次に迹門百界千如の文とは、本尊抄八・十八に云く「迹門は始成正覚の仏、本無今有・百界千如を説き、本門は十界久遠の上に国土世間既に顕わる」等と云云、迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり。而るに迹門方便品に一念三千を説くと云ふは、正しく必ず依るところ有るが故に与えて爾と云ふなり。若し奪って之を論ぜば、迹門は但是百界千如なり。 本尊抄に云く「百界千如と一念三千と差別如何。答えて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情・非情に亘る」と云云。
日享上人註解
○国土世間既に顕わる等とは、寿量品の「是よりこのかた我常に此の娑婆世界に在りて説法教化す」等の文に顕はれてをる、況や余仏は久遠を説かず、娑婆を穢土と嫌ふ。然るに本仏は久遠常住の寂光土と称せらる。是れ本門独歩の法門である。
○百界千如に限るとは、本門では百界千如の上に衆生・五蘊・国土の三世間を乗じて三千とするけれども、迹門には本国土妙顕れざる故に千を成ぜず百界千如のみである。
○情非情に亘るとは、十界十如は有情界の業体相貌であるから百界千如も亦有情界の内である。三千と云ふとき始めて三世間あり。衆生世間は有情であるけれども五蘊世間は情非情に亘り、国土世間は全く非情界である。故に一念三千と云ふ下に情非情を具するから御抄に爾と云はるゝのである。
第七に種脱相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く
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