問ふ、又啓蒙に云く「既に二乗作仏の下に於て多宝・分身を引きて真実の旨を定めたり、故に未だ発迹顕本せざる時も真の一念三千にして二乗作仏も定まれり。然るに今、真の一念三千顕われず二乗作仏も定まらずとは久成を以て始成を奪う言なり。是の如く久成を以って始成を奪う元意は天台過時の迹を破せんが為なり」云云、此の義如何。
難じて云く、拙いかな日講、竊盗を行なう者は現に衣食の利あり、何ぞ明文を曲げて強いて己情に会すや、妙楽の云く「凡そ諸の法相は所対不同なり」と、宗祖云く「所詮所対を見て経々の勝劣を弁ずべきなり」等云云。上に多宝・分身を引き真実の旨を定むることは是れ爾前の方便に対する故なり、是の故に彼の結文に云く「此の法門は迹門と爾前と相対するに」等云云。今「真の一念三千も顕われず」等と云ふは是れ本門に対する故なり、是の故に「未だ発迹顕本せざれば」等と云ふなり。同じく迹門と雖も而も所対に随って虚実天別なり。若し強いて爾らずと言はゞ重ねて難じて云く、一代聖教皆是れ真実ならんや、既に上の文に言わく「一代五十年の説教は外典外道に対すれば大乗なり、大人の実語なり」、日講如何。
日享上人註解
○啓蒙に云く等とは、日講の意に迹門と云へども多宝の証明ありて真実の経となった上は、仮令発迹顕本無くとも迹門の一念三千は真実であって二乗作仏は決定的である、但し宗祖が今の文に「顕れず」「定まらず」と仰せあるは本門久成に与して迹門始成を奪うたもので、其れは天台過時の迹を破せんが為じゃと云って強いて本迹一致を立つる事は例の執見病である。固より本地開顕の上には大小権迹何れの法も皆真実と変化してをるけれど、其の時は但一本門のみあって大小権迹の名義は自ら亡泯しておる。然るを猶迹門真実と計するは猶開会の上には爾前も得道の経なりと計すると一般大聖人の極めて斥ひ給ふ処である、茲に本師激語を放って国法を曲ぐる盗賊には衣食の利あり、日講何の利益あって明文を曲ぐるやと仰せらるゝのである。
○彼の結文とは、開目抄上の「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強き様におぼゆ、若し爾前強るならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし」等の文であり、専ら爾前に対して迹門の真実をあげ給ふのみである。
第六に本迹相対して一念三千を示すとは 六 に続く
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