅ)(だつ)相対の一念三千とは如何。
 答ふ、此れ即ち蓮祖出世の本懐、当流深秘の相伝なり、
(いずく)んぞ筆頭に顕わすことを得んや。(しか)りと(いえど)近代他門の章記(ひそ)かに之を引用す、故に(つい)に之を秘すること(あた)わず、今(また)之を引く。輪王の優曇華(うどんげ)西王母(せいおうぼ)(その)の桃と深く(まさ)に之を信ずべし。 本因妙抄に云わく「問ふて云わく寿量品の文底一大事と云う秘法如何。答えて曰く(ゆい)(みつ)の正法なり秘すべし秘すべし、一代応仏の(いき)を引かえたる方は理の上の法相(ほっそう)なれば一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文底とは久遠実成名字の妙法を余行に(わた)さず(じき)(たつ)正観(しょうかん)する事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり」云云。
 問ふ久遠名字の妙法とは其の体如何(いかん)
 答ふ当体抄勘文抄等往いて之を
(かんが)べし云云、今(しばら)く之を秘す云云。

日享上人註解

○今()は、上来排除蓮祖実義たまも「ず」てある。

○近代他門等とは、八品(はっぽん)である。

○西王母の園の桃とは、西王母は支那古代の神仙で崑崙(こんろん)山の(ふもと)住し三千年一回仙桃という伝説優曇華正法()(がた)きの例証である。

本因妙抄とは、抄の終わりの方にある文。

○一代応仏の域を等とは、単に応身仏を云ふのでは無い。阿含(ほう)(どう)より華厳法華()受用(じゅゆう)自受用(じじゅゆう)報身釈尊一代五十年身は各々(おのおの)も、次第昇進ない。一代五十年三身示現応身仏分域卓見である。

○理上法相とは、五時八教・大小・(ごん)(じつ)本迹(ほんじゃく)劣応報身(ほっ)(しん)(みな)事宜(じぎ)ず、如何(いか)()(ちん)羅列(られつ)(ただ)(これ)無用骨董(こっとう)理上法相である。(ただ)是れ甚深秘要宗義諄々(じゅんじゅん)い、(しか)るを近来一不通(やから)(やや)突如()耀(よう)すとく。(はた)して(しか)幼児銘刀傷つく

○直達正観とは、六妙門、四種三昧等の普通の観念観法に()ず、題目信行正観である。ない有様(ありさま)である。

○当体抄とは、義の字を略してある。当体義抄の末文を見よ。

勘文抄とは、総の字を略してある。「釈迦如来五百塵点劫(じんてんごう)云云の下の文よ、名字妙法(せん)ら「し」である。

第八に事理の一念三千を示さば に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-11-03 00:26 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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